「真田代行、奥井さんがお呼びです」
真田が研究員の一人に呼び止められ部屋へ向かうと、そこには奥井の姿の代わりに見覚えのある少年が立っていた。少年は何をするでもなく、窓辺に一人じっと空を見つめている。
黒髪に黒い瞳、すっと整った端正な顔立ちをしており、その華奢な身体には真っ白なシャツを纏い、細身の白ズボンをはいている。
大きなアーモンドアイの瞳が印象的なその少年に、真田は近づいて声をかけた。
「やぁ。・・・時任君、だったかね」
「・・・・・」
「私とは初対面だったね」
真田が目にしたのは、黒い大きな瞳でまっすぐに自分を見つめる時任の姿だった。しかし、以前久保田といる時任の姿を覚えていた真田は、おや、と眉を上げた。
時任の瞳からは何の感情も見てとれず、前とは随分と印象が違っているように感じたのだ。
「――真田さん、その子は”ミノル”ですよ。僕が名づけの親なんだから間違いないです」
部屋の奥から姿を現した奥井が、にっこりと微笑んで言う。
「ほう。・・しかし前に見かけたときとは、感じが違うようだね。・・・まぁ、私には関係ないが・・」
「これがこの子の本当の姿ですよ。――見てくださいこの右手」
微動だにしない時任の獣化した右手を、奥井は両手で握りこみ愛おしそうに自分の指を絡めて見せた。
「・・ほう・・」
真田はその手を見て、わずかに目を開いて見たが、その表情をすぐに余裕のある笑みへと変えた。
「ふ、なるほど。その子がパンドラのキーというわけか」
「僕にとってこの子は宝物なんですよ」
奥井はそう言って指を絡めたまま、愛おしそうに時任を見つめる。
「しかし、飼い主がすぐに取り戻しに来るのではないか?」
真田の言葉に奥井は分かっているといった風に楽しそうに笑った。
「ご心配はいりません。予定通り稔が戻ってきたおかげで、ここ数日ですでに細胞のサンプルもデータも取れています。明日にでも真田さんの御所望の物をお渡しできるかと思いますよ」
「それはありがたいね。これだけ偽物が蔓延していると、いくら直属の売人を始末したからと言って、いつ足がつくとも分からないからね。これ以上試用する必要がないのは助かるよ」
「ああ、そういえば宗方先生がT国とI国にも急かされてるって言ってましたっけ?」
「そうなのだよ、君もよく知っているだろう?あの方の怖さを。さっそく明日には渡せると伝えておこう」
大げさに肩をすくめて見せる真田に、奥井は目を細めて微笑した。
「僕も嬉しいですよ。この設備に投資してくださった方のお役に立てて」
奥井と真田が会話を交わす中、時任はじっと立ちつくしたまま奥井の傍にいた。二人の会話は聞こえているはずなのに、まるで反応を示さずに、ただそこに居るだけだった。
談笑を終えた真田はそんな時任にちらり目をやるが、何を言うでもなくその場を後にしたのだった。
一方、東湖畔――
「・・それで貴方は真田の言うように、時任君を呼び出したんですね?」
鵠の言葉に滝沢は眉をよせて、頷いた。自分の命を守るためとは言え、二人を売ったという事実に変わりはない。自分の裏切りの罪を認めながら深く自分を責めているようだった。
あの日苦悩の末、時任に連絡を取った滝沢は、久保田が不在だったことに内心ホッとし、またの機会を見ようとしたのだが、予定外に時任は一人で滝沢の元へ駆けつけてしまった。
滝沢は呼び出す相手が久保田と時任の二人であれば、簡単に捕まったりはしないだろうと踏んでいた。その場になれば自分も久保田らに加勢する気でもいたのだ。
しかし時任は予想に反して一人でやってきてしまった。
真田の手のものが身の回りを張りついていることは感づいていたのだから、時任をそのまま一人にさせるわけにもいかない滝沢はかなり動揺していたのだが、WAの遺体が出たという報告はある意味よいタイミングだったのだろう。堂々と時任についていくことができる上、久保田とも合流できると思ったからである。
せめて時任の身に何かあった時、自分が力になれるようにと・・・・。
しかしそれが、逆に自分の存在が足手まといになるという、最悪の状況へと陥ったというわけだった。
「・・・ほんと、情けねぇわ・・オレ」
自分の不甲斐なさに滝沢は俯いて拳を握り締める。
鵠はそんな滝沢の様子を横目で見ると、小さく息を吐いて、二人のことを思うのであれば
これ以上関わらないほうがよいだろうと、穏やかに言った。
しかし滝沢はなんとかして二人の力になりたいと考えていた。
部外者であった自分だが、もう充分にこの件に関わっているのだ。それも今回は足を引っ張るというカタチで・・。
これまでWAのことを調べていたのは、職業柄、血が騒ぐせいという理由でもあったのだが、今は何より、罪滅ぼしをしたいという贖罪の気持ちが大きいようだった。
滝沢の様子を黙ってみていた鵠は微笑んでポツリと呟くように言う。
「・・貴方は二人の味方だったようですね」
・・味方・・
あのとき、真田が最後に自分に言った言葉を滝沢はふと思い出した。
『真の敵は味方にあるとはよく言ったもんだ。・・フ、敵はよく見極めるべきだな』
恐らく時任と久保田を裏切ることになるだろう滝沢を指して嘲笑したのだろうが、それだけじゃない、何か・・、何かの意を含んだように感じた気がしていた。
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そこは、無人島とでも扱われているだろうか。
もしくは完全な私有地であるのかもしれない。
その島の南端にある大きなコンクリートの建物だけが人の手を感じるが、周りは断崖絶壁。四方を岩肌に囲まれているといった立地条件では、別荘であるはずがない。バカンスに訪れる場所としてはあまりにも不似合いである。窓から落ちようものなら遺体も発見できないであろう荒い波が岩肌を打ちつけているからだ。
それは海からの侵入者を警戒しているかのような造りでもあった。
しかも建物をよく見ると、軍服に身を包んだ兵士達が点々と見える。それもライフルを持ち研究所の周りを見回っているようだった。
「・・研究所っていうより、軍の要塞みたいだぁね」
ぽつりと呟いてその光景を眺めていた久保田は、研究所の向かいの崖上にいた。
双眼鏡を片手に様子を見ていたが、夕日の影になっているせいか久保田の姿が見つかることはない。
・・・あそこに時任がいる。
銃を持った警備の人数と資料にあった研究所の地図を頭に入れる。
研究所の場所もその外観も滝沢が時任に渡したと見られる資料の内容と相違なかったため、恐らく地図も正しいと思われた。だがそれは確実ではない。
しかも奥井は自ら久保田に迎えに来いと言い、ご丁寧に場所まで教えてくれている。
罠がある可能性は高かった。
「どっちにしても行かなきゃでしょ。・・迎えに行くって約束したしね」
久保田は銃に弾をこめると、夕日が沈んだのを合図に研究所へと走り出した。
今、行くよ。時任――――。
目的はただ一つ・・、
大切なモノを取り戻すために――――。