翌日、その日も学校に行ったのは午後のことで、結局いつものように放課後まで屋上でサボり、教室に戻ったのはもう放課後になってからだった。
こんなことなら来る必要もないんだけど、それでもこうして一応は通学している自分がよく分からない。
けれどその理由は、ひとけのない教室に向かったところでなんとなく分かった気がした。
夕暮れの日が射し込む教室で、時任が一人、机に突っ伏している。とたん、俺の足は歩みを止めた。
――ああ、そうか・・・。
「久保、ちゃん・・?」
「・・・時任。まだいたんだ」
もう帰っただろうと思っていたのに、俺を待っていたのだろうか。はっと顔をあげた時任は寝ていたわけではないらしい。
昨日は昨日で顔も合わせず早退してしまったから、心配させたのかもしれない。
「待ってたの?ごめんね、遅くなって」
「ううん・・」
力なく首を振る寂しげな表情に胸がツキリとする。それを表情には出さずに「じゃあ帰ろうか」といつものように言って教室を出ようとするが、時任はどうしたのかいつまでも動こうとしない。
「どうした?どこか具合でも悪い?」
「―――なぁ久保ちゃん」
「うん?」
俯いていた瞳を覗きこもうとすれば、突然顔を上げてくる。思いのほか強い眼差しに、こっちが後ずさりしたくなった。
「俺、久保ちゃんのこと知りたいんだ」
「・・・知りたいって、何を?」
「何って言っても分かんねぇけど、――多分、全部知りたい。久保ちゃんがこの前、なんで嫌だと言いだしたのか、昨日も今日も俺のこと避けてたのはなんでだとか、・・松本とはどういう関係なのかとか・・。――とにかく全部だよっ・・!」
なに、それ。
半ば怒鳴るように言われた言葉に唖然とする。
避けてたのは、否定しない。意味も分からず簡単に「友達以上」なんて宣言した時任から、何となく離れて俺が頭を冷やしたかったってのもある。
昨日松本に厄介なこと言われて面倒だと逃げたくなったということもある。
――うん・・・?松本との関係って言った?それはなんの話だろう。また周りから余計なことでも吹聴されたのか、・・・いや、そんなことより。
見上げてくる必死な瞳。恥ずかしそうに目元を赤く染める表情がやけに色っぽく感じてしまうのは、俺がおかしいのか―――違うよね。全部知りたいなんて、言われたら俺じゃなくとも期待してしまう。
まったく、どんな口説き文句よ。
―――だったら。
「・・・久保ちゃん・・?」
ぐいっと肩を引き寄せて、そのまま華奢な背中に腕を回す。
まるで女相手にするような行為。けれど、全く女相手とは違う。
不思議そうに戸惑いの声をあげる時任が愛しくて・・――――そうだ、愛しいのだ。
厚みも柔らかさもない体を抱きしめる腕をぎゅっと強くして、温もりが染み込んでくるかのような感覚にその事実を実感する。
「じゃあ知ってよ。俺のこと」
知ってほしい。そして俺もお前を知りたい。
思えば初めからそうだった。初めて時任に興味を持った時点で、俺はこいつが知りたくてしょうがなかった。
知りたい、顔が見たい、傍にいたい。
毎日こいつの顔を一目見たいがために学校へ向かっているような、俺はそんな情けない男なのだ。
「久保ちゃんタバコ吸いすぎだろ・・」
時任が少し気恥ずかしそうに、制服の胸元で呟いている。
確かに屋上で数え切れないほど吸っていた。その臭いがしっかりと制服についているのだろう。
けれど、時任は文句をこねつつそれでも突き放そうとはしない。
自然と緩む頬を戒めることなく、俺はしばらくその愛しい生き物を腕の中に閉じこめた。
それから時任は俺に色んなことを聞きたがった。
中学時代の執行部のこと。松本が相棒だったことはどこで聞いたのやら知っていたようで、関係を聞かれてそのまま教えた。
