生徒会本部――
「会長、よろしかったのですか?」
生徒会会長席に座る松本の傍ら、いつもの定位置に立った橘が穏やかに尋ねた。
執行部に活動停止処分を下した後、橘は話を聞きつけてすぐに松本の元へと足を運んだ。そこで大体の状況を把握し、松本を気遣ったのだ。
「いや、仕方あるまい。うまく教師を目撃者に仕立てるとは・・。幸い監査は今日で最後だ。それにまぁ、一応の処分だ、最終処分はもちろん厳正に下すさ。・・それよりも橘、例の件は進んだのか?」
「はい。証人は取れました。すぐに手は回るでしょう。」
会長の懐刀と呼ばれる橘は、全ては順調なのだと安心させるように笑みを見せた。
「――なんだろうね?例の件って」
突然発せられた声に二人は驚き、声のした方を素早く振り返る。二人が驚くのは当然だろう。おそらくこの学校に、気配を消して橘に近づける人物など限られているのだから。
声の主に目をやった橘が薄く笑みを浮かべると、松本が小さく息を吐きながら苦笑いした。
「誠人・・・」
いつから居たのか。ドアの枠に寄りかかるように立っていた久保田が、いつものように細い目でのっそりと松本の机へと近づく。銜え煙草こそしていないが、ズボンに手を入れてのほほんと歩いてくる姿は見慣れた久保田の姿だった。
しかし、今日の久保田の空気は、いつもと明らかに違っていた。とはいっても眼鏡越しの細目も、表情も変わらないのだが、穏やかながらも身に纏う雰囲気やにじみ出る空気が違うのだ。
それは多分、明らかに・・、怒りを含んでいる。
それに気づかない松本ではない。まるで殺人鬼のような凶悪なオーラにも見えるそれが近づくにつれ、背中に冷たいものが走る。
すると橘がスッと松本のすぐ傍まで歩み寄り、まるで王を守るべく付く側近のように身を構えた。例えばここで久保田が突然松本に殴りかかろうものなら、素早く橘が鉄壁のガードとなり返り打ちにせんとするだろう。
しかし松本は目線だけで橘を制し、近づいてくる相手を見返した。
「・・誠人。時任君のことなら仕方ない。けれど心配するな。こちらでも考えて・・」
松本が言葉を並べるとそれを遮るように久保田が穏やかに言った。
「――いや、そうじゃなくてさ。コレ、なんだけど」
妙な緊張感の中、久保田がコレと言って示したのは一枚のしわだらけの写真だった。それを松本の目の前にかざし、
「時任が持ってたんだけど、何でか知ってる?」
ニヤリと笑みを濃くしたのだった。
「――――――−!?」
その写真を見た途端、松本が息を呑み、見て分かるほど動揺したことが分かる。
その様子にただならぬものを感じた橘も素早く写真を覗き込む。久保田の笑みが意味することが分かった松本は慌てて、写真を奪い取ったのだった。
「ちっ・・違うんだ、橘。これには深いワケがだなっ・・。一体だれがこんな写真を!?」
写真を奪い取った松本は盛大に冷や汗を流しながら、恐る恐る橘に目を向けた。そしてやはりといったように頭を抱えたのだった。しっかりと恋人の浮気現場を収めたと思える写真を見た橘。その背中にはユラリと黒い影が立ちのぼっている気がする。表情は変わらないが恐ろしく低い声が静かに発せられた。
「・・会長、久保田君、これは一体どういうことですかね?」
久保田が笑みをそのままに、気にとめた様子もなくさらりと答える。
「さぁ?俺も聞きたいねぇ。あの時、誰かに撮られたような気はしたんだけどねぇ。俺はてっきり橘かと思ってたから」
「・・なるほどですね。浮気現場を僕に見せようとしたというわけですか。残念ながらそれを撮ったのは僕ではありません」
「んーそうだろうね。写真部のやつらの仕業みたいね」
「ちょ、ちょっと待て!この写真は問題だが、それよりも、た、橘。誤解しているようだが、これは浮気現場とは違うぞ!」
「あれ?そうだったっけ?」
「誠人っ!だいたいあれはお前が無理やりっ・・」
「えー、俺のせいにしちゃうわけ?」
「・・フ、・・あのとき・・、無理やり?なんですか?説明していただけますか?」
「た、橘っ!誤解だと言っている!」
松本にとって嫉妬に狂った恋人以上に怖いものはなかったのである。思わぬ修羅場に陥った松本が、これ以上は耐えられないと、橘の誤解を解くべく弁名し始めたのだった。
話は数日前に戻る。
数日前の放課後、久保田が松本の元へ訪れた日だった。
