遠い記憶と君への想い【1】
都内某所にある、そのホテルは、海外にも名の知れた有名なホテルだった。
各界からの有人がたびたび訪れ、一泊数十万はするだろうスイートに連日滞在する金持ちもいれば、1泊2万ほどで泊まれる通常のシングルもあり、利用者は様々だった。
そのホテルは地上43階156mの高さを有する高層ホテルで、全面ガラス張りの近代的建築である。
その外観もさることながら、何といっても高層の部屋からは、時間や季節によって様々な景観が楽しめると評判だ。
ある階にはプールとジムがあり、会員制のゲストルームも完備している。また地下にはバーやカラオケルームまであり、一日中ホテルにいながら楽しめるというのもこのホテルのウリだった。
1階にてチェックインを済ませた客はベルボーイの案内のもと、エレベーターに乗る。
大きなエレベーターが5つほどあり、それぞれ階ボタンを押せば、地下2階から地上43階までどの階にも止まれるが、1つは乗ってしまうとスイートルームのある最上階へしか止まらないものもあった。
ところが、このホテルの“ある会員”に属する一部の人たちは、通常は表示されていない、存在しないはずの階に、止まることができるのだという。
”時任一郎”もその一人だった。
彼はあらかじめ予約を入れていたのか、フロントに着くなり、通常のベルボーイではなく、奥から支配人のような男が現れ、その男の先導のもと、エレベータ―へと乗り込んだ。
行き先は最上階である。
そのエレベーターは最上階用であるから、支配人は一つだけしかないボタンを押し、数十秒の間にあっという間に最上階に着いた。
支配人と一緒に降りた時任一郎は、スイートルームの一室にも見える部屋に通される。恐らく並んである部屋は本物のスイートルームなのだろう。
だが、その中の一室であるそこには、スイートルームにあるはずのベッドもなければ寝室もない。ただ高級な、だだっぴろい会議室のような部屋が一つあるだけだ。
そして会議室の奥の扉を開けると、驚くことに新たなエレベーターの扉が現れた。
時任一郎は会員であるからか、驚いているようには見えなかった。慣れた様子で、紺のスーツの内ポケットからカードを取り出すと、扉横の四角いセンサーにそれをかざした。
ピッと音を立てたセンサーが、緑に点灯すると同時に扉は開き、支配人は深々と頭を下げて、その客を見送った。どうやらここからは客一人での行動になるらしい。
エレベーターは階を指定することなくすぐに動き出した。
これ以上、上に階はない。重力に逆らうような浮遊感を覚える感じからも、一気に下へと降りているようだった。3.2.1.と階を下り、地下2階を超えてもエレベーターは止まろうとしなかった。
そしてあるはずのない階数で停止した。
表示板は地下6階となっている。
その客がエレベーターを降りると、黒服の男たちが2人、客を待っていた。
黒服はすぐに客の側に近寄ると、金属の棒のようなもので、客の身体の周りを動かして見せた。持ち物検査行う、金属探知機のようなものだ。
そこで異常がないことが分かると、黒服たちは大きな扉を手動で開き、時任一郎はやっと、お目当ての場所へと入ることができたのだった。
ここまで厳重にするには、もちろんワケがある。
表向きに公表されていないことから、それは違法であることは考えるに容易い。
時任一郎がそうして踏み入れた場所は、巨大なカジノだった。
もちろん、日本では認められていない非合法なものである。
カジノは、野球場が入るのではないかという広さだった。広大な敷地に、スロットマシンなどの遊技機がズラリと並び、中央に置かれた数台のテーブルでは、ルーレットやカードゲームを行う人たちで溢れていた。
まだ日が落ちたばかりだというのに、意外にも大勢の人間が集まっていたのだ。
年齢層は年配が多いようにも見えるが、ちらほら若い人間も混じっている。統一して言えることは、皆きちんとした身なりで整えていることから、上流階級の客ばかりだろうことが分かる。
もちろん時任一郎もフォーマルなスーツを着ていた。上下濃紺色のスーツ、白いシャツの胸元には、エンジ色のアスコットタイを結んでいる。どこぞの御曹司であるだろうファッショナブルな出で立ちだった。
全体的に細身ではあるが、均整のとれた体つきをしており、スーツがよく似合っていた。
彼は恐らく成人していないようにも見えた。通常であれば、厳しいチェックが入るであろうその場所だったが、彼が慣れているのか、会員のカードのおかげなのか、入口のボディチェックだけで簡単に入ることができた。
彼はスロットマシンを物色するように歩きながら、客が群がるテーブルをちらりとのぞいた。
そこではルーレットゲームが行われている。
玉をふるディーラーは女性だった。すらりとして美しい顔立ちの女性はまだ20代前半だと思われた。
上品なロングスカートの上には、ウェイターたちと同じように制服のジャケットを羽織っている。その台では美女目当てか、ゲストが大勢いた。
テーブルを囲む客の男らは皆美女をなめまわすような視線を浴びせているが、彼女は気にした風もなく笑顔でゲームを取り仕切っていた。
時任一郎は溢れるゲストを押し退けるように、割り込み、堂々と席をとった。
すると美女に気を取られていた小太りな男が、それに気づいて不快に顔をゆがめた。
「おいおい、若造。そこはわしの席だぞ」
すぐに難癖をつけてきたその男に、彼は振り返ることもなく視線だけを向けた。
「うるせぇよ。すっこんでろ」
不機嫌に言ったのである。
あまりの言葉に一瞬呆気にとられた男だったが、暴言を吐いたその若造を見て息を呑んだ。