松本とは確かにパートナーだった。荒磯への高校入学もあいつに高校でもパートナーを組もうと誘われてのことだったし、俺は渋々と言いながらもまぁいいかと誘いに乗るくらいにはあいつを信用していたと思う。
けれどあいつは橘に再会し、生徒会長となった。
人を引っ張るだけ引っ張っておいて、勝手に生徒会長となった松本には呆れたけれど、まぁ、それをどうこうと言うつもりはない。むしろ厄介事から逃れることができて助かったと思ったくらいだから。
なのにあいつは今頃になって、自分の手が届かない面倒な事件を俺に押し付けてくる。
その上今度は時任をネタに脅してまで執行部へ引きずり込もうとしているのだから、本当に参る。
・・と、まぁそのあたりのくだりは話すことはせず、松本との関係については噛み砕いて話してやった。
夕暮れの教室、煙草を吹かす俺の隣で時任は机に腰掛けたまま終始真剣な顔で聞いていた。
授業なんかよりよほど集中しているもんだから、どれだけ俺のこと知りたいのよ?って茶々入れると、真っ赤な顔して睨まれた。
「俺さ、執行部入ろうと思うんだけど」
話を聞き終えた時任がぽつりと言って、思わず目を瞬く。
「・・なんで?」
これまた随分唐突な。っていうか。
「誰に誘われた?もしかして脅されでもした?」
もしかして松本が別に手をまわしていたのか。そう考えて尋ねると、時任は目を丸くして首をひねる。
「脅す?いや、誘われならしたぞ。橘ってやつに」
「あー、・・そう・・」
なるほど。二人して役割分担していたってわけね。
「俺、喧嘩すること多いし、先生にもくぎ刺されてるから、橘の申し出は正直有難てぇっつかさ。このままだと退学にでもなっちまいそうだし・・」
「まぁ、それはそうとしても、執行部って面倒だよ」
「よく知らねぇけど、でも久保ちゃん中学の時やってたんだろ?だったら俺もやりたい。っつーか、俺は久保ちゃんとやりたいんだ」
やりたいって・・、お前ねぇ。
「嬉しいお誘いだけど、そっちのお誘いはねぇ・・。松本の策に簡単に落ちるのは癪なんだよねぇ」
「・・ダメか?俺、・・松本よりももっと久保ちゃんのことを知りたい。―――もっと、近くにいたいんだ」
・・・・・あー、今、なんかきた。
そんな顔して見上げられて、俺に一体どうしろと・・。
もう、この際どうでもよくなっちゃうのは、仕方がない。
潤んだ瞳にじっと見つめられて、内臓が熱くせりあがってくるようだ。
―――ああ、そうか、この感覚は・・。
「そんな顔して、キスでもしてほしいの?」
「へ・・・?えっ、ええ、違うっ!」
「違うの?」
一瞬にして耳まで真っ赤に染まった時任に頬が緩む。ただでさえ垂れ目だと言われる目尻が、更に下がっていくのを自覚する。
「時任からキスしてくれたら、執行部のこと考えなくもないけど?」
「はぁ!?な、なんだよそれっ!」
思いついた条件は、バカな男の下心まんまだ。
キスしてほしいなんて、俺がそんな衝動を受けることになるとは、大げさな話ホント人生って分からない。
「だいたいなんで男同士でキスなんかっ・・」
「いいじゃない一度したんだし。そうだ、この機会にもう一度試してみようよ。時任からキスしてくれたら、何か変わるかも」
「っ、そ、そんな・・」
まんざらでもない、かな、この反応は。
時任が届きやすいように近づいて腰を折る。
ふっと目の前で微笑んでいると、しばらくおどおどとしていた時任が視界から消え―――次の瞬間唇に温もりが落ちた。
と、同時に衝撃も。
ガチっ、と当たったのは歯で、いてっと驚いたように離れた時任の顔はこれ以上ないくらい真っ赤で。
―――ああ、もう。
瞬間、俺の中の何かがぷちりと切れた気がした。
