―――それは満月の夜だった。
繁華街の灯りでも敵わないほどの強い月の光が、何にも隠されることなく悠然と輝き、俺の行く先を照らしてくれた。
こんな夜は、体中の力がみなぎり、本能的に血が騒ぐ。
いつもであれば、寄り道をして、食事をするべく美しい獲物を求めて彷徨うはずだった。
ところがその日は毎日のように通っていた賭場にも酒場にも寄らず、獲物を物色することもなく・・。いつもとは違う路地裏に足を向けていた。
それは偶然ではなく、神秘的な月の導きだったのだろうか・・・?
空腹な体とは裏腹に、心は妙に落ち着きを持っていて。
一族ではまだ若い俺だが、この体で生きてきて初めての経験だった。
こんな道もあったんだと、真っ暗なはずの裏通りを歩きながら、見つけた小さな君は、まるで月のように金色に光輝き、信仰とは無縁な自らが属する闇とは相反する存在、――たぶん、ヒトから神様と呼ばれるような、そんな尊い光を感じた。
――無縁であるのに、なぜそう思えたのか。
とにかく初めて光を感じた俺にとっては、酷く眩しかった。
そしてそこでも俺の反応はこれまでにないものだったと思う。
自分の姿をも浮き上がらせてしまうような月の光など、闇に紛れて生きる俺たちにとっては邪魔なだけ。ただ消してしまえばいいはずだったのに・・・。
なぜ、そうしなかったのか・・。
「・・・もしもーし」
「・・・・・んっ・・」
路地裏にうずくまっていた君は、俺の呼びかけに僅かにまつげを揺らした。
君はまだ小さな子供だったけれど、ヒトだったと思う。それは少なからず、俺と同じような体をしていたから。ヒトの姿形をしていれば、人間か吸血鬼しかいない。俺と同種であれば、匂いですぐに分かるから、答えは一つだった。
見たところ外傷はないが、かなり衰弱しているようで、このまま放っておけば死んでしまうかもしれないと思った。ヒトは弱くて脆い生き物だ。
この時代、何度と無く見た光景。餓死する人間など腐るほどいる。
暗い影で野たれ死にする生き物のことなど、今まで気にしたこともなくて。たぶんここを通らなければ今日も素通りするはずだった。
けれど、なぜか俺は足を止め、君に見入った。
体中の血が逆流したように、体の異変を感じたのは、君を狩ろうとしたからでは、――決してない。
古い建物の隙間から差し込む月の光が、君の頬を照らし、サラサラと額にかかる髪の毛がキラキラと光る。
なぜ、そう口にしてしまったのか。
「ねぇ、うちにくる・・・?」
「っ・・・・」
僅かに開いた瞳が物言いたげに光を帯びたが、それは言葉にならず、再び閉じられた。
目が眩むほどの光に、自ら触れようと手を伸ばしている俺は、本当にイカレてしまったのか。
気づけば俺は荷物を抱えるように君の体をかつぎ上げて、歩き出していた。
家路を辿りながら、初めての感情と肩の小さな重みに、自嘲するような笑みを浮かべる。
ただ・・、俺は、もう一度、その瞳が見たいと思った。
「・・久保ちゃん、何見てんの?」
「んー、・・月がキレイだなぁと」
「ああ、ホント。すげーまん丸だなー・・」
隣で俺と同じように空を見上げて笑う君を見て、くすりと笑みがこぼれる。
記憶の中の君は今よりもずっと幼くて、小さくて。それでも俺を見上げる瞳は変わらず、真っ直ぐで酷く眩しい。
思わず目を細めて見つめていると、時任は怪訝な顔をして俺を見つめ返した。
「なに?」
「いや、お前を拾った時のことを思い出してさ」
「なんだよ、いきなり」
「俺はお前に会うまで、偏食家だったなぁと・・」
「――ああ、そりゃ仕方ねぇよな。吸血鬼つったら美女の血肉を好むって決まってるからな。・・まさかまたそんなキモチワルイもんが食べたいなんて言うんじゃねーだろうな?」
「いんや。昔の話でしょ。それに俺は美女の血はいただいても、その体を傷つけるようなことはしなかったんだけどなぁ・・」
「どっちにしても、やめろよ。美女を狙うなんて変態親父のするこった」
「変態だからねぇ。・・ねぇ、それってもしかして妬いてんの?」
「だれが!おまえは俺のもんだろうが、妬く必要もねぇよ!」
「ふーん、じゃあさ。――今夜、いいかな?」
「――っ。・・べつにいーけど、・・ちゃんと、止めろよ?」
「もちろん。おまえの血を全て奪うような真似はしないって」
そう言って笑みを浮かべると、時任は少し戸惑ったように、それでいて照れたような顔をした。何度も身体を重ねていても、未だに慣れず薄く頬を染める様子を愛しく思いながら、細い体を引き寄せて口づける。
そのまま抱き抱え、ベッドに運んで、――組み敷いた。
