それは冬の、ある日のことだった。
「ねぇ、時任。ちょっとさ、鵠さんの依頼で、1週間ほど出かけようと思うんだけど」
そんな久保田の一言が、コトの始まりだった。
いつものようにソファに腰掛けて雑誌を読む久保田が唐突に言い出した言葉に、もう少しでクリアできそうだった格闘キャラがKOされるのにも構わずに、振り返った時任は目を丸くした。
「はぁ?何しに?1週間もどこ行くんだよ」
時任の驚きももっともだった。
突拍子もない久保田の言葉にも、2年も一緒に暮らす時任にはもう慣れたものだが、それでも仕事で1週間も不在にすることなど今まで一度もなかったのだ。
「んー、泥棒ごっこかな?まぁ、詳細は今日聞いてくるけど・・、場所は東京」
久保田が目を細めてそう言うと、時任の表情は訝しげなものに変わった。
久保田の仕事といえば、代打ちか、運びがほとんどだった。鵠の仲介で仕事をもらうことが多いのだが、そのほとんど、いやすべてが違法なもので、危険な目にあうこともしばしばだった。さすがに直接的な人殺しの依頼はないものの、自分の手を汚すような仕事も多々あった。
今回も久保田が拳銃を持っていくことは必須に違いない。それも仕事内容は泥棒だと言う。危険がないはずがない。
いつも時任は家で待つことが多かった。たまに簡単な仕事を手伝うこともあるが、時任自身、追われる身ということもあってか、久保田も滅多に手伝わせようとはしない。
久保田の帰りを待つという、時任にしてみれば耐えがたい苦痛な役割が多かった。
そして今回は遠方に1週間も行くという。
しかもその言葉から、久保田はすでに仕事を受けることを決めているようだった。
時任は小さく息を吐くと、寝室へ向かい着替えた。
「・・どっか行くの?」
着替えて出てきた時任に久保田がぽつりと聞く。
「今から仕事内容聞きに行くんだろ?俺も行く。んで、東京にももちろん一緒だ」
「・・やっぱり?」
「トーゼンだろ」
堂々と言う時任に久保田は苦笑しながら、穏やかに目尻を下げた。どうやら時任がそう言い出すことを予想していたようだった。
(言えばついてくると思ったけど・・、言わなきゃ、1週間俺のこと探してそうだし・・、向こうで電話して言おうとも思ったけど、それならそれで、”今からそっち行く”って押し掛けてきそうだし・・)
久保田は結局、行く前に言わなければ、どちらにせよひどく時任を心配させてしまうという結論だったのである。
「おや、お二人でお揃いですね」
二人が鵠のもとを訪れると、時任が来ることを分かっていたように鵠が微笑んで出迎えた。
「わりぃかよ」
ぷうと口を膨らませた時任だったが、鵠はさも嬉しそうににっこり笑った。
「いえいえ、今回は大仕事ですので、大変助かります」
「んー、でも移動費とか倍かかるけどいい?」
「ええ。問題ありませんよ」
律儀に仕事にかかる交通費を気にするあたり、意外とマメな久保田である。
「それで、例の女性というのは?」
「ええ、もういらしてます。お待ちください」
久保田の問いに時任は首を傾げるが、どうやらこの仕事に関係する女性がここにいるらしかった。
二人が店先のソファで鵠の入れたお茶を飲みながら待っていると、店の奥から鵠と一緒に女性が現れた。
「久保田君、時任君、こちらが今回の依頼主のユーリさんです」
その女性は二人に目をやると、深々と頭を下げた。
「はじめして、ユーリです。よろしくお願いします」
すらりと背の高いその女性は間違いなく美女の部類入る女性だった。白い肌に青みがかった瞳が印象的で、日本人離れした顔立ちをしている。20代前半の若い女性だったが、ウェーブの長く垂らした黒髪をサイドにひとまとめにした、落ち着いた雰囲気の女性だった。
「ども、久保田です」
「俺は時任」
ぼーっとした表情の久保田と、つっけんどんな時任の簡潔な自己紹介に、ユーリは一瞬目を丸くしたが、すぐに頬を紅潮させて笑った。