「ごめんっ、久保ちゃ・・――ん、ぅっ!?」
腕を引き寄せた勢いで、唇を奪う。
角度をつけて深く唇を重ねて、息を呑む気配を感じながら開いた隙間から深く舌を差し入れた。
「ふ・・っ、んん・・っ・」
唾液が絡む音と、鼻から抜ける時任の吐息に体が熱くなる。
女に対する生理的な反応とは全く違う。
胸が、体が熱くて堪らない。
もっと欲しい、もっと味わいたい。そんな欲求がせりあがってくる。
こんなキスは知らない。
「っ、は・・」
長い長いキス。
ようやく唇を解放してやると、時任はぼうっと視線を浮遊させたまま荒く息をついている。
あまりの激しさに思考がついていっていないようだ。
「大丈夫?」
「っ、く、ぼちゃん・・、今のは・・」
「キスでしょ。なに、自分からしたくせに分からないとか」
「い、言わねぇけどっ・・!で、でもあんな、し、舌っ・・」
ああ、なるほど。
キス自体に抵抗があるわけじゃなく、単に濃いキスに驚いてるってわけか。
濡れた赤い唇に目を奪われながら、体にこもった熱をどうにか落ち着けて言った。
「他のキスで試してみようって言ったでしょ?これも一つ。・・どうだった?今のキス、どう感じた?」
「ど、どど、どうって・・っ」
耳も首も真っ赤だ。トマトみたいに真っ赤になって挙動不審に震える体が、愛しい。
すぐにでもまた腕に閉じ込めたいのに、あまりの純粋さに尻ごみしてしまう。大事に大事に宝箱にでも入れて観賞用にとっておきたいような、やはりそんな矛盾を覚えてしまう。
「・・お前が相手なら、俺はもうなんでもいいや」
こんな気持ちは、産まれて初めてだった。
*
時任と別れた後、そのまま夜の街へと向かった。
急遽、早朝まで雀荘で代打ちのバイトを入れたのだ。
このままだと執行部に入れられ兼ねないから、今のうちに稼いでおく必要が出てきた。
キスしてくれたら考えるなんて言っちゃった手前、やはり断れなくなりそうだ。
ああまったく、既に時任に振り回されているな。
時任に自覚があるのかは分からない。俺の誰よりも近くにいたいと言ってくれたから、きっと少しは分かっているだろうとは思うけれど。
「天然記念物もんの純朴さだもんなぁ・・」
あいつがどう望むのか、それを待つくらいの余裕は欲しいものだ。
「久保田君!」
そうしてバイト先へ向かう途中、俺はまた面倒な相手に捕まることになった。
「やっぱりここにいたのね」
ええと、と考える間もなく、つい昨日見た顔であったことを思い出す。
時任の前で色仕掛けしてきたあの子か。
「まだ俺に用があったの?」
「っ、当然でしょ?だって、あんなの嘘に決まってるもの」
あんなの、というのは俺のホモ疑惑のことだろう。いや、あながち間違っていなかったんだけど。――時任限定で。
「私よりあんな貧相な男がいいなんて、嘘だわ。ねぇ、そうでしょ?」
あんな貧相な男と言うのは、時任のことだろうか。
的外れとはいえ、時任の悪口は許せない。
「俺はアンタよりも、その貧相な男相手の方が勃つけどね」
そう言い返せば、女の子はぐっと息を呑んだ。
「な、によっ、本気だって言うの!?ホモなんて、そんな嘘でしょう?だって貴方私を抱いたわ!」
「そりゃあ抱けるよ、誰でも。自分でやるのも、女使ってマスターベーションするのも大して変わらないから―――まぁ女の方が面倒ではあるけどね」
つらつらと冷たく言葉を並べれば、彼女は顔色を失っていく。
「それじゃサヨナラ」
愕然と立ち尽くす彼女の脇を通り抜けて歩いて行く。ずいぶんと歩いたところで、背後に金切り声が響いた。
「許さないわっっ!!」
それでいい。
許さなくともなんでも。
ただ俺を恨んでもなんでもいいから、もう近づかないで欲しい。
・・・きっと、時任がいい思いをしないだろうから。