―――――しまった。
周囲を見回して、呆然とする。
俺の右手にはリンゴ飴が二つ。左手には買ったばかりの、焼きそばとイカ焼きが入った袋。
日が落ちても夏真っ盛りとあって外気はムシムシと暑く、その上肩が触れ合うほど人が密集しているせいで熱気に溢れ、肌に浮かぶ汗が気持ち悪い。
けれど、もうそんなことも言ってられない。
さっきまで一緒にいたはずの、久保ちゃんがいないのだ。
いつもは閑静なはずの神社内は、至る所で食べ物のいい匂いがして、お祭り好きを高揚させるような紅い光が転々と光っている。
近所の河原そばの神社でお祭りがあるのだと、マンションに貼られていたチラシを見て、意気揚々と久保ちゃんを誘ったのは今朝のこと。夏祭りなんて初めてだし、花火まで上がるっていうから、わくわくしながら二人で足を運んだ。
浴衣姿の女の子達に、親子連れやカップル。そこにはいつも街で見るような無表情な顔はなく、誰もが笑顔で賑やかで、楽しそうな光景。
俺のテンションも一気にあがる。
久保ちゃんを引っ張りながら、たこ焼きだ〜イカ焼きだ〜、綿菓子だ〜と片っ端から食べ歩きながら散策して。俺の傍らで「はいはい」と笑う久保ちゃんも楽しそうで、こういうのもたまにはいいもんだなって思って。
楽しくてうれしくて仕方なかった。
のだけれど・・。
久保ちゃんが一服している間、目に留まったリンゴ飴屋。俺はいてもたってもいられずに、久保ちゃんを置いて行ったんだっけ。
うん、それがマズかった。
「あんまり遠くに行かないようにね」という久保ちゃんの声が遠くから聞こえたけれど、俺は「平気平気ー」と振り向きもせずに走っていってたんだ。
―――そして、今に至る。
先ほどの喫煙スペースも、来た道も一通り探し回ったけれど、久保ちゃんはどこにも見あたらない。
先ほどまでの楽しい気分は一転、人混みは完璧に不快な邪魔もので、笑顔の親子連れさえもうっとおしく見える。
だって、こんなに探しても見つからないなんて。
背が高くて見つけやすいはずで、たとえ後ろ姿だって見間違えない自信があるから、すぐに見つかるはずなのに。どこをどう探しても、いない。
まるで久保ちゃんが自分から隠れてしまっているかのようで、不安と苛立ちが募る。
両手に荷物を持ったまま、人の間を縫って走る。キョロキョロと見慣れた姿を求めて視線を張り巡らせて。
人混みを離れて静かな神社の境内までくまなく探す。
それなのに、久保ちゃんの姿はどこにも見えない。
久しぶりに、こんなに走った。
時間で言えばたぶん30分くらいだろうか。膝ががくがくして、鼓動が早い。
荒い息を整えながら、大きなご神木らしいものに寄りかかって、ズズズとしゃがみ込んだ。
「どこ、行ったんだよ・・あのバカ・・」
はぐれたのは、自分のせい。けれど、これはおかしいだろ。
たとえどこにいたって、久保ちゃんを見つける自信はあったのに、どうして見つからないんだよ。
先にマンションに帰ったのだろうか。いいや、そんなはずはない。俺を置いて一人で帰るはずがない。
だったら、何か厄介事にでも巻き込まれたとか。それならあり得るけれど、見渡してもそれらしい騒ぎはなかった。
ああ、あの時、久保ちゃんを待って一緒に行ってればよかった。
こんなに必死で探しても見つからない背中に、どうしようもない不安が頭を巡る。
まるでもう二度と会えないかのように、息苦しさが胸を締め付けた。
『久保ちゃんも花火見るのはじめて?』
『いんや、小さい時とか何回か見たことあるけど』
『なんだよ、初めてじゃねーのかよ』
『でもまぁ、誰かと一緒に見るのは、初めてかなぁ。いつも一人で見てたから』
『へぇ・・じゃ、初めて同士、楽しもうぜ?』
『それ、別のお誘いなら嬉しいんだけどなぁ・・』
『なんだそれ?』
『さあ?』
そんなたわいもない会話を思い出す。
そのとき、パンパンと空に白い煙があがった。
はじまりの合図だ。
「・・久保ちゃん、花火、始まっちまうぞ。・・一緒に見るって約束しただろ・・」
真っ暗な空を見上げてぽつりと呟いたそのとき、不意に背後に気配を感じた。
「っ久保ちゃん・・!?」
