遠い記憶と君への想い【3】

 


 

時任は一人で高層ホテルのスイートに泊まっていた。

内装は近代的ヨーロッパ調をベースにしながらも、モダンな雰囲気の広い部屋だった。

広い寝室には大人4人は横に寝れそうなベッドがドンと置かれ、目の前の一面ガラスの壁には都内の美しい夜景が広がっている。

「すげぇな・・」

思わず感嘆の声をもらした時任のもとに携帯が鳴った。

「―ああ、久保ちゃん」

慣れない部屋で先ほどまでの芝居を思い出しながら、その聞き慣れた声にほっと息を吐いた。

「おつかれさん、時任。よくやってたじゃない。明日は打ち合わせ通りね。大丈夫?」

「大丈夫だっつーの。・・久保ちゃんこそ大丈夫かよ?」

「ふん、なんとかなるんでない?」

「まぁ、今更だけどな」

カジノの支配人がこの会話を聞けば、仰天したに違いない。

親しげに会話する二人と、先ほどはじめて挨拶をすませた二人が、同一人物だとはとても思えないからである。

先ほどまで時任が向かい合っていた女ディーラーは今回の依頼主のユーリだった。

久保田と時任、ユーリは3人でこのカジノに潜入し、大がかりな猿芝居を行っているのだ。

もちろん3人は綿密な打ち合わせをもって臨んでいた。

まず、どこぞの御曹司の客役には時任。久保田は数日前からディーラーとして潜り込んでいた。

久保田は大して役作りをしていない。その年齢からはあり得ないような落ち着きと、肝の据わった勝負師であることは、某組の代行のお墨付きなのだ。

普段は麻雀しかしない久保田だったが、その天性の勝負運を生かし、楽々と凄腕ディーラーとして採用されたのである。

比べて時任はさんざんだった。趣味でもない上品な服を着せられ、なるべく乱雑な口調を避け(これに関してはカバーしきれてないが)歩き方まで気をつけた。

例のゴールドカードは鵠の知人であり、ユーリの引き取り先である男の協力で、鵠が作ったものだという。賭けに使ったお金も実在するもので、その知人の男がユーリのために用意したものだった。

こうして御曹司”時任一郎”が作られたのだ。

「ったく、誰が”恭一”だよ?人には”一郎”なんてありきたりな名前つけやがって」

「いいじゃない別に、名字は同じだし。それに恭一ってホストぽくていいじゃない?」

「先に言っとけよ。危うく吹き出しかけるのを必死で押さえてたんだぞ」

時任はそれでもきちんと演じていた。いつもならボロが出そうなところだが、本当に久保田とはじめて会った時のことを思い出して実践してみたのだ。

その結果少し無愛想ではあったが、うまくいったようだった。

「それにしてもユーリはすげぇな」

時任が感嘆するように言えば、久保田も感心していた。

「うん、さすが本場のプロディーラーね」

ユーリはアメリカの高校を卒業してすぐにラスベガスのカジノでディーラーとして働いた。

興味があったからではない。すべては父親の絵を取り戻すためだった。

憎むべき長谷部がラスベガスの船上カジノを経営し始めたのを嗅ぎつけ、そこへ偽名で就職し、絵を奪う機会をねらい続けていたのだ。

決死の覚悟で飛び込んだ世界だったが、そう簡単にはいかなかった。

絵は事実、船内のオーナー室にあるとみられていた。しかしその警備は厳重で、警備員も長谷部も銃器を手にしている。その上、情報を集めていざ忍び込んでも、なかなか絵は見つけられなかった。

素人の女性が盗めるほど簡単なものではなかったのだ。

それでもユーリは諦めなかった。そこで腕を磨きながら機会を待ったのだった。

彼女は元々才能があったのか、放りたい目に玉を狙えるほど、めきめきと腕を伸ばした。才能があっても努力なしではありえない。そうなるまでにかなりの苦労をしたに違いなかった。

そうして彼女は長谷部の信用を得つつ、虎視眈々とその時を待っていた。大きな信頼を得ながら、父親を失脚させた長谷部に、同じ気持ちを味合わせるために――。

そして6年後、長谷部は有能なスタッフを引き連れて東京都内に高層ホテルを建設した。地下5、6階をすべて秘密カジノにするという大仕事をやってのけたのだ。

そのスタッフに当然のようにユーリの姿があった。彼女にとっても大きな転機だった。

船上とは違い、法律も厳しい日本であればまた違った環境で目的を狙えると考えたからだ。そして彼女は、長谷部が例の絵を日本に持ち込んだことも掴んでいた。

これまでの調べから長谷部が身近に絵を置くことは明らかだった。ユーリは関係者の身分を利用して新たに保管場所の特定から始めた。しかしそこでもいくら探しても絵は見つからなかった。やはりオーナー室かと、こっそりカードキーを複製し、長谷部の不在時に盗み出すはずが、肝心の絵の場所が分からず再び息詰まってしまうといった状態だった。

