嘘【3】

 


病院を飛び出して、汗でぐしょぐしょになるまで走って、気づけばマンションの下にいた。

出ていくたって、持っていく荷物なんて何一つないのに、自然と足はここに向いていて。

部屋の窓を見上げて、思わず帰りたいと思ってしまって、自分を戒めるように、ぐっと唇を噛む。


自分が言い出したことだろうが。


だいいち、あの部屋には久保ちゃんはいない。

そんな場所にいても、何の意味もない。

そうだ、出ていくんだ。と、自分に言い聞かせるように繰り返す。

今のうちに、行かねぇと・・。

久保ちゃんのカオ、もう一度見ちまったら、覚悟が鈍る。


「情けね・・・」


今までさんざん迷惑かけて、甘えてきたから、ほんっと今更なんだろうけど、今回のことで、思い知らされた。

自分のせいで久保ちゃんが死んじまうかもしれないっていう恐怖。

なんもかも分からなくなるくらい、目の前が真っ暗になって、体中が寒くて・・。

情けないほど、震えている俺がいた。


もう二度とごめんだ。久保ちゃんを失う恐怖なんて、もう・・、二度と、味わいたくない。


そんな思いに後押しされるように、マンションに背を向けて、歩きだす。


行く場所なんて、あるわけがない。

記憶なんて一ミリも戻る気配もないし、俺には過去も未来も何も分からないまま。


”今”しかない俺には、ほんとに、久保ちゃんしかなかったんだ。










ブ―ブ―ブ―


――携帯のバイブが鳴る。

確かめる間もなく、相手が誰かなんて、分かりきっていて。

この携帯は久保ちゃんにもらったものだから、どうしようかと迷いながら、結局返すことも電源を切ることもできずに握りしめていた。


街の喧噪を離れた暗い路地裏で、壁に凭れるように座り込んでいた俺は、何度目かのコ―ルの後、電話をとった。


『・・時任?』

「・・・・・・」

『時任、聞こえる?』


穏やかな久保ちゃんの声。

数時間前に別れたばかりなのに、懐かしく感じるほど、ぐっと熱い何かがこみ上げてくる。

今一番聞きたかった声が、心の隅まで染み渡っていく。

・・・・けれど。


「ん・・。聞こえてる・・」

『・・時任。』

「――荷物なんてねぇから、そんまま出ちまった。・・今、もうけっこう遠くにいんだけどさ、悪ぃ久保ちゃん、携帯持って来ちまった」

『・・・それは時任のものだから』

「・・・さんきゅ。」


”だから持っていっていいよ”そう背中を押されたようで、思わず空を見上げた。

引き留めてくれるなんて、期待でもしてたのか。

いや、違う。もう一度だけ、声が聞きたかったんだ。

だから、もうじゅ―ぶん。


「じゃ、俺も―行くよ。久保ちゃん、ちゃんと怪我治せよな・・」

『・・・・・・』


震えそうになる声に気づかれないように左手に力を入れると、手の中で携帯が小さくメキ、と音を立てる。

早く切ろうと思うのに、無言の久保ちゃんを待つようになかなか手が動かない。


「・・じゃあ、な」


そうしてようやく覚悟を決めたそのとき、


『時任、お前さ、”ウソ”――嫌いだったよね?』


今度は久保ちゃんの声がそれを遮った。


「え・・・・?」


ドキリ、と一つ鼓動が跳ねる。

突拍子もない言葉に、電話を切り損なったのもあって動揺を隠せない。そんな俺に構わず久保ちゃんは話を続けた。


『イイ嘘って、相手のためなんてキレイに聞こえるけどさ、実際は自分のためなんだよね。・・相手を傷つけないため、そんで実は自分が傷つかないため』

「・・・・・・」


久保ちゃんは、俺のウソにとっくに気づいてる。

そのことを、言ってるのだろうか。


『俺はウソって、嫌いじゃないんだよね。平気でつけるし。それに・・・、何が真実だって構わないからさ』


責められてる、気はしなかった。

怒ってる風でも責めるわけでもなく、むしろ久保ちゃんの声は明るくて・・。


『だけどさ、お前だけは・・。お前にだけは”真実”(ホントウ)でいてほしいと思う。俺にとって真実は、たぶん、お前だけだから。・・・だから時任にウソをつかれるのは・・嫌い、かな・・』


