「本当に珍しいくらいに元気がないな。・・誠人と何かあったのか?」
「っ・・な、なんもねぇって言ってるだろ!」
生徒会本部への道を松本の後ろからついて歩きながら、突然出た久保田の名前に、ドキンと鼓動が跳ねた。それを隠すように声を上げるが、松本はなるほど、とばかりに小さく笑う。
「図星か。まぁ確かに、誠人のような男の相方では色々と大変だろうが、うまくやっていけるのは後にも先にも君くらいだろうな。」
松本が振り返って柔らかな笑顔を見せて、時任は目を大きくした。
久保田の元相方であるはずの松本の言葉に、意をはかりかねていたのだ。
元気のない自分を励ましているのか、それとも・・。
「・・アンタはうまくやってたんじゃねぇのかよ?」
時任が訝しげに聞くと、松本は笑みを浮かべたまま首を振った。
「いや、俺には到底ムリだったな。あいつは昔から何を考えているのか分からなかった。執行部どころか学校にもロクに来てなかったからな。公務にあたることがあっても、あいつがどう考えてどう動くのか、俺なりに解釈はしていたが、型にはまるタイプではないだろう?かなり振り回されてばかりだった。
その上、あいつは一人で行動する事が多かったからな。俺は尻拭いばかりさせられたもんだ。」
初めて聞く久保田の昔話に、時任は目を丸くした。
元相方とは名ばかりだったというのか、少なくとも時任の知る今の久保田とは違っているようだった。
「そうだったのか?久保ちゃん、今でも何考えてんのか分からねぇことはあるけど・・、学校には来てるし、公務はちゃんとこなしてる」
「変わったのさ、誠人は。君の相方になってからは、どうやら学校が楽しくて仕方ないようだ」
「・・・!」
意味ありげに笑う松本に、時任は何も言えなくなった。
確かに久保田は執行部の公務を休んだことがなかった。授業はほとんど居眠りばかりで、公務のために学校に来ているのではないかと思うこともある。それほどまでに、久保田にとって今の執行部は居心地がよいものなのか。
「まぁ、誠人は少なからず昔のことを借りがあると思ってくれているのだろうか、おかげで今ではよく協力してもらっているから助かっている」
久保田は松本会長にだけは逆らわない、そう言われていたのを聞いたことがあったが、それだけの貸しがやはりこの男にあったということなのかと、時任はマジマジと見つめる。
強気の大きな瞳にまっすぐに見つめられて、松本は少し驚いたように笑った。
「ふ、本当に珍しいな。君が何の警戒もなく、俺の目を見てくれるとは。・・誠人が見たら、なんと思うだろうな?」
「・・・?」
少し困ったような顔で笑った松本は、本部の扉の前で足を止めると、きょとんとする時任の肩にポンと手を置いた。
「君があまりにもいつもと違うせいか、余計な昔話までしてしまったな。誠人には黙っていてくれ」
「え、ああ・・」
執行部に指令を出す時の顔とは全く別の穏やかな顔で笑う松本に、時任ははじめて松本の『ただの同い年の高校生』としての顔を見た気がして、驚きながらも少し嬉しい気がした。
普通のクラスメイトだとしたら、案外仲良くやれたのかもしれないと、どこかでそう思えたのだった。
「・・おや、珍しい組み合わせですね」
自動扉のように内側から開かれた扉の前に、時任が本来苦手とする、もう一人の人物が穏やかな笑みを浮かべていた。防音密室の扉の向こうまで自分らの声が聞こえたとは思えないが、気配を感じたのか、扉を開けた橘がどうぞと部屋の中へ招く。
「橘、時任君に例の資料を取りに来てもらったのだ。早速準備してくれ」
「――はい。」
いつもの会長席に着くと同時に松本の顔は会長のキリリとした顔に戻る。有能な副会長が素早く何かの書類を用意し始めると、当然ながらそこには執行部のような緩い空気はなかった。
やっぱくるんじゃなかったかと早々に帰りたくなりながらも、時任は勧められるまま渋々ソファに腰掛けた。
「時任君、すみません。今お渡しする資料をコピーしていますので、少しお待ちいただけますか」
すぐさま出された高そうなカップにいれられたコーヒーを受け取る、すると何やら書類に目を通していた松本が腕時計を気にしながら、立ち上がった。
「橘、すまんがこれから理事長室へ行かねばならない。あとは頼む。――時任君、ゆっくしていくといい」
「へ・・、ああ」
生徒会本部というものはこうも忙しいのか、シャンと背筋を伸ばした松本が部屋を去っても、一人テキパキ仕事をこなす橘をぼーっと眺めながら、時任はゆっくりコーヒーをすすった。
「・・どうか、しましたか?」
すると視線に気づいたのか、不意に橘が振り返った。
「・・べつに」と目をそらす時任に、橘は向かいのソファへ腰掛けると、その目をのぞき込んだ。
「何かお悩みごとでもあるようですね。いつもよりも・・」
「――元気がないって言うんだろ。ったくどいつもこいつも。べつに何もねぇからご心配なく!」
少し乱暴にコーヒーカップを置きながら先手を打って答えた時任に、橘は穏やかに微笑んだ。
「いいえ、そうじゃありません。いつもよりも、どういうわけか・・、可愛らしいなと思いまして。いえ、すみません、失礼でしたね。美しいと言うべきでしょうか。」
