久保ちゃんと微妙な感じになった日の翌日。俺は一限目から教室にいない久保ちゃんが気になって、気分が悪いと嘘ついて授業をフケた。
そこまですることもなかったんだけど、昨日のことがあって無性に気になって仕方なかったんだ。
探しに行く場所といえば、決まっていた。ここ最近ずっと二人で過ごしている場所。逆を言えば、そこしか思いつかなかった。
きっといるはずだ。いつもみたいにのんびりと煙草をふかしているに違いない。
いなかったらどうするかな、久保ちゃんの行動範囲を俺はまだ把握できていないから・・・、と考えながら屋上を覗いてみると、幸い久保ちゃんの姿があった。
―――だけど、一人じゃなかった。
「・・・あいつ、松本?」
扉の隙間から、並んで座る久保ちゃんと松本が見える。
松本は確か生徒会長で、クラスの奴らからも恐れられている。2、3年を押し退けて会長になるくらいだから、きっとすげぇ奴なんだと思う。
久保ちゃんの、知り合いだったのか。なんか、意外だ――。
肩を並べる距離が異様に近く感じたと思ったら、唐突にちくりと胃の奥が痛んだ。
・・・・ああ、また、だ。
あの女が久保ちゃんに寄り添っていた時と、同じ痛み。
これは一体、なんなんだろう。
そんなことを考えつつ話しかけていいものか迷っていると、二人の会話がところどころ聞こえてきた。
機嫌がどーとか、生徒会の特権がなんだとか。
なんのことだろうと、思わず前のめりになりながら、はっと我に返る。
・・・なんか、これって盗み聞きみてぇじゃね?
立ち聞きなんかみっともねぇよな、カッコ悪ぃ。俺は久保ちゃんを探しにきたのであって、盗み聞きしにきたわけじゃない。
――――やっぱり、戻ろう。
ホントは少し話をしたかったけど、背を並べた二人の間に割り込む勇気はなかった。
「最近、親しくつるんでいる奴がいるそうじゃないか」
きびすを返そうとしたときだった。そんな声が聞こえてきて、思わず足を止める。そして次に久保ちゃんの口から「時任のこと?」と俺の名前が出てきたときには、大きく心臓が跳ねた。
俺の話・・?それだったら、聞いててもいいよな。
なんだろう、とドキドキしながら覗き見る。遠目でも、松本が目を大きくしているように見えた。
「あっさり認めたな。お前が特定の人間を隣に置くとは珍しい」
心底驚いたような反応に、そうだよな、と思う。
久保ちゃんは女も友達も、特定の人ってのがいないんだと思う。人付き合いが苦手とか、そういうことじゃなくて、たぶん、わざと。
だから俺はきっと久保ちゃんの中で、少しは特別なんじゃないかって本気で思ったりした。
だから昨日、久保ちゃんの言葉が嬉しくて、俺も”友達以上”になりたいって思ったのに。
急にやっぱりイヤだと言い出した久保ちゃんの気持ちが俺には分からない・・。
思い出してヘコんだ気分になっていた時、さらにそれに拍車をかけるような言葉が耳に届いた。
「別に置いてるわけじゃないよ、時任が飛び込んできてるだけ」
俺が、飛び込んできてるだけ・・。
そんな久保ちゃんの言葉が、あまりにもストレ―トに胸に刺さる。
久保ちゃんが望んでいるわけじゃなくて、俺が勝手につきまとってるだけ。だから隣にいるのだと。
―――つまり、そういうことか?
急速に指先が冷たくなる。
胃なのか鳩尾なのか、とにかく胸の奥がキリキリと痛む。
なんだよ、それ。
久保ちゃんも、望んでくれているのだと思っていた。
俺のとなりにいることが、少しでも心地良いのだと思ってくれていると。
そうじゃなかったんだ。
昨日の言葉だって、やっぱり俺のことが面倒になったって・・、そういうことだったのか。
もうそれ以上聞きたくなかった。
地面を蹴って階段を駆け降りる。
最後に俺の耳に届いたのは、松本の声。
「俺以外にそんな奇特な相手がいるとはな」
―――どういう意味だよ。
松本は久保ちゃんにとって、特別な人なのか?
俺たちは友達だって思ってたけど、じゃあ松本は?