・・明るくて、どこか切ない声。

耳元から伝わる、そんな優しさが、俺を戒める。

苦しくなるほど。ぐっと胸を締め付ける。


見抜かれている。俺のことなんか、全部。

たぶん、行く場所なんかなくて、こうやって路地裏で途方に暮れてることや、これ以上久保ちゃんを巻き込みたくなくて、決意したことも。

そしてきっと、・・・心のどこかで、まだ、離れたくないと切に願っている卑怯な俺も。


「く・・ぼちゃん。俺は、俺は・・、ウソなんか・・」

『――だからさ、時任。』


それでもまだ言い訳がましくウソをつこうとする俺を、久保ちゃんの柔らかな声が諭すように遮って・・、


『今日の夕飯。・・・カレ―なんだけど、いいかな?』


思いもかけないことを言った。


「・・・・・・・・は?」


たっぷりと間があいて、出た間抜けな声。

・・・ちょっと、待て。なんで、そうなんだ?


今、俺は久保ちゃんと今生の別れを惜しんでるところで、俺はもう出ていくって、久保ちゃんの声をきくだけで胸が苦しくて切なくて、・・・会いたくて。


それなのに、そんなのがすべてウソみたいな、いつもの、日常の久保ちゃんの会話。


”また今日もカレ―かよ?”そんな風に答えられたら、またあの場所に戻れるのだろうか。

そんな甘ったるいことを考えてしまって、慌てて首を振った。


「くっ久保ちゃん、何言ってっ・・」

『怪我なら心配ないよ。もう治ったから』

「そ、んなわけねぇだろ!あんな傷で・・」


あんな大ケガして、死にそうで・・。青白いカオで深くまつげに影を落とす久保ちゃんを思いだして、ぎゅっと眉を寄せる。


「ウソつくな。」

『・・・治ったよ。』

「久保ちゃんっ!」

『――ウソでもなんでも。こんな怪我のせいで、お前に出て行かれるって思ったらさ、死ぬ気ですぐに治して見せるけど?』

「・・・・っ」

『俺にとっては、お前に去られることのほうが、何倍もイタイんだよね。・・・情けないことに・・』

「・・久保ちゃん・・」


少し萎んだ言葉が、久保ちゃんの本心を伝える。

俺は目の奥が熱くなるのを、必死にこらえて歯を食いしばった。


『・・それに、お前は記憶が戻ったら出ていくんでしょ?なのに、まだ”こんなところ”にいるんじゃ、出ていけないっしょ』

「っ・・・!」


そのとき、俺はやっと人の気配に気づいた。


・・いつからそこにいたんだろう。

ほんの、数メ―トル先。

狭い路地の入り口に立つ長身の人影、座り込んだ俺はそれを見上げて、凝視した。

なんでここに、とか。どうしてここが分かったのか、とか。驚きの声は言葉にならなくて。


「また”ココ”に捨てられてんなら、喜んで拾ってくけど?」


携帯でなく、目の前の口が、そんな皮肉めいた言葉を紡いで、笑みを見せる。

俺は未だ立ち上がることもできず、携帯を左手に握りしめたまま、久保ちゃんを見つめ返した。


・・・そっか。こいつなら、分かるよな。


どこにも行く場所が見つからなかった俺が、いつの間にか足を向けていた場所は。

久保ちゃんとの、・・俺のすべての、はじまりの場所だった。


不意に、目の前に差し伸べられた久保ちゃんの左手。


見上げると、”帰ろうか”そんな言葉が聞こえてくるような、優しい眼差しと出会う。


「お前が帰る場所は、一つしかないって、知ってた?」


―――いつかの、逆。


・・・・・・なんだよ。

これじゃあ俺がバカみてぇじゃん。

なんのために、人が一大決心したと思ってんだ。


そのとおりだよ。

俺の行く場所なんて、他にはなかった。


そんなの分かりきってた。

―――久保ちゃんしか、ないなんて。

それを本当は、心底嬉しいと思ってるなんて。


情けなくて、なんだか悔しくて、何か言い返してやりてぇと思ったけれど。


だけど、俺はうまくウソをつくこともできずに、掴んでいた携帯ごと、久保ちゃんの左手を強く握りしめた。


「・・・知ってるよ、バ―カ」


そんな強がりな言葉と一緒に。



イイ嘘も悪い嘘も、結局は全部ただのウソで。

必死で紡いだ偽りの数だけ、真実が胸を深く締め付ける。

 

それでも君が、ここにいてくれるのなら。

きっとそれが、ただ一つの”本当”のこと。

 

 

 


むむむむ・・;WA欠乏症デス・・・Y(>ω<、)Y

 

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