いつかの朝(前編)

 


 

季節は冬ー―
シンと静まり返った外は、まだ人の跡のない白い雪にうっすら埋め尽くされている
窓辺から射す朝の柔らかな光が頬を照らしているが、それは冷えた体を温めるほどではなく、時任は毛布に包まったまま、すぐ側にいる久保田のぬくもりに暖を取るようにすり寄った
「ん・・、久保ちゃん、寒っ・・」
久保田のシャツの胸元に顔を埋めると、ふわりと慣れ親しんだ煙草の香りがした
その香りが自分を安心させてくれることを時任は知っている。久保田のぬくもりと香りは安眠効果のあるようで、いつも時任は安堵し、また眠りにつくのだ
しかしこの日は何かが違っていた
半ば夢うつつだった時任だが、その『違和感』に、ゆっくりと目を開いた
「・・久保ちゃん?」
いつもそう擦り寄れば迷わず自分を包み込むように抱きしめてくれるはずの温かな手が
かすかに、ピクリと強張ったことに時任は気づいたのだ
「・・時任――」

 

「なぁ、久保ちゃん、最近、痩せたか?」
時任は暖房が効き始めたリビングのソファで毛布を被ったまま、キッチンの久保田を見つめている
今朝触れた久保田の体がいつものよりも細く感じたのだ
「ん〜?そう?変わんないと思うけど」
温かいコーヒーを入れながら、目を細める久保田はいつもと変わらない様子で言った
「そっか?・・いや、でも久保ちゃん絶対痩せただろ、頬も何だか・・」
「あ、時任、ごはん食べるよね?ゴメンね、何も買ってないんだよね」
「え?・・いーよ、んじゃコンビニいこうぜ」
久保田が話を遮ると、時任はそれ以上聞くことをやめた。何となく聞いてはいけない気がしたからだ
久保田が痩せたということは間違いないと思っている。久保田のことに、時任が気付かないわけもないのだ
久保田は筋肉質の細見であったが、今朝触れた久保田はさらに肉が落ちているようで、見た目でも分かるほどに頬もこけていた
しかし疑問はそこじゃない。痩せた久保田も久保田の雰囲気も、すべてがおかしいと感じていた。昨日までとは、何かが全く、違うのだ
時任はその腑に落ちない『何か』に顔をしかめながら、更なる疑問に首をかしげた
 あれ?食材は一昨日買い込まなかったっけか?
そうなのだ。つい先日、コンビニで好きなお菓子や食材を買い込んだことは記憶に新しい。いくら時任が大食いでもまだ大量に残っているはずだった
時任はそう思いながらも、久保田がまた新商品でも買いたいのだろうなどと考え、部屋着の上からジャケットを羽織ると玄関に向かった
「久保ちゃん〜っ、いくぞー」
いつも出かけるときは用意が遅んだよなぁ、と靴を履いた時任が振り返ると、予想に反して、すぐ後ろにいた久保田に少し驚いた
「っなんだ、いたのかよ、行こうぜ!俺様ハラ減った!」
久保田は時任をじっと見つめたかと思うと、「うん」と優しく微笑んだ
「・・・・?」
その笑顔はとても優しくて、・・・・とても切なくて、なぜか時任の胸をギュッと締め付け、その見たこともない久保田の表情に、時任は目を張った
「・・久・・保ちゃん?」
「・・じゃ、行こっか」
「あ・・うん」
久保田はセッタに火をつけると、いつものように目を細めて歩き始める
時任は軽く胸の鼓動を抑えながら、後を追うように部屋を出た


 ・・久保ちゃん・・?なんだ・・、なんか感じが・・違う・・。昨日までとは全然・・。
 昨日・・なんかあったけ?・・・いや、なんもないよな?

