数日前の出来事を久保田が話し終えた頃、橘の誤解は解けたようだったが、松本はまだ冷や汗をかいていた。何しろ、松本と橘の間で内密にされていた事情を、久保田に脅されたとはいえ、話してしまっており、橘はそのことを聞いていなかったのだ。
「なるほど。経緯はよく分かりました。その写真を撮った者からすれば、思いもよらぬ拾いものだったというわけですか」
「ま、まぁ恐らくそういうことになるな」
橘がそう言ってちらりと松本に目をやれば、松本はゴホンと咳払いをして頷く。
その内密にされていた事情とは、こういうことだった。
澤村は前の高校で停学処分を受けていた。しかしそのまま復学することなく、荒磯に転入してきたのだった。
澤村は1年ながらに生徒会長を務め、教師からの信頼も厚かったという。しかし反面、裏では一部の不良と通じ、不穏な噂もあったらしい。そしてある日、ある問題を起こした。
当時の担任の教師に暴行を働き、重傷を負わせたというのだった。
実際に手を加えたのは澤村が通じる不良らだったが、暴行を指示したのは澤村だったという。実行犯らが澤村の命令だと口を割ったため、学校としては大きな問題となった。現生徒会長が暴行事件を引き起こしたとなれば学校の存続にも関わる大事になりかねない。学校としても厳重な対処をするしかなかった。しかしいざ事件が明るみにでると、実際に手を下した不良らが退学処分を受け、澤村は軽い停学で済んだという。
「そこまではあの時話したとおりだ。結局、学校側は権力には勝てなかったのだろう。澤村君の父親である澤村代議士が事件を闇に葬り、息子は停学で済んでお咎めなしというわけだ。しかしまぁ体裁もあったのだろう、新しい学校へ転校させ、うまく事実をもみ消すために裏工作までしている。
一般の私立である学校からすれば、それらの対応は仕方がないのかもしれない。この荒磯高校の理事長ですら、私に澤村君を頼む際、彼を内密に優遇するようにと口添えしているからな」
「ふーん、自由な校風をモットーのウチの理事長がねぇ?代議士に圧力でもかけられて渋々といったところ?」
実際久保田の言うとおりだった。松本が頷く。
「荒磯の理事長はひどく悩まれたことを私に話して下さった。古い友人である澤村代議士に直接頭を下げられ息子を頼まれたのだと。理事長が事件を金で揉み消すような人間の頼みなど受けたいわけがない。すると今度は政治的に圧力をかけて頼んできたというのだ。澤村代議士は理事会にもツテがあるらしく、理事会での立場を脅してきたらしい」
「噂通りのあくどい政治家だなぁ。でも、そんな上での話なら、さすがの会長も手の打ちようがないよねぇ」
「ああ、実はこの裏をとる為に、橘に動いてもらったのだ。といっても一学生として出来ることは何もない。あくまで橘家の時期当主としての橘にだ。橘家の現当主は理事会の総理事でもあるからな。今回はその力を振るってもらったのだ。そして一人の理事が澤村代議士に口を利くようにいわれたのだと白状した。証人が出た以上、総理事も動かざるを得なくなったというわけだ」
松本がそう言うと、橘が笑みを浮かべた。
「僕もあまり権力を笠に着るのは好きじゃなのですが・・、今回は仕方ないですからね」
執行部の面々が聞けば半信半疑な表情を浮かべるだろう台詞に、久保田も楽しそうな笑みを見せた。
理事長が松本に相談をしたというのも、橘の立場を分かっていてのことではないかと思えた。そして松本の頼みを橘が断るわけもないと。でないと生徒会長とはいえ一生徒に話すようなことではない。だとしたら理事長も相当な狸だと思ったのである。
「理事長の身は守られたというわけか。澤村を優遇する必要もこのまま荒磯においておく必要もないってことね。それで?その話と時任をハメたやつとの関係は?」
松本は真剣な面持ちで頷いた。
「執行部の過度の暴虐行為、ならびに金銭恐喝をたれこんだのは、写真部2年の瀬戸だ。そんな事実がない以上、瀬戸の虚言であることは明らかだったのだが、一生徒の意見をぞんざいにあしらうのは生徒会としても妥当ではない。何かしら瀬戸が企んでいるとしたら余計にだ。」
執行部には“過度の暴力”という名目で監査をつけさせたのだが、実際はそれ以上に口の悪いタレ込みがあったというわけだった。何もないところに一般生徒がそんなことを言い出すのはおかしい。金銭恐喝、瀬戸の目的は分からずとも、何かしら行動を起こす可能性があったのだ。
「とりあえず体裁上、執行部に監査を立てて、瀬戸の目をくらまそうと思ったのだが・・」
実際、瀬戸はこの写真を撮って時任をおびき出し、前もって手を回して教師を呼びつけていた。そしてあたかも自分が恐喝を受けた被害者のように、時任を犯人に仕立て上げた。
