「えーっと、この部屋で間違いねぇよな・・」
草木も眠る、丑三つ時。
こっそりと一人呟きながら足を踏み入れた一室は、この屋敷の主の書斎だった。
真っ暗な部屋の中、なんとか目が慣れてきて机や本棚の場所は分かるものの、小難しい本の題名までは読めそうにもない。
だったら明かりをつければいいって話だけれど、泥棒が煌々と明かりをつけていいはずがなかった。
そう。俺は今、”ある物”を盗むために、”不法侵入”している真っ最中なのだ。
―――――話は数時間前に遡る。
いつもなら久保田と一緒に、しぶしぶ足を向けるような場所、東湖畔――。
時任は今日、ワケあって一人でそこに訪れていた。
この店の主人である鵠は、いつものように怪しい笑みを浮かべて向かい入れ、テーブルに茶器を並べると、数枚の紙を時任の目の前に置いた。
「お調べの物ですよ。朝倉キヨミさん、68歳。数年前に夫に先立たれ、横浜郊外の豪邸に現在一人暮らしをしています。子供はおらず親戚も近くにはいないようですね。ただ、最近夫の遠い親戚だという男が度々訪れていたようです」
「ふーん、じゃあ、この男が?」
2枚目の紙を指して尋ねると、鵠は笑みを浮かべて頷いた。
「春日弘樹、40歳。横浜市在住。10年前に不動産を起業していますが、色々とアクどい事をしているようで悪い噂が絶えないようですね。それも悪知恵は働いても経営の手腕は持ち合わせていないようで、かなりの赤字経営のようですよ。」
「じゃあやっぱりそいつが・・」
「ええ。違いないでしょう。――こちらがその家の住所と見取り図です。おそらく、”捜し物”が保管されているのも、この屋敷だと思われます」
時任は感心したように目を大きくした。
その見取り図とやらには、どこに窓があるだの、配線や警報器の位置まで記されている。どうやってこんなの入手したのか。
「よし、じゃあ早速行ってくる」
しかしこれだけあれば十分だと、時任は意気揚々と目を輝かせる。
するとコウは途端に真剣な顔で呼び止めた。
「本当に、盗むつもりなのですか?」
「――盗むんじゃねぇよ!取り返すんだっ。大事な家を奪い取ろうとしてるようなヤツ許せねぇ。」
「・・そうですか。では、その前に。このキヨミさんと時任君の関係を聞いてもよろしいですか?」
「カンケー?・・・・・他人だろ。」
「・・ですよね」
時任が朝倉キヨミという老婆に出会ったのは数日前のことだった。
身なりのいい、品の良さそうな老婆が、普段ヤンキーがたむろするような夜の公園のベンチに一人座っているのを見かけたのは、コンビニからの帰り道のこと。
年老いた女性が暇を潰すには、あまりにも不似合いな場所。具合でも悪いんだろうかと気になって、声かけてみると、その老婆は静かに首を横に振って微笑んだ。
しかしその笑みはひどく悲しげで。何かを感じた時任はそのまま一人にしておけず、その老婆の話し相手になったのだった。
彼女は広い屋敷で一人暮らしをしていた。親戚も子もおらずたった一人での生活だったが、死んだ夫から受け継いだ大切な家であるから、一人で寂しいと思ったことはないのだという。
夫との思い出をいつも感じられる生活、死ぬまでその家で暮らすことが彼女にとってなによりの幸せだった。
しかし、その幸せは突如、奪われようとしていた。彼女はもうすぐ出ていかないといけないのだと、苦しげに眉を寄せた。
話を聞けば、遠い親戚と名乗る男が現れ、言葉巧みに家の権利証を奪われてしまったのだという。
彼女は何度も泣いて返してくれと頼んだが、男は取り合ってもくれず移転登記の申請をして、法律的に自分のモノにしようとしているという事。
その前にどうしても考え直してほしくて、その日男を訪ねた彼女だが、門前払いをくらい途方に暮れていたということだった。
「あの家には、あの人の・・、思い出や温もりがたくさん残っているの。・・手放すなんて・・・」
震える両手をぎゅっと握りしめ、苦しげに目を細める。
悲しげな表情にはどこか、諦めにも似た空しさが窺えて。