「澤村君のことか。どういうことだ?」
二人きりで話があると言いだした久保田に、何事かと話を聞いていた松本が片眉を上げる。
「ちょっと気になって調べたらさ、面白い経歴だったんだよね」
「・・お前にしては素早い行動だな」
「まぁね。澤村は確かに中学1年の時執行部に所属していた。そして俺らが卒業してからはすぐに生徒会長に任命されている。そして前高校では1年にしてまた生徒会長に抜擢、と。まぁこれだけ見れば随分エリートな生徒みたいだけど」
「成績は常に学年首席。その上武術では空手・合気道などどれも全国トップレベルだ。申し分ない人材だぞ」
「そうねぇ。・・確か澤村は澤村代議士の一人息子だったよね。あの悪い噂の絶えない古株政治家の。数年前にだいぶ叩かれたりしてたみたいだけど」
「・・誠人、それは澤村君に関係ないだろう」
「松本、俺をあまりみくびらないでほしいなぁ。澤村は前の高校から何で転校してきた?何か、隠してることあるよねぇ?」
「っ・・俺は別に何も知らないぞ」
「ほんとかなぁ?」
久保田は中学でのことはあまり記憶になかったが、澤村のことはうっすらと覚えていた。礼儀正しく、誰にでも好かれる優等生のようであったが、自分や松本に忠実な後輩のように見えてその瞳には何か野心に燃えるような赤い炎が見え隠れするような、そんな男だと思っていた。
恐らく澤村は常にトップに立つべくして生きてるような人間だと思った。三年の執行部を牛耳る自分たちを忌々しく思っていたに違いないと。そう思ったのは久保田だけなのかもしれない。澤村は本当に人を惹きつけるような人物であり周囲の信頼も厚かったのだ。本当に腹黒い人物であれば相当な狸だなぁとぼんやり思ったのものである。
久保田は特にそれ以上興味を持つことはなかったが、自分らが卒業してすぐに澤村がその人脈により2年生ながら3年を打ち破って生徒会長に上り詰めたと知り、やっぱり、と頷いたものだった。
そして3年ぶりに現れた澤村が時任を見る目に、今度は見て見ぬ振りはできないなと、大きくため息をついたのだった。
一般生徒からのタレ込みから始まったという監査と、ちょうど良く現れた澤村。一波乱起きそうな状況に久保田は一人、澤村を調べ始めていた。
前の学校で澤村は何か事件を起こしている。それが元で荒磯に転入してきたらしいのだ。澤村の目的は定かではないが、そんな背景に何かしらヒントがあるのではと睨んでいた。
「とそういうわけ。松本が何か知ってれば教えてもらいたいなぁと思ってね」
事の経緯を説明しながら、責め立てるように壁際まで追いつめられた松本が、冷や汗を流しながら逃げようとする。
「・・教えてもらいたいって奴の態度じゃないぞ」
「そりゃぁしょうがないっしょ。お宅らがまた何か企んで俺ら執行部に面倒事押しつけようっていう魂胆っていうなら。いくらお前に逆らわないオレでも、ぐれちゃうけど?」
そう言って糸目を開いた久保田に松本はすでに逃げ場を失っていた。後ろは壁、両脇は久保田の腕でしっかりと囲まれ、正面にはその男が悪魔のような笑みを浮かべているのだ。
「っ・・ま、誠人っ・何するっ・・」
背筋を凍らせながら何とかその目から逃げるように顔を背けると、限りなく近づいた久保田が耳元で囁くように言った。
「教えて、くれない?」
ゾクリ―
背筋が震えた。久保田がこういう瞳で行動を起こすのは、決して己のためではないことを知っている。少なくとも今まで自らの意思でここまで動くことはないはずだった。恐らく、久保田が唯一の相方と出会うまでは・・・。
こうなってはもうお手上げだった。すぐにでも自分の知っていることを洗いざらい話さなければ命がない気すらしたのだ。
「ま、誠人、分かったからよせっ・・、こんなところ、見られたら誤解されるっ」
「橘に?どうせなら誤解じゃなくさせてあげてもいいけど?」
にやりと笑った久保田は文字通り黒い笑顔だった。松本には久保田にそんな気などさらさらないことを理解している。だが橘の嫉妬に怒り狂った姿を想像し、白旗を上げんばかりに大きくため息を吐いたのだった。
このとき久保田の後方のドアからレンズが覗いていたのだが、なんとなくその気配に気づいた久保田も大して気に留めてなかった。それがまさか時任を苦しめることになるとも露とも知らなかったのだ。