間違いなく、久保ちゃんだと思って顔を輝かせた俺は、振り返って見た姿に目を瞠った。
「え・・?」
しゃがんでいた俺の目線とほぼ同じ位置にある、黒い涼やかな瞳が、じっとこちらを見つめている。
「こ、ども・・?」
あまりに至近距離にいたせいで驚くが、よく見れば俺の腰くらいの身長の華奢な子供だった。
男の子だと分かるのは短めの黒髪だけで、はっきりとした瞳と子供ながらにキレイな顔立ちは大人びていて中性的だ。
「・・・誰?」
子供特有の高い声が問いかける。突然話しかけられ戸惑っているんだろうが、表情には落ち着きが見える。
しかしやはり大人びていてもその声は小さな子供のもので、少しだけ安心したような気にもなる。
「誰って、おまえこそ誰だよ?」
子供相手にあまりにぶっきらぼうだっただろうが、あいにく俺は子供好きでもないし、名乗らない相手に名前を教えるつもりもない。
そんな気配が伝わったのか、その子供はじっとこちらを見つめたまま、口を開いた。
「僕は、誰なんだろ・・」
「は・・?・・おまえ、自分の名前も分からないのか?」
どう見ても小学校はあがってるだろ、と言うと、コクンと頷いて言った。
「名前は分かる。―――マコト」
「ま、こと?」
「うん。・・お兄ちゃんは?」
「あ、ああ、俺は、時任」
―――久保ちゃんと、同じ名前。
マコトって名前は珍しくもないだろうけど、今一番会いたい人の名前だけあって、何か運命的なものなのかと、胸にひっかかりを覚えた。そのせいか、俺を見つめるその顔が、少し久保ちゃんに似ているような気さえしてくる。
「なぁ、おまえ、迷子か?」
「ううん。違う。ここへは一人で来たから」
「一人で?お前んな小っちゃいのに、一人なのか?年はいくつだよ?」
「・・・知らない。数えたことないし。でも小三だから、9歳くらいだと思う」
「・・思うって・・。」
自分の年が分からないようなガキでもないだろうに。イヤにしっかりと話すし、一人でここに来たということは土地勘だってあるんだろうし。・・・変な子だ。
「一人でこんな夜出歩いて大丈夫なのかよ」
「平気。いつものことだし・・」
「・・親は?なんも言わねぇの?」
「・・・言わないよ。僕が何しても、何も。」
普通の子供ならきっと、親ってもんがそばにいて、こんな夜に一人で出歩こうものならきっと心配するもんだってことぐらい俺にも分かる。けれどどうやらこの子の親は、そんな俺の知る常識とは少し離れているらしい。
ドーンっと轟音が鳴り響き、見上げれば色鮮やかな大輪が空を埋める。
ああ、本格的に始まってしまった。久保ちゃんはまだ見つからないと言うのに。
不意に隣を見ると、マコトは立ち尽くしたままぼーっと空を眺めていた。すると突然、後ろから来た人の波に肩を押されて、小さな体が弾き飛ばされた。
「っ!・・あぶねっ」
咄嗟に伸ばした手で小さな手を掴み、こちらへ引き寄せると簡単に子供の体は俺の腕の中に飛び込んでくる。
「お前あぶねぇから、ここにいろよ」
間近で大きく開かれた瞳が、マコトの驚きを示していた。ぱちぱちと音がしそうなほど瞬いて、そしてコクリと頷く。
「ああそうだ、リンゴ飴食うか?二つあっから一つやるよ」
「・・・うん」
「美味いか?」
「うん、おいしい・・」
そっか、と笑って、手を繋いだまま空を見上げる。
俺は何をしてるんだろ。早く久保ちゃんを捜したいのに。こいつを一人にするのも気が引けるというのもあるけれど・・。さっきまでの怖いくらいの孤独感が、こいつにあったことで薄れていたのは確かで。
ちらり、隣に目をやる。
しゃがんでいるせいで俺が少しばかり見上げる形になる横顔。
賢明に上を見上げる小さな顔は鮮やかな色彩に彩られ、表情は変わらずとも、それを映す瞳がキラキラと輝いている様はとても綺麗で。
そんな顔を見ていたら、自然と俺の頬も緩んでいた。
なんだ、可愛げのないガキだと思ったけど、そういう顔もできるんじゃん。
―――花火が終わったら、久保ちゃんを捜そう。今度はすぐに見つかる気がする。
そうしてマコトが飴を食べ終わる頃、最後の大輪が夜空に散って、終わりを告げた。