時任は、それが無性に悔しくて、たまらなかった。
「婆さん!諦めんなよ!大事なモンは守らなきゃダメだ!」
昔の思い出に悲しげに遠くを見つめて、震える小さな老婆。大事な人を失い、その思い出や匂いすら奪われてしまう。
・・・この世に、たった一人残されて。
それがどんなに辛いことなのか。
何かを、誰かに、重ねていたのかもしれない。
大切なモノがあるからこそ、分かる胸の苦しみ。
どうにかしてやりたいと思った。
「俺は行く。んで、ぜってー取り戻す」
根拠のない自信は得意とばかりに堂々と宣言すると、鵠は苦い笑みを浮かべたが、それ以上引き留めることはしなかった。その代わりに、最後に、ぜひとも聞いておきたい問いかけをした。
「時任君。このこと、久保田君には・・」
「――言ってねぇ。お前も絶対言うなよ」
思ったとおりの答えだったのか。表情の読めない顔で、鵠は素直に頷いたのだった。
―――久保ちゃんは巻き込みたくない。
ただでさえ抱えるモノの多い俺たち。
これは自分が勝手に持ち込んだ問題だから。
自分一人でなんとかしてみせる。
鵠の情報はかなり正確だった。警報機の位置や侵入しやすい窓の位置も。
けれど容易に目的のモノがあるだろう部屋に入ってこれた理由は、それだけじゃなかった。
不思議な”運”が味方をしてくれている。そうとしか思えなかった。
警報機は切る前からすでにスイッチが切れていて、侵入経路の窓の鍵は不用心にも開いていた。そのおかげで時任は難なくその部屋を捜し当てることができたのだった。
「さて、どこにあるんだ?」
書斎机の後ろのカーテンを少しあけ、差し込んだ月明かりを照明に、部屋を見渡す。
行けばなんとかなるだろうという体当たりの行動も幸運のおかげで上手く運んでいるが、ここからは大捜索だ。とりあえず片っ端から、目的のモノを探すしかない。
静かに素早く、探したところは元通りにして痕跡を消す、泥棒のノウハウは鵠に教わっていた。忠告どおり、左手にも皮の手袋をはめてきている。
壁際の書類棚を端から開けてみながら、壁掛けの絵画に気づいて、ふと思い立った。
・・・そういや、ドラマとかでよくに絵の裏とかになんか隠したりしてあるっけ?
まさかな、と冗談みたいに覗いてみると・・・、大きな額縁をはずした裏に、どっしりとした金庫が姿を現して、時任は目を丸くした。
シルバーのBOXタイプの金庫がしっかりと壁に埋まっていて。それを開けるにはテレビで見た鍵師でも呼ばないと無理だろうというような頑丈な造り。
「・・・マジかよ、こんなのどうやって開けるんだよ?」
思わず匙を投げそうになる。
しかしなんとか自分を奮い立たせて、ヒントになりそうなものがないか、書斎机を探ってみることにする。
「案外鍵が隠してあったりして、・・ん・・・?」
引き出しを開け閉めしていて、ふと、机の上に束ねてあった書類に気づいた。
窓の明かりを頼りに書類の文言を見てみると、「権利証」という文字。
ハッとして慌てて鵠が用意した資料と見比べてみて、捜し物と全く同じことが書いてある書類を手に、唖然として呟いた。
「――――へ・・?・・コレ・・?」
そう、それこそが、今回の目的である物だったのだ。
金庫の中にあると思っていた重要書類が、無造作に机に放置されていた。
一体どういうことなのだろう。
金庫に入れる価値のないものなのか、それとも入れ忘れたというのか。
もしや偽物かと目を凝らして何度見直してみるが、どう見ても目的のモノにしか見えない。
しばらくにらめっこしていた時任だったが、腑に落ちないといった表情であるものの、結果手には入ったのだからいいかと、持ち前の前向きさを発揮して、早々に屋敷を立ち去ることにしたのだった。
「えっと、こっちだっけ・・?」
来た道を確認しながら、そろりそろり戻っていたその時だった。
不意に視界が明るくなった。
「!?」
廊下の照明が一斉に点いたのだ。そしてそれと同時に、けたたましい警報音が鳴り響き、飛び跳ねた。
―――ま、マズイっ!!
