「時任、迎えに来たよ」
――久保ちゃんがそう言って俺に優しく笑いかける。
その優しい顔をした久保ちゃんの黒いコートは、返り血だろう、赤く染まっていた。
「・・久保ちゃん、おっせーよ」
「ごめんね?」
関谷が時任を引き起こし盾にするように、こめかみに銃口をあてがうが、時任も久保田もお互いしか見てなかった。
「久保田誠人君。お久しぶりね。アタシの存在を無視するのはやめてくれるかしら?」
その言葉に久保田は初めて気づいたといった風に関谷に目を向ける。
「外には十数人アタシの部下がいたはずなんだけど・・殺られちゃったようねぇ」
関谷を見る久保田の顔は打って変わって無表情で、目の奥は酷く冷たい色をしていた。
底冷えするような冷やかな眼光を受けてか、時任は自分の後ろで関谷が息を呑むのを感じる。
「・・ふ、ふふ、前にもこんなことあったかしらねぇ?」
「そうだったねぇ、やっぱあの時殺してればよかったなぁ」
「後悔先に立たず、よ。大人しく銃を捨てて・・」
そう関谷が言うよりも早く、久保田の銃が火を吹いた。
「!!!」
一発の銃弾が時任のこめかみのすぐ横をすり抜けたと思うと、鉄の塊が床の上を滑った。
同時に関谷の絶叫が倉庫に響く。
「っひいいいっ!!アタシの指・・っがぁ!!」
指を吹っ飛ばされた関谷の腕の力が緩み、時任の身体は前方へと倒れこんだ。
「っ・・」
「観念するのはどっちかなぁ?」
血まみれの指を押さえて片膝をついた関谷に、久保田はゆっくりと近づく。
「・・ふっふふふふふふ・・、」
久保田の銃が関谷の眉間に合わされる直前、関谷が突如、まるで気が触れたかのように不気味に笑いだした。
「・・?」
久保田が引き金を引くタイミングを外したそのときだった。
「言ったわよねぇ、アタシ・・・・銃は嫌いだって!!」
「時任っ!!」
「っつ!!」
関谷は隠し持っていたナイフで、自由が利かず這いつくばる時任に切りつけたのだ。
倉庫に久保田の声が響き、時任は鋭い痛みが走った右ふくらはぎを抑えたままうずくまる。
「動かないで!・・次はココ、・・切るわよ?」
関谷は久保田の動きを制すると、赤黒い血にそまった右手で再び時任の首を拘束し、首元に鋭い刃を押し付けてみせた。
ぐっと強く刃を押し当てられているせいで、じんわりと首の皮膚が切れて血があふれる。
恐らく、先程のように久保田が関谷を撃とうものなら、軽い衝撃でも時任の首筋から大量の血が噴出するに違いない。
久保田は、それでも鋭い目つきで関谷を見据えたまま撃つ隙を狙っているようだった。
途端に空気がピンと張り詰め、その場は冷えた殺気と緊迫感に包まれる。
傍から見れば状況は久保田が不利だと言えるだろう。
しかし久保田のいつも穏やかな目からは想像もつかない怒りに満ちた深い瞳が、確実に関谷の背筋を凍らせていた。
関谷の腕が震えながら、ぐっと時任の首を絞めつけ、一段と久保田の眼光も鋭くなる。
時が止まる中、久保田は今まさに引き金を引かんばかりの殺気を込めるが、その張り詰めた緊張感を崩したのは予想外のものだった。
遠くから徐々に聞こえた騒音が、耳を塞がんばかりの轟音となってその場に轟き渡った。
バリバリバリ
「!!!」
大きな轟音が聞こえたかと思うと、突然、関谷と時任が背にしていた窓ガラスが、激しく音をたて砕け散った。
「っ!?」
外からの激しい銃撃が、部屋にいた3人に襲い掛かったのだ。
「なっ、なんですって―!?」
関谷が振り返り驚愕の表情を浮かべる。
「久保ちゃんっ!」
久保田の動きは速かった。久保田は銃弾の嵐をかいくぐり走り抜け、動けない時任の身体を抱えて、軽々と窓からの死角へと飛び込んだのだ。
ドガガガガガ!!!
