「久保田様と時任様ですね。お待ちしておりました。さ、どうぞこちらへ」
若女将らしき旅館の仲居さんに連れられて、俺たちは本日一晩を過ごすことになる部屋に案内された。
なかなか広めの和室は思ったよりも新しく、女将さんの手が行き届いているのだろう、きれいな部屋だった。
緑豊かな避暑地であるそこはシーズンを過ぎていたせいか客も少なく予約もすぐに取れ、こうして時任と二人、晴れて旅行ができたというわけだ。
「それにしても・・、なーんにもないねぇ」
窓に身を乗り出している時任の後ろからその緑豊かな景色、つまり田舎の情景を目にした感想を漏らす。
だが部屋に入ってから、あたりを物色しては歓声をあげていた猫には聞こえてないようだ。
「久保ちゃんっ!川っ!目の前にキレーな川があんぞっ。魚取りに行こうっ!!」
そう言って水面輝く川を指さして振り返った時任のカオは、文字とおり輝いていて・・。
俺には何より眩しいその笑顔を見ていると、たった今までなんもなかった情景が同時にキラキラと華を増した気がした。
自然と口元がゆるむことに気づきながら、我ながらゲンキンだなと思う。
「つめてっ!泳ぐのはムリだなっ。でもキモチーっ!」
透き通った川に足をつっこんだ時任が無邪気な歓声をあげる。
「うん。もう夏も終わりだし。夜は少し冷えるかもね」
「久保ちゃんっ!魚っ、いるぞ!〜あっ、だめだ採れねぇ!」
そのままバシャバシャと手を突っ込んで魚を掴もうとしている時任はまさに餌を狙う猫・・。あ、でも猫って水苦手だっけ?
「お前ね、素手はさすがにムリっしょ。熊じゃないんだから」
川辺に腰掛け一服しながら見ていた俺に、時任は口を尖らせた。
「だって!魚食いたいじゃんっ。釣り竿借りれっかな?」
「そんなことしなくても、夕食付きだからさ、魚料理あると思うけど」
予想通り、夕食は鮎の塩焼きや海の魚の刺身までついている立派な会席料理。
魚が捕れず、くやしがっていた時任だが、部屋に運ばれてきた豪華な夕食に、テンションが一気にあがったようだ。
「すっげーっ!!豪華っ!!おっ、ビールもあんじゃんっ!なぁ、久保ちゃんっ。ほんとに全部食べていいのかっ!?」
「どーぞ。お前の誕生日祝いだからね」
「〜いっただっきまーすっ!」
片っ端から料理を口に運んでいく時任は「うまいっ!」を連呼しながら目の前のご馳走を平らげていく。
そんなに急がなくたっていいのにねぇ・・。
つられるように俺もビール片手に料理に手をつけながら、その光景を見ていた。
誕生日だと言って特別に用意してもらった小さなホールケーキも見事に腹に納めた猫は、ようやく落ち着いたのか腹をさすりながらごろりと横になった。
「うー、食った食ったぁ、もー食えね・・」
「そりゃあんだけ食べればね。時任、先にお風呂入っちゃえば」
「お〜。そーだなっ」
部屋には露天風呂がついている。宿に着いてからずっと楽しみにしていた時任は再びうきうきとして、初体験だという露天風呂へと向かっていった。
・・おもしろいなぁ。
ほんとに表情がころころ変わる。時任の誕生日を祝うっていう目的だから、喜んでくれて嬉しいけどね。
「お客様、失礼いたします。お布団をご用意に参りました」
「ああ、どーも」
お膳を引いて、女将さんが布団を2ついそいそと敷きはじめるころ、時任もちょうど風呂からあがってきた。
「あれ、久保ちゃん、もー布団?」
片手でがしがしと濡れた髪を拭きながら、きょとんとする時任は、短パンと上半身裸というあられもない格好。ほんのり紅潮している肌に思わず目をひかれる。
風呂あがりとはいえ、他人に見せる姿じゃないなぁ。
女将さんは気にした様子もないけれど、俺がおもしろくない。
俺は口元を緩めながら女将さんに言った。
