久保田は時任を肩に抱き上げ、研究所の中枢へと向かった。
教会へ向かう前に久保田を足止めした警備隊はすべて倒していたが、
研究室には武装をしていないだろう研究員達が残っているはずだった。
しかし、研究室に足を踏み入れた久保田は僅かに目を大きくした。
閑散とした研究室の中で、研究員達の白い上着は赤く染められ、それが至るところに転がっていたのだ。
武器も持たず抵抗もできずに射殺された研究員達の死体が――。
その死体の中に、一人佇む男の姿を見て、久保田は素早く銃を構えた。
「――どうやら取り戻したようだね、君の飼い猫を。いや、さすがだね。予想よりずっと早いお着きだよ」
左手に小さなアタッシュケースを持ち、右手には銃を持ったその男が静かに口を開いた。
口端に深い笑みを浮かべ、落ち着いた声にはどんな感情も見てとれないが、
久保田はその様子を見て、スッと目を細くした。
「・・真田さん、アンタの目的の物は手に入れたってわけですか」
「そういうことだ。WAという新種のドラッグ、これはうちの組としても喉から手が出るほど欲しいものだからね。君のおかげでまだ未調整な状態だが、ここまで完成形に近づけば十分だ。”あの方”も喜ばれるだろう」
「
へぇ・・?まだ、アンタの上にも黒幕がいるってわけ?」
「君も会ってみるかね?―――しばらく顔を合わせていないのだろう?」
真田の意味深な笑みに、久保田の瞳が深みを増した。
「・・・・・・・」
「知っているかね?奥井君の能力を見出し、WA製造のための設備を支援してきたのは、全て”あの方”なのだよ」
「・・・・・・なるほどね、・・・やっぱり、そういうこと・・。」
「フ・・、いい眼だ、あながち予想していないわけでもなかったというわけか。」
光を持たない瞳の奥は深く、けれども明らかに身にまとう空気を変えた久保田に、真田は笑みを濃くすると、久保田に抱えられる時任を見やった。
「――君がその子を・・、”WAの唯一の適合者”と出会ったことは、ある意味奇跡的な偶然なのだろうが、君の中に流れる血は、ずっと前からWAという悪魔の薬に深く関わっていたというわけだ」
「・・・・・・・」
「不本意といった顔だね?さて、それで君はどうするかね?――君のおかげで少々予定が狂ってしまったよ。WAの資料を渡した時点でいずれ警察に嗅ぎつけられることは想定済みだが、ここまで死体が出ては隠しきれないからね。私はここを爆破しこのWAのサンプルをあの方に届けるつもりだ。――すでに数か所に時限式の爆薬を仕掛けてある。あと5分強といったところか」
穏やかな口調ながら、早々に話を切り出す様子から、真田は久保田が現れる前に研究室を爆破する手はずだったらしく、どうやら時間がないことは確かなようだった。
「今ここで私を殺すかね?――この薬と共に。それもいいだろう。そうすればあの方は手に入れることができず、WAはすべて破棄され表沙汰にはならない。
だが―、そうなれば必ずまたWAを求める者にその少年が狙われることになるだろう。
他に情報もない以上、その子は唯一のキーに他ならないのだからね」
「・・・・・確かに、そのとおりですね」
久保田はそう言いながらも銃を下ろそうとはしなかった。
ここで真田を帰らせておけば、そのうちWAは世界中に広まり、時任を追う者もいなくなるだろう。
そして確かに真田の言うようにここで全てを始末してしまえば、WAの適合者である時任がまた追われる身になるだろうことは考えるに容易い。
広い研究室で、二人は距離をとったままじっと銃を向け合っていた。
そうしてる間に、肩に背負った時任から温かな血が流れ、久保田の服を濡らしていく。
「・・君にも時間がないようだね。その子を死なせるわけにはいかないのだろう?」
それに気づいた真田の声が答えを急かすように響く。
そのときだった。
ピッピッピッ
「・・・?」
小さな電子音が久保田の意識を捉えた。
音の鳴る方をちらりと横目で見やれば、部屋の中程にある柱に、真田が仕掛けたのであろう時限爆薬らしきものが見える。小さな電子音は爆発の警告音といったところか、猶予は恐らくあと数分しかないはずだった。
「さあ、道をあけてもらおうか。ここで私と心中する気かね?」
真田はそう言ってゆっくりと近づこうとするが、久保田は撃鉄を引くことでその動きを制した。
「まさか。それは勘弁してほしいですね。――お一人で、どうぞ?」
久保田はそう言うと、銃口を真田から90度向きを変えて、部屋の中柱に向け引き金を引いた。
「―!」
ドン、――――――ドドオオオ――ン!!!