機関銃や散弾銃のような合間のない銃声が一斉に降り注ぎ、死角に身を隠した久保田は時任の身体に覆いかぶさるように床に伏せた。
「っ!久保ちゃん、タキさんがっ・・!」
「たぶん、大丈夫。あそこなら直接弾は当たらない」
久保田は意識を失って横になる滝沢の位置を目視していたらしく、それがちょうど窓下であったことから安全だろうと判断したようだった。
どのくらい経ったのか、ようやく銃声は止むがいまだバリバリと轟音だけが辺りに響いている。
久保田は様子をうかがいながら辺りをそっと見回した。
轟音の正体は、ヘリコプターだった。
さきほどまであった分厚い窓はガラスをすべて粉々に吹き飛ばされ、倉庫の屋根近くまで大きな穴が空いており、その隙間にヘリを確認できる。
どうやら“敵”はヘリから一斉に攻撃してきたらしい。
「ぐ・・っ・・、なっ・・、な、なんなのよっ!」
床に這いつくばり腹や足から噴き出す血を押さえながら、関谷はじりじりともがいていた。どうやら避けきれず、かなり弾をくらったようである。驚愕し、血を吐きながらそれでも窓の外を睨みつけている様子を見ると、“敵”は関谷にも予想外の行動をとったらしい。
「――時任、大丈夫?」
散々殴りつけられ足を切られた時任は立ち上がるのも困難で、久保田に寄りかかるようにして息を整えている。それでも幸い弾は当たらなかった。
久保田はひとまずホッとして、自分のシャツで出血の酷い時任の足を止血する。
「――あぁ、サンキュ。久保ちゃんも、腕、血ぃ出てる」
「かすっただけ、大丈夫。・・それよりも・・」
「あぁ、ヘリから攻撃するなんて、何モンだ?」
「うん、関谷がやられてるトコみると、東条のもんじゃないみたいね?」
破られた大きな窓は新たな出入り口となっており、そこから外を覗くと、ヘリが着陸し男が一人降りてくるところだった。どうやら武装している様子はないが、その男の周りを固める黒服の男たちが、こちらに銃口を向けているのが見える。
日が傾いたせいかヘリの光を背に受けたその男がやけに眩しく、目を細めた久保田だったが、相手の姿をようやく眼で捉えた瞬間、はっとしたように目を張った。
「・・・俺ってやっぱ、なんかチカラあるみたいね・・」
ぼそりと呟かれた言葉はどこか久保田らしい自嘲的な響きがあった。
「――え?何、久保ちゃん」
その男は、久保田に名刺を渡した・・あの奥井という男。
真田と共に久保田の前に突然現れた、久保田に“不安”という恐怖を植えつけた張本人だった。
久保田は無言のまま、胸に押し寄せる何かを振り払うように時任の左手をぎゅっと握り、時任はそんな久保田を不思議そうに見上げた。
「久保ちゃん・・?」
久保田は時任の問いかけにも答えず、手をつないだまま、奥井という男を見ていた。
その表情に不安を覚えた時任が、久保田の鋭く殺気に満ち溢れる視線を、自然に追う。
そしてその視線を辿った先に悠然と立つ背の高い男を見て、胸がドクンと嫌な音を立てた気がした。
「・・・――っ!?」
その男は小奇麗なスーツに身を包み、紳士のような物腰だった。
時任にとっては初めて見る男。だが、その人の良さそうに目尻を下げ微笑む男を見た瞬間、時任は背筋がざわりと嫌な感触に包まれるのを感じて目を大きくした。
――な・・なんだ!?