照れたというわけでなく、単に両極端な二人の様子がおかしかったからだ。
全員が席につくと、まず久保田が口を開いた。
「それにしても、鵠さんが、依頼人を紹介するなんてはじめてね?」
通常、仕事を請け負う際、運びにしても、鵠は依頼人はおろかその運ぶ中身出さえ、久保田に申告することはない。久保田もまた当然のように何も聞かず依頼を受けていた。今回のように、仕事の詳細を聞くために依頼人と顔合わせをすること自体、異例のことだった。
鵠は微笑んで答えた。
「ユーリさんは、私の古い知人の紹介でこちらにいらっしゃいました。今回の彼女の依頼には、彼女の協力も欠かせないものなのですよ。彼女の望みである”肖像画”を手に入れるために」
「肖像画?絵のことだよな。泥棒って、絵を盗むのか?」
時任が口を挟むと、ユーリは微笑して首を振った。
「盗むのではありません。奪い返すのです。あれは、あの絵は、元々私の父のものなのです」
そう言って時任を見る彼女の目は、悲しげに揺れていた。
泥棒と聞いて気乗りしなかった時任だったが、何か事情があるらしいことを察して表情を変えた。
彼女もまた、真剣に話を聞いてくれようとしていることが分かったのか、事情を話し始めたのだった。
「私が取り戻したい絵は、亡くなった母の肖像画です。長谷部という男が所有しています。長谷部は・・・、私の父を騙し、財産と大事な絵を奪い取った張本人なんです」
震える彼女の声は、怒りを表すものなのか、久保田と時任は黙って聞いた。
彼女は日本人の母とアメリカ人の父の間に産まれたハーフだった。産まれてから12才まで日本で暮らしていたが、父親がアメリカで会社を経営し始めたため、ユーリは小学校を卒業すると同時に、母親とアメリカに移住したのだという。
「幸せでした。父の会社は上向きで大きくなっていましたし、何より、両親は家族を大事にしていました」
ユーリは温かな遠い記憶を見るように、目を細めて微笑むが、それはすぐに暗いものへと変わった。
「長谷部に・・、父が裏切られ、すべてを失い、急病で母が亡くなるまでは・・」
長谷部は父親の経営する会社の役員の一人であり、もっとも信頼する友人の一人だったという。
父親はある日、長谷部が会社の資金を横領して私腹を肥やしていることに気づき、詰め寄った。長谷部は罪を認め、返金を約束したため人の良かった父親は長谷部を許し、事件を闇に葬った。
しかし、長谷部は父親が事件を内密に処理したことをいいことに、横領の事実を父親の仕業だと公にし、役員会を味方に付けて父親の立場を失脚させ、その地位を奪った。
そのうえ数十年に渡る横領金の返却という罰則として、父親の財産をことごとく没収したのだった。
奪われた財産の中に、父親が大事にしていた母親の肖像画があった。著名な画家に描かせたそれは高い値打ちがあるらしい。
その後元々体の強くなかった母親は病で亡くなり、父親は体を壊し、入院療養を続けているという。
「長谷部は憎くはありますが、何よりもあの絵だけは取り戻したい。・・父が母のことを想って描かせた絵なのです。あれだけはどんなことをしても父の手に返してあげたいのです」
大きな瞳は涙を浮かべたせいか、青い光を放ち、まっすぐと久保田と時任を見つめ、それが強い決心を思わせた。
「彼女を紹介した私の知人が、彼女の父親と同じ役員会の人間だったようで、彼からの強い依頼でもあるのです。彼は何もできずに長谷部に荷担してしまったことを今でも悔やんでいるのでしょうね」
鵠がそう言うとユーリも頷いた。
まだ未成年だった彼女を引き取り援助したのも、その鵠の知人だという。彼はすぐに長谷部のしきる会社を辞め、せめてもの罪滅ぼしだと彼女の面倒をみてきたのだった。
「なるほどね、事情は分かったけど、長谷部って人が今日本にいるとして、どうやって取り返すつもり?」
久保田が尋ねると、鵠はにっこりと微笑んで言った。
「そこで久保田君に、いえ時任君にも、一芝居打ってもらいたいのです」