はじまりの合図【18】―2

 




***

手当をしてもらってから少しうとうとしてしまって、気づいたらソファに横になっていた。
いつのまにか外は真っ暗で、帰るのも面倒くさくなっていたら、久保ちゃんが「泊まって行けば?」と提案してくれた。
断る理由なんかなく、俺は喜んで頷いた。
泊まりなんて初めてだ。ちょっとした旅行気分でワクワクする。


「あー、腹減った」

言葉に順応するようにぐーっと、腹の虫が鳴る。
それもそうだ、時計を見ればもう夕食の時間を超えている。よく動いたからその分腹もすいていた。

「ご飯、なんか買ってこようか」
「めんどいだろ?そうだ、出前にしようぜっ」

俺のわがままに久保ちゃんは「はいはい」と笑ってきいてくれて、ピザを頼んでくれた。
なんだかウキウキと嬉しくなって、待ち時間の30分なんかまったく苦にならないから不思議だ。

「コーヒーでもいれようか」
「おう!」

ミルクたっぷりの熱いコーヒー。インスタントだけどと久保ちゃんは言ったけど、すっごく美味い。

・・なんだろう。
ここ、なんだかやたらと居心地がいい。
さっきもつい寝ちまったし、安らぐっていうかなんていうか。
なんかこういうのっていいなと思った。

テレビをつけなくとも、なにを話さなくとも。
人一人分開けた隣に久保ちゃんがゆったりと座っている。俺はその距離になんだかドキドキしたり、ほっとしたり。
この近さが、俺たちの近さのように感じる。
久保ちゃんにまた近づけた、そんな気がして胸があったかくなる。

「あー、疲れたなー。なんか体痛ぇし」

放っておいたら顔がニマニマしてしまいそうで、それを誤魔化すように言った。
ソファの背に寄りかかるようにして思い切り伸びをする。
すると本当にヒリヒリと体中が痛んで、うっと息をのんだ。
その中でもビリっと痛んだ場所は普段ならあり得ない場所で、ゲッと顔をしかめる。

「くそ、痛ぇ・・」

思い切り抓られた胸元が今もジクジク痛むのだ。あいつら、マジ最悪だ。
好き勝手に触られたことを思い出して、再び怒りがこみ上げてくる。
まったく変な嫌がらせしやがって。

「痛いってどこが」
「乳首だよ乳首っ、腫れて痛ぇのっ」

久保ちゃんに尋ねられて不機嫌に答えた。
だって服に擦れるだけで痛いんだぞ。傷はなく腫れてるだけっぽいから消毒しても意味ねぇし。

「・・・やっぱ自重しなけりゃよかったかな」
「?」

低い声で久保ちゃんが言う。聞き返すと別にと言われて首を傾げた。
なんか、怒ってるように見えたのは気のせいか?

「そういやさ、あいつら結局なにがしたかったんだ?”女の代わり”って言ってたな」

ふと思い出した。
訳分からないことを言われて生理的に気色悪かったんだけど、結局あいつら何がしたかったんだろう。
リンチに合うかと思えばそんな空気でもなかったし。

すると久保ちゃんが「時任は知らなくていいよ」とそんなことを言うもんだから「なんだよそれ」と眉を寄せると、

「じゃあ俺が詳しく教えてあげようか?――もちろん、”女の代わり”なんかじゃなくてね」
「?うん・・?」

さっきまで落ち込んでいた久保ちゃんが、そんな風に言って意味ありげに微笑んでくるもんだから戸惑ってしまう。
唐突に流れたおかしな空気になんと言っていいか分からず沈黙していると、久保ちゃんの手が伸びてきた。

「な、なに」
「唇切れてる・・、ねぇ、ここは触られなかった?」
「え?」

ここ、と唇を指先でなぞられてドキリとする。
いつの間にか、すぐ近くに感じる久保ちゃんに、急速に心臓が踊りだす。

「さ、触られてねぇよ・・」
「キスも、されてない?」
「はぁ?されてねぇよ。だいたい野郎同士でなんでキスなんか、・・あ。」

久保ちゃんとは、その野郎同士でキスしたんだっけ・・。そしてあまつさえそれをおかずに・・・と、思い返して頬がかっと熱くなった。

「そう、よかった」
「お、おう・・」

ヤバイ、今久保ちゃんの顔見たら、あの夢、思い出しちまう。

「わ・・っ?」

恥ずかしくなって目を逸らしたと同時だった。
覆い被さってくるような大きな体に、目を丸くした次の瞬間、口端に濡れた感覚。
まさかと考えるより早く、傷口をぺろりと舐められていたのだ。
一瞬、キスされるかも、と身構えはしたけど、まさか舐められるとは思わずぎょっとして胸を押し返す。けれど久保ちゃんは構わずに頬の傷にも舌を這わしてきた。

「ちょ、ちょっと、久保ちゃん、いたいっ・・」

なんで舐めるんだよっ。しかも傷に染みるってのに。
じたばたする俺に構わず「消毒ね」なんて久保ちゃんがのんびり笑う。
暢気な笑顔に抵抗するのもバカらしくなって、だんだんと力が抜けてくる。