分からなくて胸が痛くて。
それ以上は何も考えられなかった。
「時任君」
穏やかな声に呼ばれ、振り返る。
てっきり先生かと思っていた。
だって今はまだ授業中だし、それなのに俺が出歩いているところを見つけて、呼びとめたんだろうと。だけど、そこにいたのは同じ制服を着た背の高い男。
眼鏡に細身の長身、大人びた笑みを浮かべるこの人物は、俺も知っている。
さっき屋上にいた松本といつも一緒にいるやつ。
副会長の橘だ。
「・・・なんだよ」
「具合でも悪いのですか?」
橘は首を少し傾げながら、さも心配そうに尋ねてきた。
「別に」
「そうですか。・・今お時間あるようでしたら、少しおつきあい願いませんか?」
「あ?」
そいつは胡散臭いほどの満面の笑みでそう言った。思わず眉根を寄せると、「ここにいて先生にでも見つかったら面倒でしょう?」と言われて、う、と言葉に詰まる。
確かに見つかると小言を食らって授業に戻されるだろう。今はおとなしく授業なんか受けてる気分じゃない。
・・・仕方ねぇな。
どうぞと、ついてくるように背を向けた橘に一つため息をついて、その後を追うことにした。
連れて行かれたのはどうやら生徒会室とやららしい。全く縁のなかった場所だ。部屋の中はかなり広くて豪華で、きょろきょろと部屋中を見回しながらソファに腰掛けると、橘が高級そうなカップでコーヒーを出してくれた。
「早速ですが、時任君。貴方、執行部に入ってもらえませんか?」
「――――は?・・執行部・・?」
なんの話だ。
向かいに腰掛けた橘は第一声にそう言うと、これまたにっこりと胡散臭い笑みを浮かべる。
こいつの笑顔はやっぱり好きになれない。なんつーか、裏があるっつーか。
「生徒会執行部です。生徒会同様、特別な権限を与えられた校内の治安を守る重要な機関ですよ。本来ならば現執行部からの指名制なのですが、生憎現執行部は休業状態でですね、生徒会本部の私から今回特別にお願いに出向いているというわけです」
「生徒会って・・なんで、俺が」
「貴方の気性と身体能力を買ってのことです」
なんだかおかしな話になってきた。やっぱり来るべきじゃなかったかと後悔し始める俺をよそに橘は唐突にまた話を振ってくる。
「時任君、もし貴方の目の前で喧嘩が起きていたらどうしますか?」
「なんだよいきなり・・、喧嘩って・・。――まぁ、弱いもの虐めだったら、助けに入るな。タイマンだったら放っとくけど、多勢に無勢なら加勢する」
ずずっと苦いコーヒーを啜りながらぶっきら棒に答えると、橘は何がおかしいのかさっきよりも楽しそうに笑っている。
「やはり思った通りの方ですね。――しかし時任君、イチ生徒がそれを行うとそれ相応の責任を追わなければなりません。つまり学校から罰を受ける可能性があるのですよ。現に一度騒ぎを起こしていますよね、その時貴方は学校から厳重注意を受けているでしょう?」
「そっ、それは・・」
「執行部に入れば貴方は学校に守られます。ある程度のことなら、公務として自由に動けるようになるでしょう。というのも執行部の公務は校内の治安維持ですから。目には目を、暴力事件を暴力で治めることも執行部に認められる特権の一つなのですよ」
なんだそれ。つまり、喧嘩を止めたり暴れたりするのも執行部の仕事の一つってことか?
喧嘩自体が、学校と生徒会に認められる。なるほど、それは確かに良い話だな。
もう何度かやり合っちまって、先生からは次はないと思えと釘を刺されていたのだ。
・・けれど、俺今、そんなこと考えてる余裕がないんだよな・・。
胸を占めるどんよりとした感情。さっき見た久保ちゃんと松本の背中を思い返してまた暗い気持ちになってしまう。
「――そうそう、執行部に勧誘しているのは貴方の他にもう一人いるんです。久保田誠人君。確か貴方と同じクラスでしたね」
「えっ!・・じゃあ久保ちゃん、執行部に入るのか?」
俺の考えを読んだかのように久保ちゃんの名前を出され、びっくりして目を丸めていると、橘は「さぁどうでしょう」と首を傾げた。
「元々久保田君は荒磯中学時代の執行部で活躍していたようです。――会長・・松本会長とはその時代のパートナーだったらしく、今彼が必死に久保田君を口説いているはずですよ」
中学時代の・・執行部。・・・松本が久保ちゃんの元パートナー・・・?
そうか、仲良さそうに見えたのも当然だ。中学の時の友達で、相棒ってやつだったんだ。
あの久保ちゃんが、つるんでいた相手。
俺の知らない久保ちゃんを、いっぱい知っている相手。
―――なんだよそれ、全然敵わねぇじゃんか・・。
「久保田君と貴方には執行部の第一線でコンビを組んでもらいたいのですよ」
「コンビって、無理だろ。・・・俺はあいつみたいに、久保ちゃんのこと知らねぇし・・。組むならあいつ・・松本が組めばいい」
「会長が?それは無理ですよ。彼は生徒会長ですし、――それにそれは私が認められません」
にっこりと微笑む相手を訝しげに見上げて、ぎくりとする。
・・目が笑ってない・・・。
「とにかく考えてみてください。貴方が入りたいと言えば久保田君も入らざるを得ないでしょうし。彼を知らないというのなら、もっと知ってみてはいかがですか?――貴方が知りたいと思うのならなおさら・・・」
橘は最後にそんな意味深な言葉を告げた。
俺が知りたい・・?
そうだよ、俺は知りたい。
久保ちゃんのこと、もっともっと。
松本が知らないようなことも、全部―――あいつを知りたいんだ。
でも、久保ちゃんは?
俺のこと、もっと知りたいって、思ってくれているんだろうか。
俺がこんな風に考えているってことを知れば、あいつは一体どう思うのだろう―――。