「とーきとう、おでんでいい?」
「え?あ、うん」
「じゃあ、卵2つと大根4つにちくわぶ4つ、それから・・」
久保田はレジ籠いっぱいに、いつもの時任の好物を大量に入れる、そんな様子を時任はじっと見ていた

 ・・・・いつもと変わんね〜よな。おれの思い違いか―?
そんなとき、時任はふいに、通いなれたコンビニ内を見回した
 ・・ん?・・・あれ??
季節は冬、店内にはクリスマスツリーが飾られ赤や緑のネオンに彩られている
壁には『クリスマスケーキご予約承り中』の文字が大きく張り出されている
時任は目を丸くした
「なぁ久保ちゃん、クリスマスって先週終わったんじゃないっけ?まだ飾ってんのな」
まるでクリスマス前のような浮かれたPOPは、いつも季節感を先取りしているはずのコンビニでは明らかに浮いているはずである
レジで支払いをしている久保田に、そう時任が声をかけると
「・・ん〜、そうだねぇ」
久保田はいつものようにのほほんと答えるでもなく返事を返した
「もうすぐ正月ってのに、季節感ねぇのな」
そんな二人の会話を店員が不思議そうに見上げるが
久保田はそれを気にする風もなく、時任の手を握るとコンビニを後にした
「久保ちゃん、なんかさっきの店員に変な目で見られなかったか?」
マンションに帰ると時任はスニッカーズの袋をかじりながら、ソファに腰をかける
久保田は買い物袋から食材を取り出して、食事の準備を始めていた
「そ?気付かなかったけど?」
「ああ、俺なんか変なこと言ったのか?」
「・・いんやそうじゃなくて、さ、これじゃない?」
久保田はそう言うと二つ目の買い物袋から小さな箱を取り出してにやりと笑って見せた
「・・・・っ!!久保ちゃんっ!!」
その箱が何なのか分かるやいなや、みるみる時任の顔が赤く染まっていく
それもそうだろう、その箱は紛れもない『相模オリジナル品』。久保田は時任の気付かぬ間に購入していたのだ
「店員、俺らがこれを二人で使うんじゃないかって思ったんじゃない?」
「っばっ!!だ、だから言ってんだろ!そーいうモンは一人のときに買え!!勘違いされんじゃんかっ!!」
「えー、いいじゃない別に、勘違いじゃないんだし」
「うっ!!そーゆー問題じゃねぇの!だから変な顔されんだろーが!!」
久保田は時任の反応を楽しむかのように、目じりを下げて笑っていた
「ったく!当分あのコンビニ行きにくいじゃんか!久保ちゃんのせいだぞ」
久保田はそう言って口を尖らせる時任を愛しげに見つめ、時任もまたいつもと変わらない二人にホッと息を吐いていた

