恋愛事情【1】

 


 「おや、こんにちは、時任君」
「げ・・、橘」
廊下の角でばったりと出くわした相手に、時任はあからさまに顔をしかめた
。ここ最近顔を合わせることのない相手だったが、あえて会いたいとも思わない、いやむしろ会いたくない相手である。松本会長の側近であるこの橘副会長には何度も利用された前科がある。松本の指示であるとしても、橘のこの人を食ったような話し方も、裏のあるような黒い笑顔も、近寄るとよからぬことに巻き込まれるであろう一種のトラウマのようであった。
つまり、横切られるだけで不吉な、黒猫のような存在だと思っていたのだ。
心の中で盛大に悪口を言われている橘はそんな時任の様子を気にした風もなく、にこりと微笑んだ。もちろん時任にはあの黒い笑顔にしか見えないのだが。
「相変わらず、お綺麗ですね」
「・・嬉しくねぇっつの」
橘の見当違いなほめ言葉は時任には不快でしかない。むしろ喧嘩を売ってるのではないかと、ますます眉をしかめたほどだ。かっこいいと言われると嬉しいのが本音であるが、日頃そばにいる二枚目と比べられるせいか、周囲からは可愛いだの美形だのと言われることが多かった。また綺麗というのも自分とは無縁だと思っている。そんなものは女性に対する誉め言葉と思っているからだ。しかも言われる相手が”校内抱きたい男No.1”のそれこそ周囲がこぞって「綺麗だ」と誉めるこの橘であるのだから、時任が顔をしかめるのも仕方がないのかもしれなかった。
それと何より、日が悪かった。今日の時任は、すこぶる機嫌が悪かったのである。
これ以上足止めされてはかなわないと、橘の横をすり抜けようとしたとき、橘が呼び止めるように言った。
「久保田君、随分おもてになるようですね」
「・・・」
橘は時任が来た方向を目で追うように見つめていた。
時任は何も言わないが、足を止めて振り返っていた。橘の言わんとすることが分かっていたからだ。その目の先には・・・、久保田の姿があった。中庭の人気の少ない場所に、髪の長い女生徒と二人きりだ。学校のこの場所で二人きりになる男女といえば、カップルか、もしくは”告白”と相場が決まっている。見たことのない生徒であることから後者だろう。少し遠いせいで表情こそ見えないが、俯きがちな華奢な女性が久保田に何かを伝えているのは分かる。そしてその内容も、誰もが想像するもので間違いなかった。橘はちらりと時任を見やり、不機嫌だった訳を納得したように小さく笑ったのだった。
それは執行部の公務中のことだった。校内を見回っていた二人の前に突然現れた綺麗な女性が、久保田に話があると中庭に連れ出したのである。時任はたまにあることながら不機嫌に「先に行くぞ」と言ったものだ。実際久保田は月に1度はこういう呼び出しを受けている。目の前に現れた女性はいつも久保田を呼びだし、想いを伝えているのだ。時任はそのたび不機嫌に顔をしかめながら、急ぎ足でその場を後にしていた。久保田が女性の想いに応えたことはないと知っているのだが、それでも女性と二人でいる久保田を、何となく見たくなかったのだ。
久保田と時任は一緒に住み、学校でも相方として常に行動を共にしている。だが二人の関係はあくまでパートナーであり、こういった恋愛などのプライバシーに関してはお互い踏み込んではいけないと考えていた。しかしなぜか時任は、女性が久保田に近づく度に、もやもやと不快感を感じるようになっていた。
「終わったようですね」
橘がそう言う通り、久保田と女生徒が背を向けて逆サイドに歩きだしたことから、久保田が断ったのだろうと思う。しかし何にせよ見たくもないものを橘に見せられたわけだ。いい気がするわけもない。そんな想いを知ってか知らずか橘が艶のある笑みを浮かべて言った。
「久保田君は文武両道で美男子ですから男女問わず人気のようですね。・・さすが松本会長の元パートナーといったところですか。」
文句を付けようとしていた時任だが、口に出せなかった。橘のその笑みの中に、一瞬悲しげな表情が見えたからだ。

「・・松本が何でも関係ねぇだろ。」
時任は訝しげにそう言うと、橘の表情はやはりいつもの笑みとは少し違っているように見えた。
「失礼、今は貴方のパートナーですね。いえ、気に触ったのでしたらすみません。松本会長は今でも久保田君を一番気にかけてらっしゃるようでしたので
・・僕の入る隙間がないほどに・・。」
橘の発言に時任はさらに目を丸くした。
「なんだそれ?・・そりゃ元パートナーなら気にかけんのはふつうだろ?それに執行部の相方っつーなら戦友みたいなもんだし」
「・・戦友ですか?・・ふふ、なるほど。それほどまでに強い絆で結ばれている同士ということですね。」
どこか自嘲気味にそう言う橘に時任は呆れたような目を向ける。
「おまえ・・、どうしたんだ?なんかあったのかよ?」
時任の知る橘は態度こそへりくだってはいるが、内面は自信に溢れ強く、人前で弱音を吐くタイプではなかった。何事にも計算高く常に高見の見物を決め込んでいるような狸、いや狐である。目の前にいる橘はいつものように笑みを浮かべてはいるものの、明らかにらしくない橘だった。
「いえ、すみません。大したことではないのですが、少々・・、悩み事がありまして・・。まいってるようです。」
橘が伏し目がちに少し言いにくそうに言った。
「・・・時任君、良かったら相談に乗ってもらえないでしょうか。」
時任は目を張った。先ほどまでの怒りもどこへやら、橘が自分にこんなことを言い出すとはかなりの驚きだったのである。おそらくこの内容からいって・・、ノーマルな時任には考えたくもないが松本と橘は恋人同士であることは周知の事実であるが、そういった恋愛関係の悩みなのだろうとすぐに理解できた。見たことのない橘の表情がそれを物語っている。

・・いったい何だってんだ。
そのまま無視して通り過ぎようかと一瞬思った時任だったが、小さくため息をつくとガシガシと頭を掻いた。
「・・ここじゃなんだからさ、こっち来いよ。聞くだけでいいなら聞いてやる。」
いつもの黒い笑みのままの橘であれば、思いきり無視してやるのにと思いながらも、時任は頼られるとむげに断ることのできないのか、ついつい放っておけなかったのだった。誰にも聞かれたくないという橘の希望を聞いて、二人は人気のない屋上に向かう。
ぶっきらぼうながらも照れたような時任の後ろで、橘は優しく微笑み、おとなしく付いていった。
しかし、その穏やかな瞳の奥で、黒い光が陰を潜めていたことを時任は知らなかった。

 


久保ちゃんはやっぱりモテます。そして橘はやはり妖しすぎ・・何か起こりそうな予感です;続きます☆

 

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