感じやすい場所をくすぐると紅潮する頬。ぴったりと触れ合うと大きく高鳴る鼓動。
どこか甘い匂いと掠れた声。
―――すべてが愛おしい。
お前を拾ってからもう何度、この体を求めたことだろう。それなのに、飽きるどころかどんどん欲求は深まっていて・・。
もっと・・、もっと、欲しい。
俺はいつでも貪欲に、お前を求め続ける。
ただ淡々と奪うことしか知らなかった俺が、お前にだけ感じるこの欲求は、俺の元来の血が成せるものだとは到底思えない。
「・・時任・・・・」
「うっ・・ああっ―――!」
反動でしなる体を抱きしめながら、何度も突き上げる。
恍惚な色っぽい表情にゾクリとしながら、首筋に舌を這わせて囁いた。
「時任、お前を、ちょうだい・・?」
それに感じたのか、きゅっと俺を締め付ける力が増す。そのせいで限界に近づいていく自分に苦笑しながら、舌で柔らかくくすぐっていた首筋に、ツプリと歯を立てた。
「んあっー!」
ヒトにはない鋭く尖った歯は易々と柔らかい皮を突き破り、すぐに暖かい温もりがゆるやかに吹き出す。
―――ああ、甘い・・・。
舌先で感じる血は痺れるような感覚で、なぜかいつも、とても甘かった。抱きしめたまま突き上げる動きはそのままに、温かいそれを吸いすぎないように、嘗めとりながらコクリ、コクリと飲み込んでいく。
俺にとって媚薬のような時任の血。俺はいつもそれを加減していただいているけれど、びくびくと俺の動きに震えながら、苦しいくらいギチギチと締め付けよがっている時任を見ていると、つい歯止めが利かなくなる。
このまま全ての血を飲み干し奪い尽くしてしまいたい。
そんな衝動にかられながら、一滴もこぼさぬように味わうと、胸の中がどくりと熱くなる。
それに呼応するかのように、時任の感度があがった。
「くっ・ぼちゃっ・、も、ダ・メッ・・!」
ガクガクと揺さぶられながら、焦点の定まらないとろとろな表情に煽られ、俺も限界だった。
ペロリと自分が作った傷口を舐め上げ血を止めると、時任の前を扱き放出させる。
「あっ―――!!」
「っ・・!」
ビクビクと自分をキツく締め付けるその中に、おもいっきり吐き出した。
―――もう、手放せやしない。
「あたま、クラクラする・・」
「ごめんね。ちょっと加減がきかなくて・・」
なんとか理性を駆使して止めたつもりだったが、どうやら少しばかり頂き過ぎたようで・・。ベッドに沈み込んだ時任が恨みがましい目で見上げてくる。
「気をつけろよ。死んだらエッチどこじゃねぇだろ」
ぷいっと視線を外した時任の首筋には赤い二つの跡。傷跡はすぐに治せるけれど、この赤い跡は古傷のように消えない。俺はいつもその痛々しい跡に、新しく牙を立てる。
「うん。ゴメン・・・。」
お前を傷つけたいわけじゃないのに・・・。
ねぇ、時任。
こんなに大事で、愛おしくて、お前を欲して求めていながらも、一瞬でも全て奪い取ろうとした俺を、お前はどう思うだろう。
お前はヒトで、俺は吸血鬼。
いくら血を吸おうがお前が吸血鬼になることはない。そんな迷信が真実ならどれだけよかっただろう。
俺はこれから永遠に生き、お前はあと数十年で死ぬ。
―――それならば、いっそ。
お前が俺を残して逝くのなら、いっそ、俺の手でお前を・・。お前を、俺のものだけにしてしまおうか。
そんな俺らしい想いに、お前はたぶん、とっくに気づいているのだろう。
・・それなら早く、逃げてしまえばいいのに。
ふと、時任が目を合わせた。
「久保ちゃん。ちゃんと栄養取るから、次は、それまで待てよ」
「・・・うん。」
次を許してくれるの?
お前は本当に優しいね。恥ずかしそうに再び目線を外した時任は耳まで赤い。
俺の食事は今やお前だけだから、それを心配してくれてるのだろうか。
幼いお前は、血を求めた俺を受け入れてくれた。SEXして高ぶっている時の血が一番美味しくて、腹持ちするんだと言うと、時任は顔を真っ赤にしながらも、俺のためならと身を預けてくれた。
それからはいつも優しく壊れモノのように触れてきたけれど、たまにこういう風に激しく抱いてしまう。
心も体もお前の血も、全てを俺だけのものにしたいというどうしようもない高ぶりと、お前の笑顔をずっと見ていたいという甘い想いが、紙一重に存在して。それはとても危ういバランスで俺の中にあった。
貧血をおこした時任はすでに夢の中。
ぐっすりと眠る時任の青白い頬に、そっと手を添える。
―――温かい。
この温もりを失いたくない。
形のよい唇に、触れるだけのキスを落とす。
それは決して手放さないという俺の誓い。
時任――。
今宵、君に誓おう。
永遠に、君とともにあることを。