右手に吸いつくようなボールの感触に、バンバンと体育館に響くボールを打ちつける音が小気味良い。俺の大得意なバスケの時間。
「オラオラオラァ!!どけどけぇいっ!!」
敵は左右に一人ずつ、そして後ろに一人。俺は横目で確認すると素早く、低く、ドリブルしながらスルリと敵の横を抜ける。
「わわっ!」
バランスを崩した敵は俺の動きについてこれない。
もう一人、目の前に現れた相手に視線だけでフェイントをかけてくるりと回転して右に抜ける。
そして軽やかにジャンプして、ゴールリングぎりぎりにボールを運ぶようにシュート。
ザンッとゴールをくぐり抜けたボールを手に俺は得意満面に振り返った。
「どーだ!おまえら見たかっ、時任様の実力を〜!」
すると呆気にとられていた選手達の中、キャプテンの相浦が慌てて駆け寄ってきた。
「と、時任先生っ!なんで先生がゲームに参加してんですかっ?先生は審判でしょうっ」
「あ、そうだっけ。わりぃわりぃ、バスケって観てるだけじゃつまんなくてつい〜」
そういやそうだったと我に返って、今が自分が受け持つバスケ部の練習中だったことを思い出す。
「先生みたいに上手い人に入られても困りますよ〜っ」
「あはは、まぁ俺が上手いのはしょうがねぇからな」
体育大学では球技で負けることのなかった俺の、この並外れた運動神経は隠しようがねぇんだよなぁと笑ってごまかすが、相浦に「はいはい」とコートの端まで押し出され、渋々審判に戻った。
ちぇ〜、つまんねぇな。バスケ部の顧問たって、たいしたことできねぇしなぁ。どうせなら俺がプレーしたいっつーの。
するとそのとき
「ん・・?」
「ぷっ、くっ、くっ・・」
背後から押し殺したような笑い声が聞こえて俺は振り返った。ちょうど入り口の壁に背を預けて立っていた男に気づく。
「・・・なに笑ってんだよ」
「くく・・、いやぁ、時任クンてば、おもしろいなぁと」
「誰が”時任クン”だ!”先生”だろーが、久保田っ!」
「いやだなぁ。他人行儀ねぇ。”久保ちゃん”って呼んでって言ったでしょ?」
部員でもない久保田は、度々こうやってバスケ部に顔を出している。飄々とした態度とこの風貌はいつ見ても高校生には見えない。
「だぁからー!なんでンな呼び方しなきゃなんねぇんだ!生徒に命令されて言うこと聞いてちゃ、教師の威厳もなんもねぇっつーの!」
ぷいっとそっぽ向くと、次の瞬間すぐそばに気配を感じてビクリと体が強張った。気づけば頬に息がかかるくらい近くに久保田がいたんだ。
「!」
「命令?俺はそんなことしないよ?これは”お願い”。”久保ちゃん”って呼んでくれたら、俺も時任クンのこと”先生”って呼べるかもよ?」
久保田はそう言って細い目を大きくして俺のカオをのぞき込む。久保田と目を合わせると、俺より背が高いせいで否応なしに見上げる形になる。間近で見ると、やっぱりかなりの男前だった。かなり悔しいけどそんなドアップに端正な顔立ちがあると思わずドキリとしてしまう。
っつーか、カオ!近いって!!