「痛ぇよ。・・久保ちゃん、犬みてぇ」
「うん、犬だよ。―――お前だけに懐いちゃった、どうしようもない犬」

そんな言葉が返ってきたもんだから、びっくりした。
おれだけに懐いた――?
・・・それって、松本よりも?
そんな疑問は浮かんだけど、多分聞く必要はないって思った。

だって”俺だけ”なんだから。
特別な言葉に、ふわりと嬉しくなってくる。

「なんだそれ、すげ―かわいいじゃん」
「可愛いって、――俺が?」
「ち、ちがう!犬だったらってこと。自分だけに懐く犬って可愛いじゃん」

そう言うと、久保ちゃんは驚いたように目を丸くした後、ふっと笑った。

「じゃあなってあげるよ、俺が。舐めてあげる、いいでしょ、犬なんだから」
「久保ちゃんは犬じゃねぇって、――うっ」

ぺろり、といきなり耳殻を舐められてビックリする。
違う、そこは傷なんかない。そう言おうとするのに、耳たぶをねっとりと唇に含まれて息を詰めた。
ぴちゃぴちゃと水音がダイレクトに脳に響いて、思わず身をよじる。そのまま温かな舌は無防備な俺の首筋へと下がっていく。

「っ、あ・・、久保、ちゃんっ・・」

ビリリと体中に何かが走った。
悪寒に似ているけど、決して不快なものじゃない。
それどころか急速に体に熱がこもってくる。

「ここも、痛いんだよね」
「え、あっ・・や・・っ、久保ちゃん・・っ!」

ぬるり、と右の乳首を舌が這う。瞬間、ピリッと滲みたような痛みが走り、やがてそれはじくじくとした疼きに変わる。

これなんか違うよな。
犬っていうか、そういうんじゃなくて――。

いつの間にかスエットをたくしあげられ、胸元が空気に晒されていた。
腫れてぷっくりと赤いものが、久保ちゃんの舌に潰され舐められ吸い込まれていくのが見える。
あまりの光景に、眩暈がしてくる。

「やっ、やめっ・・、もう、舐めんなってっ」

顔が熱い。体も熱い。
久保ちゃんの吐息が肌にかかっただけで、ぞくぞくする。
これ以上されたら、間違いなく勃つってば。
もうすでに高ぶり始めてるんだ。これ以上はもう、引っ込みがつかなくなってしまう。

「じゃあ、キスならいい?」

そんな焦りを覚えたところで、久保ちゃんが聞いてきた。

「え、・・・う、ん・・」

上目遣いに見上げられ、つい頷いてしまった。
今度はゆっくりと顔に近づいてくる、久保ちゃんの端正な顔立ち――。

 

――ああ、やっぱ、こいついい男だな。
はじめはなんでこんな奴がモテんだって、気に食わなかったんだっけ。いやに男前のくせに、それを鼻にかけないところが、またむかついたりして。
けど認めざるを得ない。こいつは、本当にイイ男だ。

・・・まぁ、俺の次にだけど、な。

ぼんやりとそんなことを思いながら、ちゅ、と降ってきたキスに目を閉じる。
近づいては離れて、頬に、目に、鼻先に。そして唇に何度も何度も降ってくる。
気恥ずかしい、くすぐったい。だけど優しいキスが嬉しくて、久保ちゃんの胸元のシャツをぎゅっと握る。
すると、不意に、唇が深く重なった。

「・・ん、・・っ」

深く長いキスだった。
息をつくのが難しいほど、厚い舌が俺を絡めて離そうとしない。それでもどうにか応えることができたのは、2度目だったからか。
すぐにタバコの臭いは気にならなくなった。
久保ちゃんの匂いも、たぶん俺の匂いも。
一緒になって分からなくなる。

なんだろう、これ。この感覚。
体は熱くてたまらないのに、胸の中がいっぱいで、温かいものにたっぷり満たされているような、不思議な感覚。
それをどうにか言葉にしたいけれど、俺にはうまく言い表せない。

僅かに離れたキスの合間に、久保ちゃんが囁くように言った。


「好きだよ・・」

 
ハッと目を見開いて、至近距離で穏やかな瞳を見る。

デジャブ、じゃない。
だってあれは夢だった。

――――だけど、これは。

 

「時任、好き」

じんわりと染み込んでくる言葉に、ああ、これか、とどこかで納得する。
俺が知りたかったことも、きっと。

「久保ちゃん・・、んんっ・・」

再び唇を塞がれて、俺はなにも答えることができなかった。
本当は言いたいことがあるのに。

・・・いや、多分、塞がれていなくても俺はまだ言えない。
言えないんじゃなくて、言いたくない。
だってそんなの、・・・・恥ずかしすぎるだろ。

俺も誰よりも久保ちゃんがスキで。
一番近くにいたいなんてさ。

 

だけど。
俺が素直にその言葉を口にできる日は、きっと遠くない。
そんな気がした。





End




一応完結ですが、番外の続編があります。裏になりますので大丈夫な方はお進みください(*^_^*)

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