日常
  



  

「時任――、俺。開けてー」


チャイムの音が1回。聞きなれた声が扉越しに響いて、俺はすぐに腰をあげた。

冷たい廊下をぺたぺたと足早に歩き、乱暴にチェーンを外して玄関を開ける。


「ただい・・」

「おっせーよ、久保ちゃん!どこまで買い物行ってんだよっ」


買い物袋片手にぬぼーっと突っ立っている男に、俺は開口一番不機嫌に言った。




久保ちゃんが買い出しに行くと出ていってから、2時間。いったいどこのスーパーまで行ってたのか。

腹減ってイライラと待っていた俺は、ちょーっと怒りモード。


「あー、悪い。ちょっとそこで知り合いとばったり会っちゃって。ハナシに花が咲いちゃったんだわ」

「・・久保ちゃんが?ばったり会ったやつと長話?めっずらしーな。・・相手は誰だよ?」

「うーん、まぁ、お前の知らないヤツ?――それより腹減ったっしょ。夜飯、ラーメンでいい?」

「・・・・いい」


俺の知らないヤツ・・だぁ?


―――だーかーらっ、それが誰なんだって聞いてんだろーがっ!!


いきなりハナシを逸らすように先にリビングへ戻っていく背中を睨みながら、心の中で毒づく。

けれど、どうやらあまり触れて欲しくないらしいとその態度から分かるせいで、コレ以上聞くに聞けない。どーせ聞いたって、はぐらかされるのだと分かるから余計に聞きにくい。


っつーか。なーんか、様子がおかしくねぇか・・?


スーパーへカレーの材料を買いに行くと言って出ていった久保ちゃんが買ってきたものは、コンビニのカップラーメンとおにぎり。

しかもそこのセブンだし。いくら知り合いに会ったからって、2時間もかかるかよ。フツー。


久保ちゃんに”普通”を求めてもいけないと思うが、何かが少しおかしい気がした。


そのときテーブルから何かがボトリと落ちた。

目で追うと、そこにはコロリ床を転がるカップラーメン。開ける前でよかったと拾う久保ちゃん。


「・・・・!」


その姿を見て、俺は目を大きくした。

―――今、動きが少し・・・。


「――久保ちゃん、ちょっとこっち来て」

「んー?今お湯沸かしてるから・・」

「いーから、来い」

「・・・・はいはい。」


ある疑惑を確かめるために、強引にソファに呼んで座らせる。

そしてのんびりとした顔を見下ろし、おもむろに口を開いた。


「脱げ」

「・・なに?時任君からのお誘い?・・せっかくだけどまだご飯もお風呂もまだだし・・」

「脱がされたいなら、それでもいーけどな」


加減の利かない右手を差し出してみて、びりびりに破られたくなければという脅しの意味を込めて言う。

すると久保ちゃんは目を細めてふぅと息を吐いて、困ったように笑った。


「どうせならもっと色っぽくお願いされたかったんだけど・・」


そう観念すると、ボタンを一つずつはずして着ているものをぱさりと脱ぎ捨てた。

途端に露わになる久保ちゃんの肌。引き締まっていて骨ばった体は俺から見ても細身で。けれど意外と筋肉はついていて、触れるとしっとりと温かいことを知っている。


「・・どじったな、久保ちゃん・・」


そっと伸ばして触れた指先が痛々しい痕を見つけて、俺は眉を寄せて呟いた。

するとすぐ側で、ふっと笑う気配がして、笑ってる場合じゃねぇだろとその目を睨み付ける。


久保ちゃんの腹部に付いた、真新しい傷。

昨日までなかった傷は、ヘソ近くから左脇腹に渡って刃のようなもので切られていて。

ナイフかなんかで、いきなり切りつけられてとっさに避けたけれど、刃の切っ先が当たってしまったといったところか。

血が止まったばかりらしく、赤黒い血が盛り上がったまま固まっている。


ったく、なーにが知り合いと長話だ。なんかおかしいと思えばやっぱこういうことか。

大方因縁があるやつらにいきなり襲いかかられたんだろう。


「そんなに痛くないから、大丈夫。・・時任?」


安心させるように微笑む久保ちゃんを無視して、俺はくるりと背を向けると、救急箱を手に久保ちゃんの目の前に座りなおした。

改めて見れば縫う必要があるんじゃないかっていうくらいパックリ割れていて、こんなのが痛くないわけがない。明日にでも、モグリに診てもらった方がいいのかもしれない。


無言で消毒液をダバダバと脱脂綿につけて、ぐいぐいと傷口に当てる。

久保ちゃんは表情一つ崩さずにぼんやりと口を開いた。


「・・・あのー、痛いんですけど・・」

「当たり前だ。痛くねぇわけねぇだろーが。痛くしてんだから」


するとなにがおかしいのか、全く痛くなさげな穏やかな顔でくっくっと笑う。

優しい笑みを間近で見た俺は、つられて頬が緩むのを戒めて。代わりに大げさにため息をついてやり、今度は慎重に傷の手当てを始めた。

ちょいちょいと傷口を消毒してガーゼをあてて、テープをなるべく痛くないように貼り付けていく。

それは前に俺が怪我した時、久保ちゃんにやってもらったまんまのこと。

あのときは俺、優しくしてくれてんのにぎゃーぎゃー痛いって喚いてたっけ。

なのに久保ちゃんは手当が終わるまで、じっと黙って俺を見つめていた。

その視線に気づいて、目を合わせる。


「ったく。・・ちゃんと言えよ。痛いとか、誰かに襲われたこととか」

「・・だって、大したことなかったし。結局返り討ちにしたし」

「そーゆー問題じゃねぇの!俺がなにも知らずにいるってコトに、我慢ならねぇんだよ。・・・久保ちゃんが痛くなくても、そんなの、俺が痛い・・・」


久保ちゃんはたまにこんな風に、傷をこさえて帰ってきたりする。小さな傷もあれば一歩間違えれば死んじまうような傷も。

俺自身追われる身だから、今更珍しくもねぇんだけど、そーゆーのは知っておきたいと思うのはふつうじゃねぇか?


