うだるような暑さの中、目的地に到着すると目の前の大きな門に張られた文字を見て、額ににじむ汗を拭った。
「荒磯高等学校・・。ここか」
左手に紙きれを握った俺は、Tシャツにハーフパンツという夏らしいラフな格好だけど、右手にだけは黒い手袋をはめている。
汗ばんで仕方がないが人目を考えれば外ではずすことはできないからだ。
「ったく、冗談みてぇな話だよな。毎日ジャンソーに入り浸ってるよーなヤツが、まさか高校に通ってるなんてさ」
俺は昨日、久保ちゃんから衝撃のニュースを聞いた。
それが事の発端だった。
「は!?久保ちゃん・・、高校生なのか!?」
「あれ、言わなかったっけ?そうだよ。ほらたまに制服着て出かけてるじゃない」
制服?白シャツに黒ズボンが制服っていうのか?
「んなこと言ったって冬は上着着てたし、朝起きたらいつの間にかいねーことなんてしょっちゅうだから分かんねぇよっ」
「ああ、お前いつも昼過ぎまで寝てるもんね」
「っじゃあなくてっ!お前がどーみても高校生に見えないっつーのが問題だろーがっ!」
「失礼ねぇ。これでも花の17歳なのに」
「・・しんじらんね」
一緒に暮らすようになって1年、久保ちゃんのコト少しずつだけどようやく分かってきたと思ってたのに、実はまだまだ俺の知らないことがいっぱいあんだなって、何だかショックだった。
腑に落ちないでいる俺をなだめるためか、久保ちゃんは俺に地図を渡して学校に来るように言った。このクソ暑い日になんだって、学校なんか・・・。
校舎に張り付いている時計を見ると、予定時刻よりも30分早い。ここまでの道のりを記した紙切れの裏側を見ると、”ここで待ってな”の一言と校舎の中の簡単な地図が書いてあった。
仕方ねぇな。こんなとこにいちゃ日干しになっちまう。中で待つか。
足を踏み入れた校舎は授業中のせいか、ひとけもなくひんやりとした空気が心地いい。独特の校舎の香りは、これまで嗅いだことのないにおいだった。
「えーと、東校舎から入って、中庭を抜けて突き当たりを右、んで階段を上るんだな」
中庭は校舎の陰になっていていて風が涼しかった。しばらくその風に涼んでいると、前から誰かがこっちへ歩いてきた。
「おや、どちら様ですか?」
涼しい顔をしたその男は、俺を見てニッコリと笑った。
あ、やべ。部外者って入っちゃダメなんじゃ・・?
突然話しかけられたことに驚いて目を開いていると、その男は柔らかい表情で言った。
「僕はここの生徒ですよ。君は学校の見学にでもいらっしゃったのですか?」
「いや、知り合いを・・、待ってんだ」
「お知り合いの方も生徒さんですか?」
「ああ」
「・・授業が終わるまでもう少しあります。エアコンの利いた待合室にお連れしましょう。さ、どうぞ」
「い、いや、でも俺、待ってろって言われて・・」
”知らない人にはついていかないこと”
ガキ扱いすんなと怒る俺にかまわず久保ちゃんはよくそう言う。それを思いだして、戸惑いながら久保ちゃんにもらった地図を見せると、その男は「ああ・・」と頷いて微笑んだ。
「でしたら後ほどご案内しましょう。すぐ近くですので大丈夫ですよ」
結局俺はその男に言われるまま、ついていくことになった。
「すっげー、涼しい」
「どうぞ掛けてください。オレンジジュースでいいですか?」
「あ、ああ」
通された部屋は、学校っていうか、なんていうかまるでどっかの社長室みたいで、高そうな絨毯に黒革張りのソファ。エアコンもついててかなり快適な空間だった。
「アンタ・・、ほんとに生徒か?ここは何なんだ?」
「ここは生徒会室ですよ。僕は2年の橘遙といいます。間違いなくここの生徒ですよ」
生徒会室・・?