時任が久保田に背を向け、テレビのリモコンに手を伸ばすと、食事の準備を整えた久保田が声をかけた
「時任、ご飯は?」

「テレビ見ながら食う」
「ねぇ、今日はこっちで食わない?」
ダイニングでの食事は普通だが、テレビを見るとなると少々遠かった。そのため、いつもは軽い食事であればテレビを見ながらソファに座って済ませることが多かった。けれど今日はダイニングで食事を取ろうという提案だった
テレビをつけようとリモコンを握った手を止めたのはそんな言葉ではない
振り返った時任の目に映ったのは、じっとこちらを見つめる久保田の姿だった
いつもの細い目じゃなく、らしくなく真剣な瞳が、まっすぐに時任を捉えていた
「・・・え?・・、うん」
久保田のその様子に少し戸惑いながら、時任はテレビをつけることも出来ず、久保田の言うとおりにダイニングに腰を掛けることにした
 ・・久保ちゃん・・?
その真剣な久保田の瞳は時任の胸をざわりと騒がせていた
「・・なんだよ、どうかしたのか、久保ちゃん」
「どうって?どうもしないけど」
いつもの違う様子に時任は尋ねるが久保田は目を細めて笑ったまま、やはり何もないと言う
 やっぱり変だ――
得体の知れない不安が胸に押し寄せる
時任はそんなに物事に敏感なわけではない
敵の殺気や気配を感じ取ることに長けてるわけでもない
度々追い回される黒服の男たちから逃げ延びれるのも、単純に野生のカンがさせる技なのだろう。けれど、久保田に関することでは時任に勝てる者はいなかった。久保田のことだけは、誰よりも理解しているのである
それは久保田も、時任も自分でも分かっていることだった
久保田は痛みや感情も滅多に表に出すことがないが、それらに関しても例外ではなかった
時任は遅い食事にあり付きながら、必死に考えを巡らせていた
 明らかに久保ちゃんの様子が変だ
 原因は何だ?
 確か昨日は、久保ちゃんはバイト休みで、夕方までふたりで街をぶらぶらして・・
 夜はいつものカレー食って、ゲームして、そんで、そのまま寝たんだよな?
 変わったことなんてない・・
 けど、今日は朝から様子が変だったんだ
 あのとき、一瞬だけど、俺が触れると、久保ちゃんの体が硬直して
 俺を見る瞳が大きく揺らいでいた
 他のやつならわかんねぇぐらいの一瞬だったけど
 間違いなく、らしくなく、久保ちゃんは驚いてた
 なんで―?
 俺を、見て――・?
 それに・・昨日よりも明らかに・・・痩せてるなんて―
胸の中に疑問と不安が押し寄せ、ぞくりと背が震えた気がした
「時任」
「え?」
ふいに呼ばれた声に、現実に引き戻される
「ここ、おべんと付いてる」
「あっ、久保ちゃん、食うなっ」
頬についたご飯粒をパクリと食べられ、時任は恥ずかしそうに頬を染めた
そんな時任に久保田は優しく微笑む
久保田の笑顔に時任の緊張感も少し緩み、つられるように口元が綻んでいた
「ごちそーさま、って久保ちゃん食ってねぇじゃん!」
「ん?食べたよ」
「うそつけ、ほとんど食ってねぇだろ。ほら食え」
怒ったように眉を寄せた時任が久保田に食べさせようと残った皿を差し出す
だが久保田はそれに箸を付けることなく時任の腕を掴み、皿にのったおでんがひっくり返った
「っ!久保ちゃん、何すんだよっ!」
時任が思わず立ち上がると、久保田は強くひき寄せ、時任をぎゅっと胸に閉じ込めたのだった
「ちょっ、久保ちゃん!?」
「時任、ごめんね」
「え・」
「ベッド、行こう」


 今日の久保ちゃんは、らしくない―
 ちょっと強引なとこはあるにせよ、こんなに強く、俺を求めたことはなかった
 いつもなら一度は嫌がるとこだったけど、あんな瞳されたら―
 久保ちゃんの瞳、文句を言おうと覗き込んだ久保ちゃんの顔
 胸がちぎれそうだった
 見たこともない表情
 ひどく、ひどく辛そうに、・・切なそうに俺を見つめる瞳だった
 なぁ、久保ちゃん、何があった?
 俺のせいか? 
 そんな目すんなよ
 俺が、俺がいるじゃんか・・・

「っ・・・くっ・・・あっ・・」
時任はすがり付くように自分に突き立てる久保田を精一杯受け止めていた
その日、久保田は何度も時任を求め、時任もまたその想いに応えるように
ただただ、久保田を抱きしめていた
 久保ちゃん、久保ちゃん、俺がいるから・・
時任は久保田を安心させるかのように、何度も久保田の名を呼んだのだった