「布団は1つでいいですよ。こいつ、一人じゃ寝付けないから」
「え?・・あ、はい。かしこまりました」
驚き顔を見せつつ、さすが女将さん。瞬時に笑顔を見せる。
大きな反応を示したのはうちのかわいい猫だった。
「く、久保ちゃんっ。何言ってんだっ!」
「なんで?いいじゃない。いつも一緒に寝てるんだから」
「ばっ・、人前で変なことゆーなっ!」
あーあ、恥ずかしそうに顔赤らめて・・・。自分から言っちゃってるよーなもんじゃない。
「まぁ、いんじゃない。初めての旅行だし。これってハネムーンみたいじゃない?」
「はぁ?なんだそれ?」
時任はその意味を知らないらしく首を傾げるが、女将さんにはもちろんばっちり通じている。
「そういうことでしたら、お一つにしておきますね。どうぞごゆっくり」
先ほどの驚き顔はなく、納得したように満面の笑みを浮かべて部屋を出ていった。
さて、これで当分は邪魔は入らないだろうね。・・途中で見られでもしたら、俺はいーけど、この猫は不機嫌になるだろうしね。
「久保ちゃんっ、ハネムーンって何ってば!」
「新婚旅行ってこと。ほら知らない?結婚したカップルが初めて行く旅行だよ」
「やっっぱぱりっ!変なことばっか言って!さっきのヒト笑ってたじゃんかっ!!」
「まぁまぁ、いいじゃない。すること同じなんだから」
「なんだよっ、することってっ!」
あれ、それ聞いちゃう?誘ってるととっていいかな。
俺はパチリと部屋の電気を消すと、時任の手をとって、その顔をのぞき込んで言った。
「それはもちろん”初夜”?」
「ぎゃーっ!!」
色気のない声をあげる時任をそのまま布団に押し倒す。
「ばか、久保ちゃんっ、髪っ、布団が濡れるっ・・・。・・・・あ・・」
「・・・・時任?」
突然抵抗をやめた時任を不思議に思っていると、部屋を照らす月明かりの中、時任の瞳が窓際の方を見ていることに気づいた。
「・・・すげぇ、でけぇ月。・・きれいだな、久保ちゃん」
仰向けに寝たまま窓の外を見つめて時任が言った。
大きく開いた窓から覗く、丸い月とたくさんの星々。
どうやらそれらに見とれているらしい。
俺も時任を組み敷いたまま視線を外に向けて頷いた。
「うん・・。都会じゃなかなか見れないからね」
少し欠けた丸い月はそれでも強い光を放っていて、その光に負けじと星々が姿を見せている。確かに夜でもネオンの眩しい日常では、あまり見れないものだった。
けれど俺の目はそれよりも、夜空に見とれる時任の方に、釘付けになった。
部屋を淡く照らす月明かりが、時任の姿をくっきりと浮かび上がらせる。・・いや、多分俺がそれしか見えてないのかもしれないけれど・・、空を見つめる真剣な表情が俺の心を捕らえて放さなかった。
「・・・時任」
「ん・・?」
「好きだよ」
「な、・・んだよ、いきなり・・」
面食らった様子で頬を染める時任はもう俺しか見ていない。俺はなぜかそれに満足して、
「ありがとね、―――ココに・・、」
時任の両手に指を絡めるようにしてぎゅっとその手を握りしめた。
「ココに、居てくれて」
おまえの存在に、おまえが産まれてきたことに・・・、
「ありがとね。」
これだけは神様とやらに感謝してもしきれない。
俺がじっと見つめる黒く大きな目は、そのまままっすぐに俺を見返しながら、首を傾げて言った。
「・・久保ちゃん、違うだろ」
「・・・・?」
「誕生日ってのは、祝うもんだぞ」
その言葉に思わず笑みがこぼれる。
「そうね。うん。そうだった。―――おめでとう、時任」
「おうっ。ありがとな、久保ちゃん」
時任はそう言ってぎゅっと俺の手を握り返してくれた。
俺にとってはなによりも、・・・夜を照らす月よりも、まぶしい笑顔で。