肩にすっと回された手が俺の体を引き寄せて、その距離は限りなく近い。
隣の女子バスケやバレー部から黄色い悲鳴が聞こえる。これは間違いなく俺たちを見てのことだろう。ここ数日の女生徒の反応で、それがどういう意味なのか分かりつつある俺は盛大に叫んだ。
「だぁ〜!!それじゃ交換条件じゃねぇか!どこが”お願い”だよっ!」
「あれ?どしたの、カオ真っ赤だよ?」
「っ〜〜〜〜!!!」
そういって口端を上げた久保田の楽しげな顔に、俺の穏和な思考もぷっちん。容赦なく足蹴にして体育館から追い出してやった。
ったく、久保田はいつもこうだ。こいつのせいで俺は初日から『久保田の一目惚れ相手』という恐ろしいレッテルを貼られ、女生徒に人気者の先生になるという俺の野望は打ち砕かれつつある。
まぁただでさえ目立ちすぎる俺様の美貌にそのうちいらない噂も消えて行くだろうとは思っているが。
あれから1週間、久保田はちょくちょく俺の前に姿を現している。授業でもクラスでも会ってんのに、わざわざ放課後まで残って会いに来るたぁご苦労なこった。
だいたい、あいつ一体なんで俺にかまってくるんだ?からかわれていることはよく分かってるけど、それにしちゃあ、マメすぎるだろ。
『俺の一目惚れ・・かな?』
そういって微笑んだアイツの顔を思い出して、「んなワケねぇ!俺は男だ!!」叫びたくなりながらも、どんどん顔が熱くなっていくことに気づく。
だからっ、なんで俺がこんな顔を赤くしなきゃなんねぇんだ!
アイツの顔見てっと、変にドキドキするし、やたら多いスキンシップに焦ってばかりで・・・、なんか調子が狂う。
―――くそ。・・俺、どこかおかしいんだろうか・・。
職員室に戻ると、俺の受け持つB組担任の橘先生が声をかけてきた。
「時任先生、部活は終わられましたか?」
「あ、はい」
ほとんどの先生が席にいないのを見て、遅れながら今日、俺の歓迎会を開いてくれると言っていたことを思い出す。
「すいません、待っててくれたんですか?」
「ええ、みんな先に行っているようですよ。一緒に行きましょう」
にっこりと微笑む橘先生はかなりの美男子。俺の初日こそちょうど研修で休みだったが、2日目に初めてこの人を見たときには驚いたもんだ。
女子男子問わずに人気がある上に、教師の中でもファンがいるほどアイドル的な存在らしい。音楽の桂木先生情報だ。
くっそー、こんな強敵がいるとは、俺の人気が半減しちまうじゃねぇか。
まぁ、負けてるとは思わねぇが、確かにキレーな顔をしているし、おまけにかなり親切だもんな。
「どうです?だいぶ慣れましたか?」
歓迎会の席で隣に座った橘先生は、俺にビールを注いでくれながらにこやかに聞いてきた。
端正な顔立ちは笑うとかなり柔らかい雰囲気。・・だけど、実はこの微笑みがちょっと苦手だったりする。
「いえ、まだちょっと・・。」
「そうですか。でも大丈夫ですよ。まだ1週間ですし、すぐに慣れますよ」
「・・はい」
悪いヒトじゃないんだけど、親切すぎるっていうか、なんていうか。意味ありげな笑みとか、妙に色気の漂う流し目が、・・なんだかちょっとコワイ。
そういや桂木先生が、
『時任先生って、橘先生のタイプかもね。気をつけた方がいいわよ』
とかなんとか言ってたような・・。ありゃどういうイミだ?
心ここにあらず状態で考え込んでいた俺に、橘先生は落ち込んでいるととったのか、元気づけるように言った。
「時任先生はとても人気があるようですし、大丈夫ですよ」
「あ、ありがとうございます」
うん、悪いヒトじゃあないよな。
「ああそうだ、うちのクラスの久保田誠人君でしたか、彼も貴方のことを気に入っているようじゃありませんか」
その名前がでた途端、ドッキンと心臓が動いた。
「え・、い、いやあの、そのっ・・」
なんて言っていいのか分からずに、思わず動揺する。
もしかして何か噂に聞いたのだろうか?だとしても根も葉もないけど、教師に本気にされてたりしたら、いくらなんでも厄介だ。
ほんとに何もねぇのに・・、俺がただアイツにからかわれてるってだけで・・。
「気をつけてくださいね。彼、少し変わっているようなので」
俺がどう説明しようかと言葉を探していると、橘先生は思わぬことを口にした。
「え?・・変わってるって・・」
「中学の時、傷害事件を起こしたらしいんですよ。高校ではごく普通の生徒ですが、授業を欠席することも多いですし、深夜に危険な場所へ出入りしているという噂もあるようです。」
傷害事件・・。アイツが?