 まだ辺りが暗い、日の出前か―
久保田の温もりを感じながら、もそもそと起き上がると、寝息を立てる顔を覗き込み、ホッと息を吐いた
「・・やっと寝たか」
昨日は夜遅くまで何度も久保田に貫かれ体も限界だった。そのまま意識を失うように眠ってしまったようだった
夜中に何度となく目が覚めると、その度に優しい久保田の瞳と目が合った
早く寝ろと何度言ったのだろう
不思議と早く目が覚めた頃、久保田は時任を包み込むように眠りについていた
 めずらしいな、俺が久保ちゃんの寝顔見るなんてさ
 じっくりと見つめるとやっぱり痩せたことが分かる
 目の下もなんだか暗い、最近寝れてなかったのか?
 昨日の久保ちゃん見てると、無性に不安でしょうがねぇ
時任は起こさないようにそっとベッドをおり、冷たいリビングに向う。そこで昨日のレジ袋に目をやった
 ・・結局、昨日買ったアレ、使ってねぇし
 いや、だいたい、いつも使いもしねぇのに、これ見よがしに買いやがって・
昨夜の情事を思い出すのが恥ずかしいのか、あーだこーだ呟きながらテレビを付けていた。もちろん音量は最弱にするのも忘れない
時間はまだ4時過ぎ。唯一やっていた教育番組にチャンネルを変えると「クリスマス特集」というニュースに目が留まった
『いよいよ今日はクリスマスですね〜。昨夜のイブはどこもかしこも恋人達で・・』
「は・・?今日がクリスマス??何言ってんだ今頃・・」
クリスマスは先週の話。新聞にも載ってたし、テレビでも言ってたし、ケーキやチキンを予約して、ここで二人で過ごしたのはつい数日前のことだった
「再放送・・か?」
目を丸くしながらもクリスマスの様子を伝える番組を見ていると、時任は突然、リモコンを落とした
『2008年のクリスマス、皆さんはどんなプレゼントをもらったのでしょうか』
リモコンを落としたことすら気付かないほど、時任はひどく驚いていたのだ
「・・・2008・・年・・?」
大きく目を張ったまま、ずっと胸につっかかっていた何かが、かすかに音を立てた気がした。その嫌な予感に背筋がぞくりと震える。しかし次の瞬間、時任の体は素早く動いていた
玄関の方で物音がしたのだ。いつも来ているそれを取るために玄関へと走り、勢いよく届いたばかりの新聞を抜き取るとおもむろにそれを広げた
「!!!」
時任は静かに玄関を出て扉を閉めると、折り返し帰ろうとしていた新聞の配達員の姿を見つけ追いかけた
「おい!これ、今日の新聞だよな!?」
新聞を握りしめ、裸足のまま立つ時任に呼び止められ、配達員は訝しげに見る
「え、、はい、そうですけど?」
「・・じゃあ、今日は何年の何月何日だ?」
いたって真面目に、おかしな質問をする時任を配達員は不可解に思いながらも聞かれたまま答えた
「に、2008年の12月25日ですけど」
「・・・2008年だって・・?」
その答えに、時任は驚愕に目を開き、言葉を失った


ドクンドクンと胸が大きく鼓動を打つ
どれくらいそうしていたのだろう
久保田の眠る寝室に戻ってきたころには体はすっかり冷え切っていた
 そんなはずがない。だって一昨日までは、・・・2007年だったんだ
 俺が間違っているわけじゃない、・・一昨日まではおかしなことなんてなかった
 いつものように久保ちゃんがいて、毎日毎日を二人で過ごしてきた
 なのに、、いきなりなんで・・!!?
 1年以上飛んでんだ!?夢?それとも俺は1年眠っていたのか?
ぐるぐると疑問が駆け廻り、鼓動が頭痛のようにガンガンと激しくなる
それもそうだろう。時任の記憶する一昨日が、1年以上も前のことになっているのだ。考えても分かりえない事実だった
窓辺に柔らかな日差しが差し始めている。ベッドの上では深く目を閉じた久保田の規則正しい呼吸だけが聞こえた
時任は寝室に立ちすくんだまま久保田の寝顔を見つめていた
―タイムスリップ・・、ふと、そんな言葉が頭をよぎった
前に久保田とSF映画を観たことがあり、その時聞いた言葉だった
しかしそんなものは空想上のものだと言っていたのも覚えている
けれど何にしても、この状況は説明がつかない。時任は左手で頭を抱えた
 おかしいのは、、俺だけ・・・か・・?
 いや・・・、久保ちゃんは気づいていたんだ。コンビニでも、テレビをつけようとした時も・・・
 久保ちゃんは知ってたんだ
 なのに・・なんで俺に言わなかった??
 それを俺に知られないように・・した・?
 なんのために??
 っていうか、朝からだ。あの日の朝から、様子がおかしかった
 久保ちゃんは、・・俺が隣に寝ていることに驚いていた・・
 俺が、俺がいることに、驚いていたんだ・・
 1年前までは普通だったはずなのに、・・・
 つまり、それって・・・俺が、、

 そこにいることに、、驚いてたんだ―

 

 


タイムスリップ・・時任が気づいた事実とは・・・後篇につづく

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