奥井は武装する男らと共に倉庫まで近づくと、久保田らの隠れる場所に顔を向け、穏やかな低い声で語りかけた。
「久保田君、そこにいるんだろう?僕は話をしたいんだ。出てきてもらえるかな?・・じゃないと、そこにいる全員に蜂の巣になってもらうことになるんだけどな」
奥井の穏やかじゃない言葉に反応してか、久保田はすぐにスッと立ち上がりその姿を見せた。
「俺に何か用ですか?」
「やあ、また会ったね、久保田君」
奥井は先日と変わらぬ優しい口調で久保田に笑いかける。
だが、ふいにその視線は久保田の横で、腕につかまるようにして立ちあがった時任へと移された。
ドクドクと嫌な鼓動の速さを覚えながら、時任が口を開く。
「・・久保ちゃん、アイツ何なんだ?知り合いか?」
「こないだ初めて会ったんだけどね。・・俺はもう会いたくなかったけど」
久保田がそう言うと、奥井は楽しそうに笑みを浮かべた。
「ふふ、今日は久保田君に用があるわけじゃないんだ。僕は迎えにきたんだよ。
――君の飼っているという、その猫、いえ時任君だったかな?」
「!」
久保田の眼光が鋭く光を帯びた。ざわりと毛が逆立ったように感じる。
「それは・・どーゆーいみ?人見知りするからやめてくれって言いましたよね?」
二人の会話が分からず聞き入っていた時任も、どうやら奥井が自分のことを言っているのだと理解して、驚きを隠せなかった。
初対面の人間に、迎えに来たと言われては驚くしかない。
「いや、大丈夫だよ。彼は自分から私の元へ来ることを望むだろう」
奥井の挑戦的な言葉に久保田よりも先に時任が反応した。
「は!?てめぇ何言ってんだ?俺がそんなこと望むわけねぇだろ!」
奥井はそんな時任をまっすぐに見つめるとニヤリと笑った。
「!」
その笑みに時任は何故か口をつぐみ、息を呑む。
――な、なんだ・・!?こいつっ・・
「時任君、挨拶が遅れたね。僕の名前は・・・奥井明良(おくいあきよし)。よろしくね」
「奥井、あきよし・・・?」
――奥井・・アキヨシ・・関谷が言ってた、俺の過去を知るやつ・・!!
「時任君。僕はWAの調査・研究をしているんだ。君の右手のことはもちろん聞いている。僕についてくれば、君の右手の秘密も解明できるかもしれない。どうだい?一緒に来ないか?」
「――!!」
時任は更に目を大きくして奥井の言葉に息をのんだ。
自分の過去を知っている上に、WAの研究をしているという男。今まで全く見えなかった過去への手がかりが、自ら時任を手招きしているのだ。
「――悪いけど、時任は渡さないよ?」
戸惑う時任をかばうように前に出た久保田は、暗く冷やかな目を奥井に向けると、躊躇なく銃を構えた。
「久保ちゃんっ・・」
とっさに反撃しようとした黒服の男らに、奥井は軽く腕を上げてそれを制す。
「久保田君、やめときたまえ。言っただろう?君だけでなく時任君も、そこに倒れている君達の仲間も死ぬことになるのだよ?」
ここで抵抗すれば皆殺しになるのだと言う奥井だったが、久保田は考える風でもなく、無表情のまま銃を下さなかった。
「久保ちゃん!」
時任は慌てて後ろから久保田の服を握り、ぐっと唇を噛んだ。
・・久保ちゃん!この人数で、無理だっ・・
滝沢は重症で、早く医者に診せないと危ない。
久保田だけならまだしも、時任は一人で立ち上がるのも困難な状態なのだ。
そして久保田は自分を守るためなら、他の誰が死のうとも、今すぐにでも引き金を引くだろうということも、時任には分かっていた。
――こいつらの目的は俺一人。
時任は久保田に掴まる手にぐっと力を入れると俯いたままポツリと言った。
「・・久保ちゃん、悪い」
「時任?」
「銃、下ろして、逃げてくれ」
「・・・・どうして?」
「こいつが言うように俺もタキさんも走って逃げることもできない。タキさん、俺のせいでこんな目に合わせちまって、・・絶対に死なせたくねぇんだ。それに・・」
「・・・・それに?」
「こいつが言うことが本当なら、俺の右手のこと、何か分かるかもしんねぇ・・・」
「・・・・・・・・」
「頼む・・・・・・」
時任は顔を上げると、真っ直ぐに久保田の目を捉え見つめた。
久保田もまたそれに答えるようにその目を見つめて、そして少しだけ笑みを浮かべると、ひどく辛そうに言った。
「・・イヤだって言ったら?」
「・・っ・・・・・・」
