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 願い【10

 


 

・・・時任―――。

やはり俺みたいな人間に平穏な日常なんて分不相応なんだろうか。

俺の身体に流れる汚い血、

それを洗い流すかのように人の血を浴びてきた。

俺は、全てが・・、汚れきっている。

お前に会うまではどうでもいいことだったけれど・・、

お前が俺を・・・・・。

 

 

・・・時任

お前だけは必ず、取り戻す。

 

 

「稔・・さぁ、これからはずっと一緒だよ」

そこは研究所にあるはずもない異質な空間だった。

部屋というより中ホール会場のようなそこは、どこかヨーロッパの内装を思わせる重厚な造りである。研究所の外観からは想像もつかないような、立派な教会がそこにあった。

5メートル以上はあるだろう高い天井、薄暗い空間を壮大なステンドグラスから差し込む光が柔らかく包み、高貴な雰囲気を醸し出している。

十字が掲げられた本来祈りが捧げられるであろう場所に、二人は向かい合って佇んでいた。

何の反応もない少年の頬を撫でながら、奥井はうっとりと微笑む。

「素晴らしいだろう?稔。ここは僕らのために特別に造らせた本物の教会だよ。僕は、ここでいつも祈っていたんだ。稔が無事に帰ってくることをね」

そう言って優しく微笑むと、奥井は少年の獣手を握り締めたまま、その手にキスを落とす。

「稔・・、ここで誓ってくれるよね?・・僕らの神の前で。永遠に僕らは離れないと・・」

奥井は少年の顎を軽くつかみ視線を合わせるように上を向かせた。少年の眼は躊躇することなく、真っ直ぐに男を捉えながらも、感情の光は浮かんではこない。少年は少しの抵抗も見せずただ奥井を見つめていた。

男は少年の華奢な腰を抱き寄せ、ゆっくりと唇を寄せた。

・・・けれど、あと数センチで触れるというところで、ピタリと動きを止めた奥井はそのまま目だけを扉に向け、口端を上げる。

「・・どうやら、僕らの間を邪魔しようという輩が入り込んだようだね」

その目線の先には・・・、

鈍い光を宿した暗い瞳が奥井を、そして時任をじっと見つめていた。

久保田だった。

久保田は黒いコートを赤黒い返り血に染め、無造作に手にしていた銃の撃鉄をカチリと引き起し、

「うちの猫、返してもらえます?」

そう静かに言うと、銃口を真っ直ぐ奥井へと向けた。

奥井の表情は穏やかだった。思ったよりも随分と早い迎えに、感嘆の思いを見せるほどに落ち着き払っている。そしてゆっくりと口を開いた。

「ふふ、久保田くん・・・、稔は君のモノではないよ。小さい頃から僕が育て上げた、僕だけの、”所有物”なんだよ。――そうだろう?稔」

奥井は時任を抱き寄せたまま、その顔を久保田の方へと向けさせた。

その様子に、ピクリと久保田の表情が反応する。

「・・・時任・・?」

時任は久保田の姿を見ても、その声を聞いても何の反応もしめさなかった。ただ、光を持たない眼差しでじっと久保田を見ていた。

『必ず帰ってくる』と約束した時の、あの強い瞳は、・・・もうどこにもなかった。

「時任・・・・」

優しい瞳で時任を見つめる久保田の瞳が、一瞬揺れた。

『おっせーよ、久保ちゃん』

迎えに来た自分にそう文句を言う時任も、眩しいほどの笑顔も、久保田の知る時任はどこにもいなかったのだ。

「・・・アンタの目的は何?」

眼鏡の奥の瞳は冷たい光を宿したまま、久保田の低い声が辺りに響く。

「随分と無粋な侵入者だね。君は何か勘違いしていないか?君に返さなきゃいけないモノなどひとつもないのだよ。

・・・稔と僕は研究船で世界中を回っていた。それがある日たまたま記憶を失って姿を消したんだ。もちろん探したよ。稔は大事な僕のモノだからね。

そして記憶を取り戻し、僕の元に戻ってきた。何もおかしくないだろう?」

時任の頬や首筋を撫でながらそう言う奥井に、久保田の冷やかな目が向けられている。奥井は苦笑して話を続けた。

「記憶がない間、君に世話になっていたようだね。だが稔は記憶を取り戻し、いつもの生活に戻ったんだ。

――残念なことに君の記憶も、君と過ごした自分の記憶もきれいに消えているけれどね」

奥井の言葉に嘘はなかった。時任を見れば一目瞭然である。久保田を視界にとらえてもその瞳に久保田が映ることはない。まったくの他人を見るような眼が何よりの証拠だった。

しかし久保田の表情は変わらなかった。

「アンタは、時任をどうするつもり?記憶を消し、意思を消し、WAを投与させて廃人にさせたい?」

「ふふ、君はWAという薬をよく分かっていないようだね?これまで偽物による死体が出回っていたのだから無理もないとは思うが、本当のWAとは、私が作り上げた素晴らしいものだよ。

もし人に、獣のような屈強な体躯、強力な腕力・脚力、そして獰猛性を植えつけられるとしたらどう思う?もちろん平和の世ではただの恐ろしい獣というだけだろう。しかし戦争の絶えない国ではその力は喉から手が出るほど欲しいものでもあるんだ。その獣は人であって人ではない。人殺しを躊躇する情もなければ死を恐れることもない。それもただの獣と違って人の命令を理解する上に、洗脳がしやすいときている。・・それもWAの特徴の一つでね」

奥井はそう言って時任をうっとりと見つめ、久保田の視線も時任へ向けられた。

黙ってその場に立ちつくしている時任がどんな洗脳を受けたのか、久保田の銃を握る手にぐっと力が入るが、奥井は気にした様子もなく話を続けた。

「都合のよい最強の殺人集団をつくるにはとても効率的な薬といえるだろう?