いや、全く掴めなかったわけではない。

オーナー室の隣には寝室の他にもう一つ部屋があった。ユーリはそこに目をつけ何度も忍び込もうとしたが、部屋のカードキーを使ってもそこを開けることができなかったのだ。

鵠が久保田に依頼したのは”泥棒”という名目だったが、実際それができればユーリは依頼をしようとは思わなかった。

盗みから猿芝居ならぬ潜入捜査に変わったのもそのためだった。

 

「ユーリ、今日のあれはどういうことだ?」

高層ホテルの広い会議室で、初老の支配人は顔をしかめ、声を荒げた。

その姿はその日、時任にスイートを用意すると言った時の媚びるような顔とは一変して、鋭いものだった。

「申し訳ございません」

ユーリは深々と頭を下げた。

「最後のゲーム、まさかわざと負けたのではあるまいな?」

訝しげに言った支配人に、ユーリは慌てることなく否定した。

「とんでもございません。わたくしはいつものようにボールを投げました。ですが、あのお客様を前にすると不思議と狙いと逸れてしまったのです。わたくしもなぜなのか・・」

分からないといったように険しい表情で首を振ってみせる。

「肝心な所で女心でも出したというのか?ふ、所詮凄腕ディーラーも好みの男を前に、尻込みでもしたというわけか」

支配人が嘲笑すると、ユーリは心外とばかりに目を大きくした。

「それこそとんでもございません!わたくしもこちらにお世話になって6年になります。どのようなお客様でも仕事はきちんとこなしてまいりました。・・今回のことはお客様の力としか言いようがありません」

「すると、何か、あの若い男にはお前以上の天性の勝負運か、もしくは玉を動かせる超能力でもあるというのか」

支配人の軽蔑にも似た視線を受けながら、ユーリは困惑の色を隠せなかった。

すると会議室の上座に座っていた男が話しに割り込んだ。

「まぁ、よい。明日は久保田君を使いたまえ。ユーリはアシスタントに回れ。彼はまだ日は浅いが、かなりの腕だ」

ユーリは気づかれないようにそっとその男を一瞥した。

自分の働く企業のトップである男ということもあってか、恭しく俯いた、ように見えた。しかし彼女のその目には何も浮かんでないように見えて、憎悪の炎が揺らめいていたのだ。

それに誰も気づくことはないが、ユーリはこの長谷部という男を目にするたびに、後ろから刺し殺したいほどの衝動を覚える。そして今日も何とかその気持ちを制し、深々と頭を下げその場を後にした。

こんなところで今までの努力を棒に振るわけもいかないのだ。

ユーリにはホテルの一室を宿舎として当てられている。通常のシングルではあるが、彼女の腕を評価されての待遇だった。

ユーリは部屋に入りソファにくつろいでいた。

支配人と長谷部の思惑通り、明日は久保田がディーラーとして時任の対応に当たることになった。

こちらにとっても予定通りである。

ユーリは時任を思い出して小さく微笑んでいた。

(あの少年、はじめ会ったときはどうなるかと思ったけど、堂々としたものだったわ)

はじめて久保田の腕前を見て驚いたものの、相棒である時任には少し心配さえしていた。だが意外にも少年がうまく自分の役をこなしていたことが、驚きであり微笑ましくもあった。

ユーリは時任が大勝ちするように、狙って玉を投げた。その腕は揺れることなく狙い通りに時任は大勝ちした。

組織があんな上客を逃すはずがなかった。ハイローラーと呼ばれ高額な賭を行う客は宿泊費や食費などを免除してでも、カジノに招く。それが当然だった。

何度も勝ちを続け大金を手にした客はそれを惜しげもなく掛け金として使う。そして大勝負をかけたところで、ディーラーはその腕を使って客を大負けさせ、金をむしりとる。

それがカジノでの、よくある手段だった。

ユーリにもラストゲームで腕を使う指令が出ていた。

が、あえて無視したというわけだ。

おかげで時任は目をつけられ、ゲームの続きは明日行われることになった。

明日こそが、ユーリの長年の目的を果たす、待ちに待ったチャンスなのである。

ユーリは久保田らとの打ち合わせを何度も頭に刷り込み、翌日に備えて早めにベッドに潜り込んだのだった。

 