「・・・・・・は?」
シンと静まり返った部屋で、複合機のコピー音がせわしなく聞こえる。規則正しいそれを聞きながら、時任は呆然とした。
背中に本当にバラでもしょってそうな優雅な男は、どうやら言うことまでもそれに見合うものらしい。
元々超絶美少年だと自画自賛する時任にとっては、褒められることは喜ばしいが、こう正面から、それも怪しい笑みを浮かべたあの橘が相手となると、何か裏があるんじゃないかと疑いたくなるような怖さがあった。
「どういうわけか、しおらしい貴方というのは手を差し伸べたくなります。・・守ってあげたくなるうなフェロモンでもあるのでしょうか。」
「フェロも・・?・・なんか誰かもそんなこと言ってたような。・・って一体なんだよそれ?守られる必要もねぇし」
様子を伺うように、疑わしげに瞬きを繰り返すと、橘がくすりと笑った。
「ふふ。そういう仕草まで色っぽく見えるとは・・。もしかして時任君。あなた、久保田君と寝ました?」
「・・・・・は!??」
しばし間を空けたあと、素っ頓狂な声をあげて一気に顔を赤らめた時任は絶句して口をぱくぱくさせる。
”寝る”イコール”一緒に寝る”とは到底思えないのは、キス以上のことをしていたから。
少し前の時任ならこんな反応はなかっただろう。
そんな時任の様子に、橘は笑みを濃くした。
「な、な、な、何言ってんだお前っ!ね、寝てなんかねーよっ!!」
なんとか威勢良く言い返しながら、時任はあの日、熱っぽい瞳に押し倒されて体を触られたコトを思い出して、いっそう顔を赤らめる。
しかし同時に、それ以上の、一線を越えていないことを思い返して、ふっと苦しさがこみ上げた。
―――そうだ。あのとき、久保ちゃんとならいいって、思った。思ったのに、手を離したのは、久保ちゃんで・・。
俺がイイって言ったって・・、久保ちゃんは・・・
「・・なんもしてねぇよ・・」
ぽそりと呟きながら、痛みに耐えるかのように苦しげに胸元をぎゅっと握りしめる時任に、橘は立ち上がって、そっと背をさするように手を添える。
「・・大丈夫ですか?・・そうですか、久保田君は手を出してないんですね。・・怖くて出せないといったところでしょうか」
「え・・・・?」
「何にしても臆病な人ですね。・・こんなに素敵な人を前に・・」
「・・っ!?」
不思議に思って顔を上げたとき、突然形の良い唇が目の前にあって、時任は咄嗟に逃げた。
――が、突然のことに、上体を反らしたはいいが、半身が付いていかずバランスを崩す。テーブルを蹴ってしまい、カップがガシャンと音を立てた。
視界が浮遊したかと思うと、気づけば真上には端正な男の顔。白く反射したメガネのせいで、一瞬それが久保田に見えて、時任は目を開いた。
・・久保ちゃん・・・。
久保田を思い浮かべながら、時任はソファに仰向けになっていた。頭の両脇に手をつくように、ゆっくりと男が覆い被さってくる。
「・・逃げないんですか?それは同意ととってもいいのでしょうか」
「!」
耳元で囁かれた言葉に、ハッと我に返ったときには、手を絡められソファに押しつけられていた。
「た、橘っ――!!」
「大丈夫ですよ。会長ならしばらく戻ってきませんから」
自分の状況に、驚き慌てて体を起こそうとするが、首筋に吸いつかれて、ビクリと体がこわばった。
「や、やめっ――!?」
「感度もいいですね、やはり貴方はとても可愛いですよ。久保田君の代わりに、僕が貴方を抱いてあげましょう」
「は―――!?お前何言ってっ、―――んむッ!?」
抗議の言葉は突然妨害され、それが橘の唇だったことに気づいて嫌悪感がこみ上げる。激しく抵抗するが、難なく入り込んできた舌に強く吸い上げられ、息ができずに苦しげに声をもらした。
「ンン―――ッ!!」
なに、やってんだ俺――!!
ぷはっと空気を求めて、なんとか顔を横に逃がすとすぐ耳元で橘の声が響く。
「手を出されたかったんでしょう?けど、久保田君は一線を越えなかった」
「っ・・・!」
「そんなに辛いのなら、僕が代わりになりますよ」
「やっ、ヤメッー!!」
ふざけんな――!と叫びたいが、手も足も封じ込められた状況で、橘の舌が執拗に耳を攻めてきて、言葉にならない。
こ、これじゃ、まるで俺がしてほしいみたいじゃんか!
―――ちがう。お前にしてほしいんじゃない。俺は、久保ちゃんに―――・・
――――バキィィッ!!
そのとき、突然派手な音が辺りに響いた。
何かを強打したような鈍い音に、橘は顔をあげて扉の方へ目をやる。ふっと拘束が外れた時任は、それに続いて慌てて起きあがった。
・・・・いつの間に入ってきたのか。
扉を背にして立っていた男は、右腕を真横にのばし、きつく拳を握りしめている。
先ほどの音はその拳を、激しく打ちつけた音だったのだと分かった。重厚な木製の扉はヒビ割れ、木屑がパラパラと足下に舞っていた。
「く、久保ちゃんっ・・!!」
俯きかげんのせいで、メガネが反射し表情が見てとれないが、時任の呼びかけに久保田はゆっくりと顔をあげて、ぽつりと、言った。
「・・ナニ、してんの?」