銃声が小さく感じるほどに、激しい爆発音がビリビリと建物を揺らす。
その威力も凄まじく、真田は素早く伏せたものの、アタッシュケースは爆風に飛ばされ床を滑り飛んだ。
久保田の銃弾は爆薬に命中し、リミットを待つことなく爆発を起こしたのだった。久保田は引き金を引きながら、瞬時に研究室の外に飛び込んだため、直接の爆風を避けることができたが、時任を守るため身を盾にしたせいか、飛んでくる硝子の破片を避けることはできなかった。
ようやく辺りが静まり、久保田が身を起こすころ、熱い痛みを感じた腹部には、ズブリと深く突き刺さった破片があった。
「っ・・・」
それをゆっくり抜き捨てると、血が吹き出るのを押さえながら、再び時任の身体を担いだ。
爆破されたのはこの研究室の1つだけ。この建物中に仕掛けたという爆薬に引火しなかったのは幸いだった。それでもリミットまではあと数分しかないはずであった。
研究室内部はその原型を留めていないほどに崩れ落ち、至るところに炎が上がっていた。
真田は出口付近にうつ伏せに転がったまま微動だにしない。久保田はその先に落ちていたアタッシュケースを拾い上げると、中に入っていた研究材料の小瓶を、全て燃え盛かる研究室の中へ投げ込んだ。瓶が割れて気化したWAに火が付きさらに激しく燃え上がる。
燃え盛る炎を見ながら、久保田はぽつりと言った。
「残念でしたね。・・・アンタに与えてやる義理はない・・ってね」
小さく呟いた一言は、誰に向けられたものなのか・・。
そのとき遠くから鈍い轟音が響き渡った。
ドドドドーン!!
建物のどこかで爆発が起きたような地響きが足を揺らす。どうやらタイムリミットのようだった。次にどこが爆発するのか、一刻の猶予もない。徐々に至るところで起き始める爆発音に背を向けながら、久保田は走り出した。
肩に抱える時任だけをしっかりと抱きしめながら・・・。
海に囲まれ、岸壁にそびえ立ったこの研究施設に、出入り口は多くはなかった。そのうえ正面出口や久保田の侵入経路はすでに爆発によって塞がれているようだった。
久保田はそれらに背を向けて、出口のない岸壁の方へと駆けた。
階段を下り、一番低いだろう場所から窓の外を覗くが、岸壁は思った通り、かなりの高さだった。
距離をはかろうと下を覗くが、真っ暗な海では岩肌も見えない。
それでも他に道はなかった。
ほぼ山勘ではあるが、日が落ちる前に見た海の色から、飛びこめる位置を再度確認した。
ここから逃げるにはそれしかない。
人が飛び込めない高さではないが、うまく岩を避けられたとしても、恐らく気絶は免れないだろう。
さて、どうするかと、真っ暗な海にふと目をやると、小さな灯りが見えた。
「?」
小型の漁船にしては灯りは小さいが、それは明らかに意図して間をおいて光っている。
久保田がもしやと、双眼鏡で見てみれば、そこには点滅する灯りに照らされた人影があった。
その姿に思い当たった久保田は、小さく笑みを浮かべて息を吐いた。
「裏切り者さんが今度は助けにきてくれたみたいね?」
小さなボートに乗った男は誰が見ているとも分からない小型の電灯を自分の背後から点滅させながら、合図を送っている。
人物こそ定かではないが、ピカピカと光と影を背後に受けながら浮かび上がるシルエットは、滝沢に違いなかった。
滝沢は鵠の元で目を覚ました後、やはりいてもたってもいられず鵠が手配したボートに乗って一人、この研究所を目指していた。
久保田の足取りが分からず立ち往生していたが、突然建物のあちこちで爆破がはじまったことで、まだ爆破されていない西側の岸壁で様子をうかがっていたのだった。しかし海はもちろん研究室側も暗く、たとえ久保田がここから逃げようとしてもまったく見えない。
滝沢はせめて自分の存在を知らせようと、灯りを照らし続けていたのだ。
「あんな小さなボートで、どうやって帰るのかねぇ。それでもないよりはマシ・・か」
そう言うと久保田はコートを脱ぎ、ライターを取り出す。すると煙草に火をつけるではなく、コートの裾に火をつけた。窓の外にぶら下げるように持ったコートは、風に煽られみるみるうちに燃え盛っていく。
十分に火が上がったころに、そのまま海へと落とした。
コートは火だるまになりながら、岩下から吹き上げる風に煽られ、ゆっくりと海へと落ちていく。
ボート上で滝沢は、何か大きな火だまりが建物の窓から落ちて行くのを見て腰を浮かせた。
「―――く、クボッチか!?・・おいおい、まさか・・・」
恐らく、久保田はここから飛び降りるつもりだと、自分に知らせるためにやっているのだと気付いた滝沢はあんぐりと口を開いた。
「ま、マジかよ。正気じゃないね、この暗闇の中、この高さを飛ぶってか――!?」
しかし驚いてばかりもいられなかった。そうであれば自分しか助けることはできないのだ。
「まぁ・・それしかないか」
滝沢は火があがった窓あたりを見つめ、飛び降りるのであればと、おおよその着水点に目星をつけて目を凝らした。
(クボッチ、トッキー・・、うまくやれよ――――!)
(さーて・・、気づいてくれたかな?)
「・・時任、もう少し我慢しなね」
時任の出血は酷かった。破った衣服で止血はしているものの、今もじわじわと黒い血が染み出しているようだった。薄暗い中、青白い顔が浮かび上がって見える。久保田はその白い頬を愛しげにそっと撫でると、華奢な身体をぎゅっと抱きしめたまま、窓辺に身を乗り出した。
窓の下は断崖絶壁。下から吹き上げる強い風を受けて、時任が小さな呻きを上げ僅かに目を開ける。
「う・・・・」
「時任」
「・・・・」
ぼんやりと見上げるその瞳の色は、・・・やはり久保田の知るものではなかったが――、久保田は優しく頬笑むと、その唇にそっと・・・、キスをした。
「・・さ、帰ろうか」
西側にもっとも近い個所で爆音が轟いた。
久保田らの背後で、暗闇だった辺りが眩いほどの炎に包まれていく。
久保田は強く時任を抱きしめたまま、落ちるように、飛んだ――。