それは思ったよりも幼い声だった。強気なツリ目の黒い瞳が美しく、端正な顔立ちをしてる。青年というよりも少年と呼ぶにふさわしいあどけなさを残し、十分に目の保養となる美しい少年だった。
だが男が息をのんだのはその少年の容姿と言葉だけではない。
少年が内ポケットから出したカードの色だった。
「おい、ディーラー、これで、ノワール”黒”の24へ」
少年はそう言ってカードを卓の掛け番に置き、女ディーラーを見た。
目があった女は、驚きもせずニッコリと微笑んだ。
「掛け金はどうなされますか?」
「100万」
「かしこまりました」
少年の金額に周囲がわっとざわめいた。一度の掛け金としては破格だった。そしてやはりその少年の持つカードを見て男たちは目を張ったのである。
金色のカードはハイローラーと呼ばれる多額の掛け金を使う客の中でも、とびきりの上客の証だった。通常現金やクレジットカードで払われる掛け金も、このゴールドカードを所有する者には必要ない。
といってもこれを取得するのはかなりの厳しい査定がある。家や、会社、土地や車まで、すべての資産と社会的地位を調べ、たとえ掛け金が多大な金額に陥っても、支払い能力があるかどうか完璧に調べ上げられるのだった。
カードスキャン後、客の言い値を専用のカード機に打ち込み、ゲームを始め、配当があればカードに金額がつけられ、負ければその分の資産を没収されるという仕組みだった。
クレジットカードと変わらずとも、その価値も、その掛け金の限度額も大きく違うのだ。限度額に至っては”ない”と言ってもいい。このカードで賭ける上限はそれこそ数百億円でも可能となる、使いようによっては身の破滅を招きかねない、ギャンブルカードともいえた。
それだけに賭ける方はよほどの金持ちか、考えなしの博打うちか、に2分される。
どちらにせよ、この色のカードを持つ者は、このカジノを知るものであれば、かなりの身分であると分かるし、店側にとっては最優先に優遇すべき上客だというわけだった。
「ノワールの24です」
周囲が固唾を呑んで見守る中、あっさりと、少年は勝った。周囲もわっと歓声を上げる。
すると少年は自分の目の前に集まった300万ものチップを惜しげもなく、次のゲームに一気に賭けた。
そしてまたあっさりと彼は出玉を言い当てたのである。
こうなると他のテーブルの客らも彼の周りへと集まっていた。
その後数回の賭けを少年はすべて勝ちでおさめると、帰ろうと席を立つころには1000万もの大金を勝ち取っていたのだった。
「お帰りですか、では金額をカードにつけさせていただきます」
女ディーラーがカードを返すと、まだ興奮冷めやらぬ客たちを背に、少年は来たとき同じように手ぶらでその場を後にした。
「お客様!お待ちくださいませ、もうお帰りでございますか?」
彼が出口を出ようとすると、黒服の支配人らしき初老の男が供を連れて後を追ってきた。
その顔には明らかに困惑の色が浮かんでいる。
「ああ、今日は帰る。部屋取ってるわけじゃねぇしな」
支配人は慌てて言った。
「では、スイートルームをご用意いたしましょう。特別なお客様には当ホテルは無料で部屋を取らせていただいております。ですから明日もぜひ、こちらをご利用くださいませ」
ずいぶんと気の利いた待遇である。
少年は少し考えながらもその待遇を受けることにした。
そこで支配人はやっと安堵したようだった。
「失礼ですが、こちらは初めてでいらっしゃいますか?しかしお客様はゴールドカードをお持ちだとか・・」
「ああ、ラスベガスで、こないだ作ったんだ。ここは初めてだけどな」
支配人はなるほどと思った。
本場のラスベガスにある船上カジノの中の一つに、このホテルのグループのカジノがある。
そこでカードを作った客の中から、ゴールドに属する客のみこのカジノを利用することができる。それも会員制という名にふさわしく、ゲストにそれぞれ上客を紹介してもらうことで、ここでの客を増やしてきたのである。
おそらくこの年若い男は、親がそれなりに身分のある人物なのだろうと思った。
その証拠があのカードである以上、それ以上の詮索は必要ない。支配人は納得して深々と頭を下げた。
すると今度は支配人の後ろについていた男が、ひょっこり顔を出して言った。
「お客様、ぜひ明日は私に玉を降らせてください」
少年は男を見て、少し目を開いた。
支配人である初老の男は、自分と同じくらいの目の高さであったが、その男はそれよりも頭1つ分、高かった。
少し猫背であることから実際はもう少し高いだろう。
眼鏡越しの目は細く、優しげで、顔立ちは整っていた。二十歳前後に見える男だったが、口元に浮かべた笑みが少し大人びて見えた。
彼もまた同じようにスタッフの制服を着こなしてはいたが、どこか飄々としていて、どっしりとした雰囲気を持っていた。
「おお、それはいい。お客様、この男はまだ日が浅いですがディーラーの腕は確かでございます。ぜひ明日はこの久保田をご指名くださいませ」
支配人は少年に笑顔を向けると、少年は「別にいいけど」と一言つぶやく。
それを聞いた久保田と呼ばれた男は、支配人の前に進み出ると時任に向かって右手を差し出した。
「はじめまして、久保田恭一と言います、明日はよろしくお願いしますね」
「・・時任一郎、よろしく」
時任も、黒い手袋をした右手を差しだし、言葉少なげに握手を交わしたのだった。
恭一と一郎・・(汗) 続きます・・
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