警報装置を切っていないエリアに間違えて足を踏み入れたため、警報が作動してしまった、ということに気付いた時には手遅れで。屋敷の住人が目を覚ましたらしく扉を開ける音が聞こえて、時任は咄嗟に近くの部屋に逃げ込んだ。
幸いその部屋にはひとけはないが、どうやら不法侵入がバレてしまったらしく、遠くでパニックになった住人の声が聞こえる。
「くっそ、しくった!」
慌てて地図を広げて脱出口を探すが、ここは4階。部屋に窓はあるが、手近な木もなければ、外壁は伝って降りれるような造りでもない。
かといって堂々と階段を下りて移動するのは危険すぎる。
「どっ、どーすりゃいいんだ!」
バタバタと足音が近づき、冷や汗を流しながら喚きださんばかりに唸る。
いっそこっから飛んでしまおうかと、窓から下をのぞき込むが柔らかなクッションになってくれそうなものはなかった。
そのときだった。
パラリ、と上から何かが首横を通って落ちてきた。
ビクリとして見上げると屋上から地面まで垂れた長いものがぷらり目の前にぶらさがっていて。
「ロープ・・?な、なんでこんなとこに・・?誰が・・」
見上げても真っ暗な空で、人の姿は見あたらなかった。
誰かが、自分を助けようとしてくれている・・?
そう考えて胸に突っかかっていた何かが、動いた気がした。
思えば初めから、すべてがとんとん拍子で。
難なく侵入できたのも、目的のものを手に入れられたのも・・・。運などでなく、誰かが手伝ってくれているとしたら・・。
けれど、それ以上考えてる暇もなかった。すぐ近くまで足音が近づいている。
時任はロープを引っ張ってみてしっかりしていることを確認すると、ひらりと窓から飛びだした。
そのままするすると伝って無事に着地すると、脱走経路である裏庭を突っ切って全速力。
門壁にかけてあったロープをよじ登って外へ出ると、鵠に用意してもらった迎えの車に飛び乗ったのだった。
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「お疲れさまです。うまくいったようですね」
その足で東湖畔に戻り、資料を渡す時任に、鵠はにっこりと微笑んだ。
「まぁ、なんとかな」
「あとはお任せください」
とりあえず盗んだモノは本物だったことに、ほっと息を吐く。
あとはすべて鵠が立てた計画通り、入手していた会社の不正の証拠を送り付け、この家には手を出すなと脅しをいれる。老婆には権利証を匿名で送る手筈。
元々無理に奪い取ったもの、相手は警察に届けることもできないだろう。
すべてが思惑通り。きっと老婆も喜んでくれる。
けれど時任は手放しで喜べずにいた。
胸に突っかかっていた問いを鵠に向ける。
「・・モグリ、久保ちゃんには、言ってねぇだろうな?」
「ええ、もちろん」
「・・・・・・」
―――誰かが手伝ってくれていたとしたら、それは・・・。
すぐさま返ってきた返答を素直に飲み込めないまま、時任は東湖畔を後にした。
「ただいま・・」
「おかえり、随分遅かったね」
マンションに帰ると、久保田がいつものようにのほほんとした細目で出迎えてくれた。風呂上がりらしく、タオルを肩にかけて髪から滴が垂れている。
遅い風呂。どこかへ出かけていたのだろうかと、ちらりと思う。
リビングのソファに腰掛けて、がしがしと髪を乾かしている久保田に視線を向けた。
「・・なぁ久保ちゃん、今日、どっか行ったか?」
「家にいたけど。なんで?」
「いや、何してたんだろうと思って」
「うーん、ヒマだったから、これやってた。お前がクリアできないって言ってたやつ」
「・・って。あ――っ!久保ちゃんっ、まさかこれ最後までやったのか!?」
「うん。クリアしちゃった。ちょっと手こずったけどね」
「ひっでー、帰ってからやろーと思ってたのに!」
「ごめんね、おもしろそうだったから」
全然すまなそうでなく笑う久保田に、ぷぅと頬をふくらませて、そして、なんだ、と拍子抜けした。
1日ではとてもクリアできないRPGのゲーム。それをやってのけたということは・・・。
・・・久保ちゃんは家にいた。俺の思い過ごしだったのか・・。
「でもねぇ、時任が急に一人で外出しちゃうから、ヒマだったんだよねー。せっかく俺も休みだったのに」
「あー、ワリィ・・、ちょっと散歩に出てみたら色々あってさ・・」
「ふーん。まぁ、いいんじゃない。たまには色々散策してみるのもね?」
「だろ?」
「でも次は、俺も連れてってほしいなぁ。ほら、俺一人じゃまたゲームやりこんじゃうし」
「あーうん、そうだな。じゃ次はそうする」
曖昧に返事をしながら、ようやくほーっと長い息をついた。そういえば今日は一日心身ともにハードで、ある意味充実した一日だった。
急に脱力して深くソファに沈み込む時任に、久保田は柔らかい笑みを浮かべて言った。
「冒険もほどほどにね」