事の始まりは、時任のこの一言。
「久保ちゃん、執事ごっこしようぜ!久保ちゃんは俺の執事な!」
キラキラと顔を輝かせた時任に、久保田はハテと首を傾げる。
「・・羊?」
「羊の真似して、それって面白いの?」と真面目な顔で答える久保田に、時任は「久保ちゃんが羊!」と吹き出して笑った。
「しーつーじっ!知らねぇの?流行ってんだって」
最近テレビにかじりついて観ていると思えば、お嬢様と執事が主役のドラマが人気なのだとか。
ドラマなどさして興味もなかった時任にしては珍しい。
流行のドラマのことや巷ではメイドカフェならぬ執事カフェが人気らしいだの、楽しそうに説明をしている。
一体どこがそんなに気に入ったのか、執事についての知識は久保田よりも上のようだ。
「ふーん。で、なんで俺が執事?」
「だってさ、執事ごっこすんなら、俺より断然久保ちゃんだろ。どう考えても俺が王様って感じだし」
「王様じゃなくてご主人様でしょ。まぁいいけど」
「あの執事服あったら久保ちゃん似合いそーだけど、仕方ねぇな。いつもの格好でイイや」
「うん、で俺に選択の権限はないわけやね」
「おう」
何かと世間の話題に影響されやすい時任。
ここ最近、穏やかすぎる日々に飽き飽きしていたのだろう。平凡な日常の暇つぶしといったところか。
久保田はふっと頬を緩めると、文句も言わずため息一つで了承したのだった。
「久保ちゃんコーヒーちょーだい」
「はい、かしこまりましたー」
「あ、俺マンガ読みたい」
「どーぞこちらです」
「今日の夕飯なに?」
「カレーですが」
「げ、パスタがいいな」
「イヤなら食べなくても」
「いや食べます」
「よろしい」
執事であってもそこは久保田。
ご主人様の好き嫌いは許しません。
頬を膨らませつつ、本当に怒らせたら夕飯が無くなると悟ったのか、時任は「カレーうれしいな」と即興の歌までも披露して見せている。
さて、このお遊びはいつまで続くのか。
「時任様、風呂の用意ができました」
「おぅ、じゃ先にいただくぜ・・・ってなんでついてくんの?」
「お背中お流しします」
「へ?い、いやいいって」
「執事たるものご主人様の手となり足となり。さぁ脱がせてあげましょう」
「うわっ!ちょ、久保ちゃんっ、あっ・・」
「さ、隅々まで洗って差し上げましょうね?」
「ぎゃ―――!!」
浴室から響いた時任の声は、それからパタリと聞こえなくなった。
そうして1時間後。
肌を桃色に染めた時任は執事の腕に抱かれてソファへと運ばれた。
どうやら湯あたりしたようである。
「あーあ、そんなにのぼせて」
「だっ、誰のせいだよ!」
にやりと笑う久保田に、時任の力ない右手が飛ぶ。が、その反動でくらりとめまいを起こした時任は再びソファに沈みこんで、情けない声をあげた。
「み、水〜」
「はいはい」
一気にグラスの水を飲み干し、落ち着いたところで、ようやく時任は何かに気づいたようである。
「・・なぁ、これっていつもと変わらなくないか?」
「何が?」
「いや、執事って確かにピシっとしてる感じだけどさ、やってることっていつも久保ちゃんがしてることと変わらないと思うんだけど」
「んー、そう?」
「ん。執事ごっこの意味ねぇな。やーめた」
「あれ、もうやめちゃうの?」
「なんだよ、もっとやりたかったのか?」
「そりゃあ、就寝までご主人様の面倒を見たかったからね」
「そうか?じゃあ寝るまでにするか」
「了解。・・眠るまで、ね」
さて、どうやら執事ごっこの期限も決まったようだが。
なにやら雲行きが怪しくなってきていることに、ご主人様は気づいているのだろうか。
それから二人仲良く夕食をとって、ごろごろといつものように過ごして、気づけばもう夜半過ぎ。
「さて、そろそろ寝るか」
ソファの上であくびを一つした時任に、久保田がにっこりと微笑んだ。
「はい、かしこまりました」
「うわっ!な、なんだよ、久保ちゃん」
「寝室までお運びしますよ、ご主人様」
「い、いいって、おろせっ!」
ジタバタもがく時任を再び軽々と抱き上げると、楽しそうに鼻歌を歌いながら寝室へと向かった。
顔を赤くしてぎゃーぎゃー言う時任をベッドに下ろし、久保田は妖艶な笑みを見せながら眼鏡を外す。
「さ、ご主人様が眠るまで、お勤めさせていただきますね」
「へ・・・?」
眠るまで、子守歌でも聞かせてくれるのか、とそんな予想が当たるはずもなく。
「眠るまで」が期限であるのだから、寝させなければいいという、どこぞの下克上執事の屁理屈故。
翌日、時任は寝不足な眼で、二度と執事ごっこなど言い出さないことを誓うことになる。
結論。
平凡な日常こそ、何事にも代え難いものである。とさ。