橘という男は妙に礼儀正しく、落ち着いていて高校生っていうよりもずっと大人びた感じだった。ああ、そっか、久保ちゃんみたいなのもいるぐらいだから、おかしくはねぇよな。
「時任君・・でしたね。君はその地図にある場所で誰を待つつもりだったのですか?」
「・・べつに、誰でもいいだろ。っつーか、あんたは授業出なくていいのかよ?」
よく知らないこの男について来たのはしょうがないとしても、久保ちゃんの名前を口にしてもいいのか、今更ながら警戒するが、橘は俺の態度に気を悪くした様子もなく、アイソいい笑顔を見せる。
「大丈夫ですよ。僕はたまたま委員会の仕事で授業を抜けていたのですが、そのおかげで幸運にも貴方に会えたというわけなんですよ」
・・変なやつ・・。悪いやつじゃなさそーだけど、なんつーか、誰かに似てるよーな・・。
そう思いながらふと時計に目をやると、予定時刻まであと15分といったところだった。
「やっぱ俺、そろそろ行くよ」
ここは快適だけど、もしかしたら久保ちゃんが先に待ってるかもしれない。第一あの男が真面目に授業受けてるなんて考えらんねぇしな。
早々に腰をあげようとすると橘が引き留めるように言った。
「おや、もうですか?まだ授業は終わりませんよ?」
「いや、だけど・・」
「あまり歩き回ると心配するんじゃありませんか?・・久保田君が」
「!」
驚きに思わず動きが止まる。
自分の名前以外は口にしていないというのに、この男は待っている相手の名を知っていた。
俺は向かい合って座っていたソファから立ち上がったまま、様子をうかがうようにじっと橘を見つめた。
「・・アンタ久保ちゃん、知ってんのか?」
橘は何を思ったかクスリと微笑んだ。
「ええ、可愛いネコを拾ったという久保田君の話を聞いたことがあったのです。それにその地図の場所は”執行部”ですし・・。となると貴方の待ち人は久保田君だと思っただけですよ」
こいつ・・言ってることよく分かんねぇけど、あやしすぎ・・。
そうだ!分かった。誰かに似てると思えば、こいつの雰囲気ってなんか・・あの、モグリのヤツに似てるんだっ!
「久保ちゃんの・・、トモダチなのか?」
「さあ、どうでしょう。彼はそうは思ってないでしょうね」
・・・モグリより怪しさ満点。
「やっぱ俺、もう行く」
表情の読めない橘の様子にこれ以上ここにいる気にもなれず、その部屋を出ようときびすを返して、部屋の扉を開けようと手をのばす。そのときだった。
「それは残念ですね・・」
「っ・・!」
体が思わず強ばる。
ソファに腰掛けていたはずの男の両手が後ろから伸びてきて、その両手は俺を囲むように扉にかけられていた。
突然背後から、それも至近距離に囁かれ、耳元にかかる吐息に背筋がぞくりと粟立つ。
こいつーーっ!?
鼓動がドクリと危険信号を鳴らした。
行き手を遮られ、ぐっと拳を握りしめて振り返ろうとするが、そんな殺気めいた視線をさらりと流したように、橘はすんなりとそのまま扉を開けた。
「・・・へ?」
そしてクスリと微笑むと、拍子抜けしたように呆気にとられている顔をのぞき込むようにして言った。
「貴方のような可愛い人だと、変な虫がつかないか久保田君もさぞや心配でしょうね。さ、どうぞ執行部までお送りしましょう」
気配を感じさせず背後をとられた俺は、橘の妖艶な笑みに数歩あとずさるようにして、
「っ、い、いらねぇよ!一人でいける!」
風のようにその場を飛び出した。
「・・・おや、逃げられちゃいましたねぇ」
(あれがあの久保田君の・・・。なるほど、確かに魅力的な子ですね。ふふ、危うく手が出そうだったなんて知られたら・・・、久保田君はどう思うでしょうか)
残された橘はひとり、楽しそうな笑みを浮かべていた。