(なんだよ、時任のやつっ)
工藤は闇雲に走って、見たことのない場所にいた。
さっきまで大勢いた人もここは少ないようで、駐車場やトイレ、開演していない小さな劇場などがあるだけで人もまばらだ。
「・・・どこだよ、ここ」
すれ違うたび肩が触れるような人混みは煩わしかったけれど、あまりひとけがないのも逆に寂しく感じる。
「出口はあっちか?いや、・・・」
工藤は一人でこんな場所に来てしまったことを、少し後悔していた。
帰ろうにも、久保田のマンションまでの道のりも分からない。たとえここを出ても、久保田か時任を捕まえないと帰ることもできないのだ。
「どうしたらいいんだよ・・」
それもこれも全部時任のせいだ。
(俺はただ、あいつと初めての遊園地、楽しみたかっただけなのに・・・)
遠くに見えるカップルや親子連れを目で追って、ぎゅっと唇を噛む。
いや、本当は時任が悪いわけじゃないことは分かっている。時任が久保田ばかりを気にするのが面白くなくて、無性に苛立った。どうにか時任を独占したくて、余計な喧嘩口調になってしまっただけ。
今回のことは、自分が時任と久保田を頼って強引にお願いしたというのに、一体なにをやっているのだろう。
怒りをぶつけて一人になって、勝手に心細くなっているなんて。
「・・・時任」
立ち止まり俯いたまま、小さく呟いた。
そのときだった。
「――工藤!!」
知った声にはっと顔を上げる。
「時任・・?」
慌てて声のする方を見ると、やはり時任がいた。遠くから大声で自分の名を呼んで駆けてきている。
ぱっと表情を明るくした工藤だが、必死の形相で時任が叫んでいることに気づいて、目を見開いた。
「――工藤、避けろ!!」
「っ!?」
ヒュンと空気を割く音がしたのと同時に、体のすぐそばを何かが掠めた。
反射神経には自信があった。身をよじったまま、どっと地面に尻餅をついたのと、それが何かを判別できたのは同時で、間一髪、避けられたことを知る。
工藤の目の前には見知らぬ男がナイフを片手にこちらを見据えていた。
後ろから切りつけてきたところを、工藤が反射的に避けたのだ。
「なっ、なんだよ、おまえっ・・・!」
「工藤ハルキっ!」
じりじりと近寄る男に工藤は後ずさるが、体勢が悪い。逃げようと腰を浮かせると、男が再びナイフを振りかざした。
衝撃を覚悟して、ぐっと目を瞑る。
「――ぐはっ!!」
「!?」
しかし予想した衝撃は訪れず、聞こえたのは男の呻き声だった。
工藤が次に目を開いた時には、男は地面に突っ伏していて。
目の前にあったのは、時任のしなやかな背中。
息を切らせた時任が工藤を庇うように立ち構え、男を蹴り飛ばしたのだ。
まるで盾になるように、自分を守るように堂々と立つ背中が、自分と同じくらいかそれよりも華奢であるはずなのに、酷く逞しく見えた。
まるで守られた女かのように、不意に胸が高まった。
(なんだ?ドキドキするっ・・!?)
「工藤っ大丈夫か!?」
「――あ、ああ、なんとか・・」
時任は不安げな顔で工藤を引っ張り起こすが、特に怪我もないことを確認すると、ほっと表情を緩め地べたで失神している男を見遣った。
「なんだ、こいつ。こいつが犯人なのか?知ってるやつ?」
「・・いや、知らない顔だ・・」
「まぁとりあえず。目ぇ覚ます前に縛っとくか・・ってお前何震えてんだ?」
「う、うるせ、震えてなんかっ・・!」
誤魔化そうにも語尾が震える。いつものように強気な言葉を探したけれど、喉が引きつってうまく言葉にできなかった。
胸の不用意な高鳴りと、殺されかけた恐怖が相まってなんともいえない感覚に体が震えていた。
(情けね・・)
自分勝手にかんしゃくをおこして逃げ出して、襲われて怯えて。自分が情けなくて泣きそうだった。
俯いて涙を堪える工藤は、きっと笑われると唇を噛んでいたのだが。
降ってきた感触と時任の言葉は、驚くほど優しかった。
「――大丈夫だ、犯人捕まえたし、もう襲われねぇよ」
「っ・・・」
ポンと頭を撫でられて、時任らしからぬ穏やかなまるで幼子をあやすような声に、工藤は顔をあげていた。
眼前に広がった優しい笑みに、胃がねじれるような感覚を覚える。
ただ瞠目して見つめることしか出来ない工藤は、不意に訪れた衝動に胸が熱くなった。
(・・・なんだろ、俺・・)
「・・・・時任」
「ん?」
その衝動は思考すら無視して、ただ工藤を突き動かす。
まっすぐに見つめ返す瞳が強くて、ただ、それが少し今は邪魔だと思った。
「・・・ちょっと目閉じてくれないか?」
「なんで?なんかついてるか?」
時任が素直に目を閉じると、強気な瞳が隠れる。
黒く長い睫が頬に影を落とし、その滑らかな肌に見入られる。
(―――綺麗だ)
いつの間にか震えは収まっていた。
目の下あたりにそっと指先で触れると、時任はぴくりと反応した。何かついていたものをとってくれていると思ったようだ。
薄く開いた唇に、目を奪われる。
工藤は胸にある衝動のまま、引き寄せられるかのように、その唇を近づける。
あと数センチ。
柔らかく温かな感覚を予想して、工藤が目を閉じた――――。