『じゃあ知ってよ、俺のこと』
そう言って久保ちゃんは俺を抱きしめる。
そしてキスしようと、綺麗な顔を近づけた。
勢い余ってぶつけた歯が情けなくて、戸惑っているうちに突然激しい衝動を受けた。
熱い唇。深く隙間なく重なった唇から、ぬるりとしたものが入り込んできて、俺の舌を絡めとった。
驚いて、息苦しくて、でもそれだけじゃなくて。
久保ちゃんにキスをされている、そう気付いた途端、腹の中でマグマのように沸き出た熱が、出口もなく体中をぐるぐると回る。
煙草の苦みを感じる舌にねっとりと捕まって、強く吸われると、頭の芯がぼうっとしてくる。
『時任、好きだよ』
『く、久保ちゃっ‥』
―――え、そんなこと言われたっけ・・・?
そう気付いて目を開けると、―――見慣れた天井があった。
「あ・・・、――――夢?」
寝ぼけたまま起き上がると、やっぱりそこは自分のアパートで。
きょろきょろ見回してみても、1Kの狭く古い自宅であることに変わりなかった。
俺、なんであんな夢・・。
好きだ、なんて。そんなこと言われたことないのに。
「あ・・?」
ふと、下半身の違和感に気づいた。まさか、と思って恐る恐る視線を落とすと、それは否応なしに目に飛び込んできた。
「げ、なんで・・っ!?」
誰に見られているわけじゃないのに、慌てて両手で押さえてしまう。
朝、痛いほどに張りつめるこの現象自体は、健全な男としてはたまにあることだった。何の意味もないただの生理現象。
けれど、今日みたいに見た夢をばっちり覚えているとなると、その意味合いも変わってくる。
久保ちゃんとのキス、夢でリピートして、なんでこんなことになってんだ。
生理現象っていうのもあるだろうけど、なんかいつもより元気なのは気のせいか?・・・いや、気のせいだ!
俺は考えることもそこそこに、とりあえずコレをおさめるべく、両手で股間を庇ったままという情けない格好で洗面所へ逃げ込んだのだった。
俺は高校入学と同時に、家を出た。家と言っても、両親のいない俺の面倒を見てくれた親戚の家だけど。高校卒業までは仕送りをしてくれるという約束で厄介払いされた形だ。
叔母の家は裕福だけれど、俺の居場所はなかった。叔母の息子達は両親のいない貧乏な俺を疎ましがっていたし、叔母も早く出て言って欲しいと隠すことなく言われていたから。
だからこうやって一人暮らしをさせてもらえるだけ、有難いってもんで。
まぁ、風呂なしのボロアパートなんかいまどき珍しいけどな。
銭湯に通う毎日はそんなに酷いもんじゃない。
ただ当然早朝では銭湯は空いていない為、朝風呂に入れないのは少しばかり不便だった。
とくにこんな風に朝から、汗をかくような真似をしてしまえば余計に・・・。
「最悪だ・・」
教室に着くなり机に突っ伏して呻いた。
久しぶりだった。久しぶりに自分でそういう行為をした。
しかも、その原因に思い切り気づいてしまっているから最悪だ。
ちらりと後ろを見やるが、久保ちゃんはまだ来ていない。
この分だと今日も遅刻だろうな。まったく、あいつは。
だけど今日はそれが有り難い。今まともに久保ちゃんの顔を見れる自信が全くなかった。
キスをした。今度は多分”ちゃんとしたやつ”のキス。
そのせいで俺はさらに輪をかけておかしな夢を見た揚句、体が反応してしまったんだ。
なんで、どうして?
おかしいだろ、俺。
男同士でキスしてそんな風になるなんて・・、いや男同士でキスすること自体すでにおかしいんだろうけど。
・・・あれ、でもそういえば。久保ちゃんもそうだったんだっけ?
俺とのキスを思い返しただけで、勃ったんだって・・言ってた。
つまり、俺も久保ちゃんも同じなんだ。
――――それって、どういうこった・・?
結局、そんな状況で授業なんかまともに聞けるはずもなく、気づけば昼。久保ちゃんが来たのは昼過ぎで二人で過ごす時間はなかったけど、それが逆に助かった。
目が合っていつもみたいに微笑まれただけで、顔が尋常じゃないくらい熱くなるのだから。
きっと気づかれたよな、俺がこんなに意識しちまってること。
最悪だ。なんで俺ってこんなに正直なんだよっ。
久保ちゃんなんかいつもどおり顔色一つ変えていないってのに、理不尽だ!
ああ、マジで、今は二人きりになったら気まずくてしょうがない。
――と悩んでいるのは俺ばっかりだったらしく、帰り際に久保ちゃんは用があるから一緒に帰れないけどごめんねと余裕の笑みを向けてきやがった。
「いいっつーの、また明日な」
「うん、気をつけてね」
まるで女相手にするような優しい笑みを見せられて、ぐっと恥ずかしくなってくる。
だけど避けられるよりはマシだ。
久保ちゃんにいろんな話を聞いてから、前より久保ちゃんを知れたし、近づいた気がするから。
そういや執行部の話、どうするんだろ。
久保ちゃんが入るっていえば、俺も入りたいって気持ちは変わらないけど、やっぱ無理に入れるのもアレだよなぁ。
「・・さーて、帰るか」
一人ごちて教室を後にする。
一人での寄り道なんて楽しくない。それも久保ちゃんとつるむようになって知ったこと。
不意に顔が緩む。
久保ちゃんは”知って”と言った。そして俺は久保ちゃんを知りたいと思った。
焦ることはないんだ、と思った。
戸惑いやドキドキはあるけれど、俺はこうやって少しずつ久保ちゃんのことを知って、傍にいるくすぐったさを実感している。
松本よりも久保ちゃんを知りたいって、勝ちたいって気持ちがあったけど、きっとあの力強い腕や熱い唇を知っているのは俺だけだ。そう思えば、こないだまであった憂鬱としたものは簡単に吹き飛んでいる。
・・まぁ、その分、恥ずかしさもひとしおなんだけどな。
だからたまには一人で帰るのもいいもんだ。
今日はまっすぐ帰ろう。
そして明日は一緒に昼飯食って、帰りはマックにでも寄って、執行部のことでも話してみようか。
そう考えるとわくわくする。
それと同時に心臓は騒がしく勝手に踊り出すんだ。