「綺麗だったな」
「うん・・」
それを合図に俺はマコトの手を離し、立ち上がった。
人の波が引き返し始めている、そろそろ行かなければ。
だけど、こいつは本当に一人で大丈夫だろうかとそれを尋ねようと口を開きかけたとき。
「―――ときとう、ありがとう・・」
「・・え・?」
マコトは、そう言って俺を見上げた。
ふんわりと微笑んだ顔は、俺の知る顔によく似ていて、思わず目を瞠る。
「お前・・・」
「時任―――!」
聞き慣れた声に、はっとして振り返った。そこにはこちらに駆け寄る、見慣れた姿。
「久保ちゃん!」
「こんなとこいたんだ、探したよ。」
目の前のほっとしたような顔を見上げて嬉しくて頬が緩むが、それを誤魔化すように言った。
「こっちこそ探したんだって!けど、見つかんねぇし、こいつが一人だし・・って、そうだっ、久保ちゃん、この子・・って、・・・あれ?」
きょろきょろ周囲を見回して、マコトがいないことに気づいた。ついさっきまでいたはずなのに、まるで突然消えたかのようにいなくなった子供に慌てて声をあげた。
「え、ええ、おいっ、マコト―!?」
「・・・・・はい?」
「っ久保ちゃんじゃねぇよ!マコトっていう子供っ。さっきまで一緒に花火見てたんだって!」
「・・・子供・・?」
「お前見なかったか?お前に声かけられるまでここにいたんだよ」
また人の波にのまれてんじゃないかと焦っていると、久保ちゃんは細い目でじっとこちらを見つめて言った。
「・・・時任、俺、お前を見かけてから少し様子見てたけど・・。お前、ずっと一人だったよ」
「・・・はぁ?」
「だから、確かに下を向いてなんか話してるようにも見えたけどさ、隣に誰もいなかったし。見てて”あれ?”って思ってたんだよねぇ。もしかして・・幽霊?」
「ちょっ・・、こ、怖ぇーこと言うなよ!」
「だってねぇ?俺には見えなかったし。それにしても、俺と同じ名前のユウレイねぇ?」
「決めつけんな!幽霊じゃねぇし、ちゃんと足あった!!」
ゾゾゾとしながらもあれが幽霊なわけがない。だってあいつリンゴ飴も食ってたし、ちゃんと会話だってしてたぞ。
結局。その後いくら周りを探してみてもマコトの姿は見あたらず。俺たちは諦めて家に帰ることにした。
元々一人で来たと言っていたし、帰り道ぐらい分かるはず。少しだけ心配だったけど、俺にはどうにもしてあげれない。
「久保ちゃん、冷めちまったけど焼きそばとイカ焼き、帰って食おうぜ」
「うん。・・・あ、ソレ」
「ん?リンゴ飴?ああこれ二つ買ったんだけど、一つマコトにあげちまったんだよ。なに、食いたいの?」
「うん。なんか、それ懐かしいかも」
「懐かしいって、食ったことあった?」
「いんや、ないと思うけど・・。」
「へんなの。」
久保ちゃんはそれを珍しげに眺めて、かぷりとカジりついた。
「・・・うん、美味い・・。」
「そっか、よかったな」
「・・・・・・」
よほど美味かったのか、家に着く前に無言で全部平らげていた。そんなに美味いならもう一本買えばよかったなんて思いながら、嬉しそうな久保ちゃんの顔に笑みが漏れる。
「あーあ、でも一緒に花火見れなかったな。」
「・・うん、だけどたぶん。・・・・見れたのかも・・?」
「は?なんだそれ?」
「うーん。まぁ、なんとなく。コレ食べて思い出したっていうか・・。」
「何をだよ?」
ぺろりと指についた飴を舐める久保ちゃんにそう聞くと、久保ちゃんは少し考えたように「うーん」と唸ったあと、優しく微笑んだ。
「初めてホントに綺麗な花火を見たってこと」
「・・久保ちゃん意味ふめー」
「まぁ、お気になさらず?また来年でも見ればいいじゃない?」
「まぁそうだな」
にっこりと微笑む久保ちゃんに、まぁいいかと笑顔で返して家路を歩いた。
そのときはまた、マコトに会えるかな。また一人だったら、今度は久保ちゃんも一緒に三人で見ればいい。
華奢な手を思い出して、そんなことを思う。
ガキのくせに、いっちょまえに辛気くさい顔した小さなマコト。
だけど手を繋いでやれば、きっと、
――――また眩しいほどの笑顔を見せてくれるだろうから。