もちろん研究は容易ではなかったさ。まず実験台を集めるのは苦労したよ。WAは投与すると細胞が急激に活性化され増殖するからね。脳にいたっては耐え切れず破裂してしまう。だからこそまだ頭蓋骨の柔らかい子供の被験者を希望してね、内戦が続くある国で親を亡くした大勢の子ども達に実験に協力してもらっていたのだが、なかなか適合者が見つからずに莫大な金と時間がかかったよ。

その中で稔はWAの唯一の適合者だった。これは奇跡だった。

日本から遠く離れた内戦の地で、出会った少年は僕と同じ黒い瞳をしていた。その稔が唯一の適合者。まさしく僕の夢を叶えてくれる運命の出会いだと確信したよ」

久保田は黙って奥井の話を聞きながら、奥井の腕の中で大人しくしている時任の姿に目をやった。

・・・・・”運命の出会い”、ね。

俺にとって、唯一そう思えたことが、お前に会えたってことなんだけど。

――ヤツと同じことは言いたくないなぁ・・。

ぼんやりと思った久保田の目の前で、奥井は時任の獣化した右手に指を絡めながら話を続ける。

「適合者である稔は過剰な副作用も無意味な細胞分裂を引き起こすこともなく、こうして生存することができるほどだった。新のWAとは適合者の体内で変異してこそ、その本来の成分が集結されるもの。そこで稔の体内に入れた薬の経過を見守っていたというわけだ。しかし・・、この右手を見てくれよ、どうだい?以前よりも獣化が進んでいることが分かるだろう?初めは爪先だけの変異だったというのに・・どうやら私の元から去っている間に稔の身体はすでにWAを投与することなく、徐々に全身にその獣化を進めているらしいね。WAの生成としては完璧なものだが、薬が完成した以上、稔をこれ以上獰猛な獣に変える必要もないからね、僕がここ数日投与している薬はそれを抑制するものだ。これからも少しずつ投与していくことによって、獣化の進行を押さえ、苦痛も避けることができる。

―――分かるかい?僕が稔を迎えに行ったのは、稔を救うためでもあるんだ。君の元にいるよりもずっと、稔は幸せに“生きてゆける”というわけだ」

「・・・・なるほどね、あんたが一生そうやって薬漬けにしてないと、時任は人間じゃいられなくなるってわけ・・」

「そういうことだよ。稔が行方不明になってからも色んな被験者で試したが、体内に入れて完全なWAに変形するサンプルは一人もいなかった。どれもただ獣化して破裂を繰り返すだけの醜いものだったよ。だが今回、稔から素晴らしいサンプルを採ることに成功した。僕がずっと研究していた集大成がここに完成するんだよ。

世界中のあらゆる人間が全ての頂点に立とうとこの力を欲するだろう。すでに日本国内と言わず様々な国から要望がきているからね」

「・・・・・・・・」

「そしてさらに僕にはWAを鎮静化させる薬を研究することもできる。稔に投与している薬もその試作段階のものさ。そうしてまた世界中はWAの力を恐れ、WAのワクチンとも言える薬を手に入れようとするだろう。

分かるかい?そうしていつしか僕は神となるのだよ。研究によって世界は僕の手中で回るのだ。ふふ、研究者として最高の栄誉だろう?」

「・・・・・・・・」

久保田はずっと黙ったまま、奥井の話を聞いていた。そうしてじっと時任の暗い瞳を見つめていた。

奥井の野望もその完成したWAという薬の恐ろしさもすべてが自分には無意味なもので・・・、

ただひとつ、時任の存在だけが、久保田の視線を捕えていた。

――時任と一緒に暮らした2年間、右手の痛みに耐える姿も、徐々に獣化が進行していることも・・、気づいていた。

時任は何も言わなかったけれど、多分不安は大きかっただろう。

それでも時任は過去と、自分の右手と向き合うために、WAという薬を追うことを選んだ。俺は、そんな時任の隣で同じものを追っていた。・・・だけど、本当は・・・。

時任がどんなに苦しんでいても、全てを知りたいと願っていても、・・本当は、全部・・・、

―――どうでもいいことだった。

お前の願う幸せを、願えない俺を知れば、お前は何と言うだろうね?

そんな疑問がよぎるたび、“ごめんね”と謝罪の言葉が口をついて出てくる。

そして俺が今こうやってお前の温もりを望むことも、お前の幸せとは逆のことなのかもしれない。

それでも、俺は――――。

じっと時任に注がれた視線が意を込めて鋭い光を宿した時、教会の空気がピリリと張り詰める。

その気配に奥井は冷笑を浮かべ、目を細めた。

「どうやら君は本当に稔を愛していないらしいね。僕を殺すということは稔の未来を奪うことだというのに・・」

「どうでもいいよ、そんなこと。ただ・・、俺は今度こそ時任の願いを叶えてあげたいだけ」

「・・死が稔の願いだと?」

「いいや。WAからの・・、いやアンタからの、”悪夢からの解放”ってところかな」

奥井は久保田の言葉に僅かに片眉をあげ、ゆるりと口角をあげて笑みを浮かべる。

そしてよく響く張りのある声で、時任に命令を言い渡した。

「――稔、この男を殺すんだ」


つづきます~^^;

 

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