久保田の見たこともない表情に、時任の胸は苦しく締め付けられ顔を歪める。
「・・久保ちゃんっ・・・ごめんっ・・!」
時任はその顔を隠すように俯き、唇をかみ締め、久保田の腕から離れると、足を引きずりながらゆっくりと奥井のもとへと歩きだしたのだった。
「話は済んだようだね」
その様子を黙って見ていた奥井が手を上げると、黒服は銃を納めてヘリの周りを囲むように待機する。時任は空いた道を進みながら奥井の元へたどりつくと、一言だけ言った。
「約束してくれ、久保ちゃんたちを無事に帰すって」
「もちろん。約束するよ」
奥井はそう言ってニッコリと微笑んだ。
時任と共にヘリに乗り込もうとして、奥井は思い出したように振り返る。
「ああ、久保田君、僕の行き先は関谷さんに聞くといい。いつでも待っててあげるよ」
その時黙って様子を伺っていた関谷は、床に這い蹲り探し当てた銃を手にしていた。
「待ちなっ!この腐れゲズがぁぁ!!」
関谷がそう叫び銃を構えるよりも早く、奥井は素早く銃を手にして、ためらうことなく関谷の腹を打ち抜いた。
「がぁっ!!!」
そうして唸り声をあげたまま倒れこんで動かない関谷を目の端で見ると、薄っらと笑みを浮かべた。
「ああ、関谷さん、顔を合わせるのは初めてでしたね。すみませんね。貴方とは協力していこうと思っていたんですけどねぇ。この子を連れてきてもらってありがたいのですが、こんなに傷だらけにしてしまうとは・・・、・・僕も許せなくてね」
時任は先に乗り込むと久保田の方を見ることもなく、張り裂けそうに痛む胸を感じながらただ唇をかみしめていた。
――久保ちゃんっ・・
この場は久保田と滝沢のことを考えれば、こうするのが一番いいのだと言い聞かせながら・・・。
しかし初めてワガママを言うように言った久保田の言葉と・・、その表情が胸を締め付ける。
”イヤだって言ったら・・?”
・・・・離れたくない――。
久保ちゃんにあんな顔させたまま、離れたくなんか・・、ないっ―!!
ヘリが離陸する寸前だった。時任は突然立ち上がると両手で強く窓を叩き、久保田に向かって叫んでいた。
「久保ちゃんっ!!俺の帰る場所はっ、あの家しかねぇからな!!」
強い意思を込めた言葉は、時任の本心で・・。胸を焼くような苦しい想いを振りきるように時任はぐっと拳を握って堪えると、いつものようにニカッと笑顔を浮かべた。
その笑顔に反応するかのように、久保田はやっと銃を下ろし、動き出したヘリの後を追いかけるように走りだす。
「・・時任!!すぐに、――迎えにいくから!」
時任を見つめる久保田の瞳も、いつものように穏やかだった。
遠くで混じり合う二人の視線。
――久保ちゃん、絶対な・・
――時任、必ず・・
二人の瞳には、もはやお互いしか見えていなかった。
必ず帰ってくることを確信しながらも、その姿を目に焼き付けるかのように・・・。
時任は小さくなって見えなくなっても、いつまでも久保田を見つめていた。
「そんなに寂しいのかい?彼との別れが」
奥井は時任の姿を目の端で捉えると、にっこりと微笑む。
「・・別れじゃない、俺は久保ちゃんのところへ帰るんだから」
時任のその強い言葉に奥井が反応するかのように、優しく細められていた瞳が一瞬鋭く闇を見せた。
そして時任がそれを感じる間もなく、奥井は強い力で時任の肩を抱き寄せ耳元に唇を寄せると、その低く穏やかな声で囁やくように言った。
「ずいぶんと懐いたものだね?なんだか妬けるよ・・ミノル・・」
「―!?」
奥井の言葉に素早く反応し、時任の瞳がさらに大きく開かれる。
「・お・・前っ、今なんて・・?」
久保田以外が知るはずもない自分の本当の名を呼ばれ、関谷の言葉を思い出した。
「・・まさか・・本当に、俺の過去を知ってるってのか・・!?」
強く大きな目で真っ直ぐと自分を見つめる瞳に、奥井は嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、よーく知ってるよ。ミノル。――早く僕を思い出してくれよ」
「うっ!」
首筋にチクリと何かを感じ、身体を強張らせたときには遅かった。途端に視界がぼやけ始める。
「・・ミノル・・・、」
「早く、前のように僕の名を呼んでくれよ、ミノル・・・」
まとわりつくような奥井の言葉が耳元で響きこだまし、そのまま、時任の視界は暗闇に閉ざされたのだった。