「・・・澤村君を監査委員にしたのは当面、監視する意味もあった。いきなり生徒会本部に入れるわけにもいかないからな。監査委員としてなら波風立たないと思ったのだ。だが、結局問題は起きてしまったがな。・・瀬戸は中学時代、澤村君と同じく生徒会に在籍していたらしい。もちろん、監査を入れた当初は知らない事実だったが」
「なるほど。つまり、この写真を撮って時任をハメたのは・・・」
「ああ、そういうことになるな。共犯か、もしくは澤村君の指示か・・」
松本の言葉に久保田は驚きもしない。おそらく大体の目星をつけているようだった。そんな久保田を横目で見ながら橘が口を挟んだ。
「どちらにしても目的は何でしょうね?澤村君は時任君を慕っているようでしたが・・」
「橘副会長、それは俺があんたに聞きたいな」
久保田の目がきらりと光る。
「といいますと?どうして僕に?」
「あんたは知ってたでしょ?澤村の気持ちをさ。」
久保田がそう言うと、橘は肩をすくめてみせた。
「ええ、澤村君が時任君に惚れてらっしゃるのは存じてますよ。久保田君、あなたと時任君の関係を澤村君に聞かれたのでね」
「へぇ?それでおたくは何と?」
久保田の口調は柔らかいがその眼には鋭いものがあるように見える。橘も分かっていて敢えて意味ありげに笑みを浮かべているようだった。
「私に聞かれても困ると言ったのですが、知ってることは話しましたよ。二人はパートナーで、それ以上は知らないと。・・ただ、久保田君と松本会長は恋人の僕から見ても妬ましいほどに仲が良いとも言いましたが」
「どうしてそこに俺が出てくるんだ?」
松本が意味が分からないとばかりに訝しげに聞く。
「ふふ、事実でしょう?それに、久保田君が時任君よりも松本会長と親密だと言った方が、澤村君には都合がいいだろうと思ったのですよ」
「橘、何を言ってるんだ?」
松本はさらに眉を寄せた。
それに答えたのは久保田だった。
「つまり、俺と時任が何でもないとしても、時任の気持ちが分からない以上、俺の存在が邪魔なわけでしょ。俺が松本と想い合ってるとでもすれば、時任の気持ちがどうであっても都合がいいじゃない?そして澤村としては傷心な時任の方が落とせるとでも思ったのかね。」
久保田が嘲るように言うと、橘が久保田に微笑みかける。
「そうでしょうね。実際、時任君はこの写真を見て少なからずショックを受けてたみたいですよ」
「まさか、澤村君は時任を手に入れるために、こんな計画を?」
松本が眉を寄せて呆れたように言った。そこに久保田が相槌を打つ。
「たぶん、最初は会長の座を狙ってたんだろうけどね。時任に本気になって目的を変えたっていうわけだろうね。・・そして橘副会長はその手伝いをしてあげようとしたわけかねぇ?」
「ええ。つまり、僕は澤村君の背中を押してしまったということです」
あっさりと認めた橘に松本は目を張った。
「・・橘、どういうつもりだ?」
「すみません会長。僕はただ、純粋に澤村君の想いを応援して差し上げたかったんです。・・それに、僕は嘘はついていませんよ。会長と久保田君がお親しいのは事実でしょう?実際、この写真の経緯も先ほど初めて教えていただいたのですし・・」
思わず頭を抱えた松本だった。
「また、お前はそんなことをっ・・」
「夫婦喧嘩は後にしてくれる?話は分かったけど、澤村の狙いは時任、それからお宅ら生徒会の失脚でしょ。だとしたらこれからまた何かしかけてくる可能性が高い」
久保田がそうたしなめるように言うと、松本ははっとその目を強くした。
そして久保田の予感は的中していたのだった。
すっかり日が落ちた校舎で、時任は一人教室に残っていた。いつもなら執行部の業務もとうに終えているころだった。
「・・・時任先輩・・」
声の主を振り返り、時任は驚いた様子で言った。
「澤村・・・、なんで3年の教室に?」
俯きがちで立ち尽くしている澤村を見て、自分の謹慎のことを知っているのだろうと判断した時任は、すまなそうに声をかけた。
「悪かったな、なんかゴタゴタしちまって。お前今日までだったよな。来週、落ち着いたらちゃんとお疲れさん会でもしてやるからさっ」
笑顔でそう言う時任に、澤村が絞り出すような声をあげた。
「・・どうしてですか?」
「え・・?」
「・・どうして、辛いはずなのに、人のこと気にかけて笑ってられるんですか!?」
「澤村・・?」
時任は感情的に声を張り上げた澤村に驚いた。そしてどうしたのかと、近寄ろうとした瞬間、澤村の体がユラリと動いたかと思うと、次の瞬間、時任の鳩尾に強い衝撃が走った。
「――ぐっ!!?」
ぐらりと体が崩れ落ち倒れ込んだ時任は、霞んでいく意識の中で必死に目を開けた。そこにはひどく、悲しそうな目をした澤村の姿・・。
「・・先輩。あなたは本当にバカだ・・・・・」
苦しげに眉を寄せ、唇を噛みしめ、呟くように言った言葉は、もう時任の耳に届いてはいなかった。