あんな怒ったことなんかないような穏やかなカオして、そんな過去があったなんて正直驚いた。
「・・・そうなんですか。で、でも、俺が見ている限りじゃ悪い奴じゃないと思いますけど・・」
「いやいやぁ、分からないよぉ?」
フォローに入る俺の言葉を最後まで聞かずして、目の前にいた社会科の眼鏡カバ、もとい保坂先生が口を挟んできた。
「その傷害事件っていうのは、なんでも女性絡みで、相手の男にかなりの重傷を負わせたっていうじゃないか。ああいう穏和でなに考えてるか分からない秀才が、キレると怖いんだよねぇ」
心底軽蔑したような顔でそう言われた瞬間、なぜか無性に腹が立った。
「まぁまぁ、保坂先生。今日は時任先生の歓迎会なんですから。時任先生、さ、ビールどうぞ」
「は、はい・・・・」
女性絡みで、相手を重傷に・・。
そんなことするアイツが想像できるかよ。もしホントでも、アイツがそんなことするなら、それなりに理由があったはず。ワケもなく相手を傷つけるような奴とは思えねぇ。
毎日のように俺をからかいにくる、あいつの気の抜けたカオを思い出して、俺ははっきりとそう思った。
けれどなぜか俺は腹が立ったまんまで・・。
・・・あいつが女の為に・・?
ほんの中坊の頃だぞ。
俺なんて中学のころ、ゲームくらいしか興味なかったぜ。
―――ていうか、当たり前だけど、・・アイツ、・・やっぱフツーに女が好きなんじゃん。
橘先生に勧められるまま、ビールや酒をあおっても、なんだかイライラは残ってて。
だから考えないように楽しもうと思ってまた酒飲んで。
そんな感じで、会がお開きになるころには、俺はすっかりヨッパラってた。
「大丈夫ですか、時任先生」
「うー、らいじょーぶれす・・・・」
やべ、ろれつがまわんね・・。チャリで帰らねぇといけねのに・・。
瞼が重くてたまらなくて、いけないと思いつつ薄れていく意識の中で、先生達が話している声がした。
「時任君帰れるのかね?」
「しょうがないわね、私が送るわ」
「桂木先生、女性一人じゃ大変ですよ。僕がお送りしましょう」
「・・橘先生、でも・・」
「ちゃんとお送りしますから、大丈夫ですよ」
なんだよ・・、俺は一人で帰れるって・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
体に響く振動と車のエンジンの音。
ふわふわとして気持ちいい。
そしてとにかく眠い。
『・・先生、時任先生。マンションに着きましたよ』
うるせーなぁ、まだ寝たい・・・
ユラユラとゆらめく意識の中で、すごく近くに橘先生のカオがあった。
『困りましたねぇ・・』
カオ、近い・・、やめろよ、そんなに寄るなっての・・
なんだコレ、夢・・・?
『そんな無防備な姿見せられると、連れて帰りたくなりますね・・』
そんな声が聞こえた気がして、なんとか目を開けようとしたけれど、瞼に襲いかかるものすごい眠気には勝てなかった。
何度となく覚醒しかけたとき、誰かの手が頬をなで、温かな唇を感じた気がする。
『好きだよ・・・』
そんな声が聞こえた。
少し低い温もりが首筋に触れて、なんだか心地よかった。
不思議に思って目を開けるが、よく見えなくて・・。大きな影が俺に覆い被さっているように感じたけれど、それは多分、全部夢だったのだと思う。