朝、いつものように登校したにも関わらず、教室へ向かう気がしなかった。
結果、向かった先はいつもの屋上。
ごろりと仰向けになって、高く澄み切った青空を眺める。
最近ここで一緒に過ごす相手は、今頃授業を受けながら俺が席にいないことを気にしてくれているのだろうか。
心配そうに俺の席を見やる顔を思い浮かべながら、ふと、昨日の時任の言葉を思い返した。
『じゃあさ、”友達以上”でいいじゃん』
それは俺の言葉に単に同意しただけのこと。俺が含めた本当の意味を理解しているわけじゃない。そんなことは分かっている。
・・なのに、どうしてこんなに苛立つのか。
イヤだと思った。友達だけじゃ到底足りない、と。
いつの間にか思考を占めてしまうほど時任は俺の中で膨れ上がっていて、傍にいたいとか、友達でいたいとか、そんな言葉では片づけられなくなっている。
だからどうなりたいと考えて、出た答えは”それ以上”。
時任は理解していないようだけど、つまり、それは・・。
ギィと扉の開く音に思考が途切れる。
こちらへ向かって近づく足音を聞けば、誰なのかすぐに分かった。
「やはりここにいたか、誠人」
光を遮った黒い人影は思った通りの相手で、俺はひらひらと手を振る。
「おんや、珍しい。会長殿がサボり?」
生徒会長、松本隆久。
中学時代、執行部でパ―トナ―を組んでいた相手だ。
ほぼ毎日背中を預けていた相手とあって、松本の声はもちろん、歩き方の癖まで頭に染み着いてしまっている。
松本は隣に腰掛けると、ふっと笑った。
「急ぎの用件があってな、生徒会特権の授業免除だ。まぁ、優秀な補佐のおかげですぐに済んだから、こうして息抜きをさせてもらえているがな」
それは便利なことで。
授業免除が許されるのは生徒会のみ。つまり、会長である松本と、その右腕である橘副会長のみに与えられる特権だ。
それにしても珍しいことに、今日はその橘の姿が見えない。
この二人はいつもセットであるはずだった。
高校に入学してからすぐに、松本と橘は1年生ながらそのカリスマ性とやらで生徒会へのし上がった。それまで生徒会を取り仕切っていた3年にとっては、人気投票という民主主義の落とし穴を恨みがましく思ったことだろう。
しかしこの男たちは単に人気者というだけじゃない。
それに見合った実力も確かに持ち合わせている。
・・俺にとっては、それが厄介だったりするけれど。
「その素晴らしい副会長サマを放って、俺に何の用?」
刺々しい言い方だったせいか、松本が目を丸くした。
「なんだ、ご機嫌斜めか?」
「別に?」
「見くびってもらっては困るな、どれだけのつきあいだと思ってるんだ?お前の機嫌取りも慣れたもんだぞ」
「俺、会長サマにご機嫌取りされるような、大物じゃないけど」
面倒ごとはイヤなだけだ。
この男は面倒な仕事を何かと俺に協力させようとする。喧嘩の仲裁にかり出されるのも厄介だったし、恐喝事件を調べあげるのだって労力がいった。
これ以上、こき使われるのも勘弁だ。
執行部には入らないって断ってるのに、昔のよしみで何度か依頼を受けただけでもありがたく思ってほしいとこなんだけど。
・・・うん、ほんとだ。
確かに俺、少しイライラしている。
簡単にそれに気づくだけ、こいつも俺のことをよく分かっているということか。
「最近、親しくつるんでいる奴がいるそうじゃないか」
「つるむ、ねぇ。時任のこと?」
「あっさり認めたな。お前が特定の人間を隣に置くとは珍しい」
「別に置いてるわけじゃないよ、時任が飛び込んできてるだけ」
時任の話題になった途端、松本を纏う空気が和らいだ。
本題はここだったのかと訝しげに目をやる。
時任になんの用がある。時任に興味を持たれることが、なぜか不愉快だった。
「そうか、まぁいい事だ。俺以外にそんな奇特な相手がいるとはな・・」
奇特、ね。まぁ確かにその通りかもしれないけど。
「それで、何の話?」
急かす俺に苦笑して、松本が真面目な顔をする。
「執行部に入れ、誠人」
「またそれ?お断りシマス」
「なんだまだ怒ってるのか?俺のことを――」
「別に、ただもうそういう煩わしいのは勘弁ってこと」
俺を無理矢理執行部に引き入れようとこの荒磯に進学を勧めておきながら、松本は一人、右腕とともに生徒会へと入ったのだから、この男も人が悪い。
まぁだからといって、そのことを怒っているわけじゃない。むしろ解放されたと、喜んでいたくらいだ。
だというのに、松本は面倒な問題が起こる度に俺に協力を仰ぐ。そして執行部に入れと、――つまり松本の犬として働けというのだ。
まったく、面倒くさいことこの上ない。
「そうか、では彼に頼んでみるとしよう」
「・・・・カレ?」
松本が口端をつり上げたのを見て、イヤな予感がした。
いや、予感どころじゃないだろう。この話から言えば・・。
「時任はそういうの向いてないと思うけど」
「そうか?彼はお前よりも正義感が強いし、何より喧嘩慣れしているようだぞ。入学してすぐに他校と揉めて多勢を相手に一人勝ちしたと聞いた。まさに執行部にはうってつけの人物だな」
「・・・・・」
初耳だ。
あれだけ強気で正直モノだと、確かに衝突することもあると思ってはいたが、喧嘩慣れもしていたのか。人を傷つけることを厭うタイプかと思えば、意外と男らしく熱い部分もあるらしい。まぁ、それはそれで興味深いけれど。
だからといって、すんなり賛成はできない。
「彼を一人で入れるのが嫌ならお前も入れ」
「なにそれ、脅迫?」
「・・誠人、分かるだろう?ほかに適任がいないんだ。俺と橘だけでは校内の治安維持には限界がある。お前の力が必要なんだ」
今度は優しく諭すように言われ、無言で煙を吐き出す。
松本はそれに苦笑すると、「よく考えてくれ」と一言告げて帰っていった。
「はぁ、・・ほんと、めんど―」
あいつは本当に変わった。
冷血一辺倒の仮面しか知らなかった中学時代とは大違い。
いろんな顔を持って使い分けている。
まあ、一番近くにあんな人間がいちゃあ、そうなっても不思議じゃないけれど。
松本にとって唯一の大切な存在だという、橘副会長。
彼の存在が松本を大きく変えたのだろう。
いつだったか、仮面を外す唯一の場所だと松本が話していたことを思い出す。
松本にとって橘は、羽を休めることができる、貴重な存在なのだろう。
不意に、時任を思い浮かべた。
屈託のない笑顔、少し恥ずかしそうに見上げる瞳、俺を叱るように眉を寄せる真剣な表情。
胸が高鳴るような、それでいて穏やかな気持ちになるような。あいつと向き合っていると、俺の胸の内にそんな矛盾が共存する。
『いつか、お前の隣にもそんな貴重な存在が現れるかもしれんぞ』
昔言われたそんな言葉。
あの頃はするりと耳を抜けた言葉が、なぜか今、やけに胸の奥を深く突いていた―――。