だってもしかしたら相手の狙いは、久保ちゃんじゃなく俺だったりもするわけで・・。

そんなんで久保ちゃんが傷つくなんて、俺には耐えられないから。

久保ちゃんの痛みは、俺も受けていたい。そんな風に思うから・・。

素直にそう口にすると、久保ちゃんは服を羽織りながら真面目な顔して言った。


「うーん・・、時任が痛いのは・・イヤだなぁ。」

「・・あのなぁ・・」


そうなると根本的な話が違うんだけど、と突っ込みたくなる。


肌で感じる痛みとか、喜怒哀楽の感情とか。

痛覚が麻痺してんのかって言いたくなるくらい、久保ちゃんは反応が薄い。っつーか鈍い。

だけどそれは、反応を示さないだけで、決して痛くないわけじゃないことを、俺は知っている。

たぶんそれは、久保ちゃんのこれまでの生き方から自然に備わったもので・・。そうせずにはいられないトコロで生きてきたせいで、必然と身に付いた処生術ってやつなんだと思う。

感情も痛みもすべて麻痺してしまうような環境って、俺には想像もつかないけれど。

”痛くなくていい”って久保ちゃんは言うけど、それがイイコトだとは思わないし、むしろ表に出せるコトのほうが感情的で、ずっと人間らしい。


普通なら呻きたくなるような傷も、眉一つ動かさず平静でいる姿は、なんだか切なくて。俺の胸をきつく締め付ける。

それが”久保ちゃん”なんだけど、それでも俺は、俺の前でだけは、少なくとも耐えてほしくないから。

小さな痛みも、少しの感情の起伏も。


だけどこいつはほんっとーに自分のコトに関してはもの凄く疎いんだよなー。

どうしたもんかなと、久保ちゃんの隣に腰掛けて、今度は軽く言ってみた。


「お前がなにも言わないなら、俺も言わないからな。なにがあったとか、痛いとか、辛いとか、腹減ったとか」

「・・・それは困るなぁ。腹減ったって言ってくれないとご飯作るタイミングわかんないし」

「はぁ?そーいう問題かよ?」

「それに痛いかどうか言ってくんないと、俺も困る。時任が痛いままシタくないし、気持ちよくなってもらいた・・」

「――って!なんの話しだっ。俺は、久保ちゃんに、俺だけには我慢せずに何でも言ってほしーって思ってんだよっ。ホラ、よく言うだろ?嬉しいことは2人なら2倍。痛いことは・・なくなんねぇかもだけど、つまりだな・・」

「”痛みや悲しみは半分に”でしょ?」

「そー!それ」

「・・・ごめんね。癖みたいでさ。・・でもちゃんと時任には言ってるつもりなんだけどな」

「ほんとかよ?」

「うん。”気持ちいい”とか”愛してる”とか」

「〜〜!」

「俺には今まで感じたことない、衝撃的すぎる感覚だからさ。それを与えてくれるのも、素直に言えるのも、お前だから」


カァ―――ッと音がしそうなくらい、顔が火照る。

そういやいつも、あん時はしつこいくらい言ってくるし、言わせたがるのを思い出した。

その反応に気をよくしたのか、にやりと笑う久保ちゃんの顔が徐々に近づいてきて。


「そんなに聞きたいなら、今すぐ聞かせてあげてもいいけど?」

「わっ、ちょ、たんま!お前怪我してんだからっ・・」

「―――愛してるよ」

「!」


耳元で囁かれて、かくんと力が抜けて。狙ったように押し倒されて、唇を塞がれた。自分のコトを表に出さない久保ちゃんが、真剣に紡ぐ言葉は痛いほどに俺の胸に入ってきて・・。

やば、流される。って思いながら、同時にひどく心地よく感じている自分がいた。


「あっ・・、久保ちゃ・・」




”ビィ――――――ッ”




不意に鳴り響いた、耳障りな警告音。

それを日本語にすれば、”沸きましたよ――――っ”ってとこだろう。

やかんを火にかけたまんまだったことに気づいて、「あ」と二人で顔を見合わせる。

それに呼応するように俺の腹がグルルルと鳴り、どちらともなく、ぷっと笑みがこぼれた。


「腹減ったな・・」

「そうね。飯にしますか」

「おう!」


にっと笑って起きあがり、ソファに座ったままの久保ちゃんに手を差し出す。


「傷、痛むか?」

「・・・うん、痛いかな」

「じゃあ、俺がラーメン作ってやる」


少しだけ目を開いた久保ちゃんがじっと俺の顔を見つめたあと、よいしょ、と俺の手を借りて立ち上がる。


「・・・ありがと」


そう言った目がすごく穏やかで、優しくて。

それだけで十分、久保ちゃんの気持ちが伝わってきた気がした。


「まぁ、作るって言ってもお湯入れるだけなんだけどね」

「なんか言ったかー?」






暗い闇といつも隣り合わせな中で、感じる幸せ。

分かりづらくとも、確かに俺のすべてがここにある。

そんな日常。




WAの二人には流血が日常かな、と;

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