そのころ久保田は、同ホテルの地下4階にあるオーナー室の扉をノックしていた。

「はいりたまえ」

「失礼しまーす」

久保田が中に入ると、そこには長谷部が一人、窓辺に佇んでいた。

眼下に広がる夜景に目を細めながら久保田を振り返り、手にしたグラスを振ってみせる。

「年代物の赤ワインだ。君もどうだ?」

長谷部は赤ワインをよく呑む。それも一本数十万もする年代物を好んでいた。

「遠慮することはない。極上のワインはいいぞ。特に赤はいい。渋みや深みももちろんだが、血のような色がまた堪らない」

久保田は大げさに首をすくめてみせた。

「それはちょっと悪趣味かも・・」

「ふ、赤は勝利の色でもあるからな。どうだね、君の勝負運を称えて一杯」

「遠慮しときます。まだ未成年なんで」

堂々と言う久保田である。どうやら実年齢で潜り込んだらしい。

長谷部は自分の息子ほどの男に向かってふっと笑みを見せた。

「面白い男だね、君は」

「いえいえ、普通の男ですよ」

久保田はすかさずそう言って、微笑んでみせる。

「普通なわけがない。君の腕前を見たときは正直驚いたよ。入れたい目にあれほど正確に投げるとは。ユーリでも難しいだろう。それとなにより、君の貫禄は素晴らしい。勝負師には欠かせないセンスを君は兼ね備えている」

久保田はシャツのタイをゆるめながら目を細めて男を見ていた。

このカジノで働きたいと申し出たのはほんの5日前のこと。実際、実技として久保田はプロのディーラーの前で腕を披露して見せた。ノワールとルージュ(黒と赤)、それもすべての数字に順番に玉を投げ入れて見せた。その正確さと、余裕の笑みさえ浮かべる圧倒的な存在感に誰もが目を見張った。

長谷部にいたっては十年に一人の逸材だと、さっそく高待遇で久保田を迎え入れたのだった。

「本場には俺みたいなのいくらでもいるっしょ?」

久保田がそう言ったのはあながち謙遜でもない。ラスベガスに船上カジノを持つ長谷部はよく知っていた。

しかしそれができるのは一部の限られたベテランのみで、正確さについてもばらつきはある。

それが二十歳にもみたない男が、簡単にやってのけれることではないということは確かなのだ。

おそらく時任が知ればどんな魔法を使ったんだと言うに違いない。しかし久保田には簡単なことだった。

天才的な才能でも、超能力でもなんでもない。

ただの計算だった。

ルーレットの回転数と玉の投入角度を瞬時に計算し玉を投げ入れる。

それだけですよ。と笑みを見せる久保田に、長谷部はますます興味を持ったのだった。

簡単な計算でこれだけの芸当ができるのであれば、こんな商売など成立するわけもないのだ。

もちろん長谷部は久保田を調べた。

まずこれほどの腕を持ちながら、業界にその名を知られていないことがおかしい。

志望動機を聞けば”面白そうだから”という。

警察の上層部にコネのある長谷部は、久保田が警察の手のものという可能性は考えなかった。だが同業種のスパイだという疑いはぬぐいきれない。

しかし、いくら調べても「久保田恭一」という男のデータに不自然なところはない。至って普通に表で生活を送った、普通の男だったのである。

どうやら鵠の情報操作能力は個人の存在さえも変えてしまえるらしい。偽名もそのためだ。

(さすが、たいしたもんだねぇ)

久保田はこっそりほくそ笑んだものだった。

「君の望みはなんだね?」

長谷部の鋭い光を持つ瞳が、少しの変化も逃すまいとじっと久保田を見据えている。

主君を裏切りトップを走り続けていた男には、久保田が普通の男に見えるはずもないのだ。

「・・そうですねぇ」

久保田は考えるように言うと、にやりと笑った。

「強い勝負相手ですかねぇ。それも生死をかけるようなぎりぎりの戦いができる環境があれば言うことナシですね」

その言葉に満足したように長谷部も笑みを浮かべた。

「なるほど、天性の勝負師というわけか。いいだろう。君には望み通りの大勝負を存分に与えてやろう」

こういう独裁的な王者たる統率者というのは、みなこういうタイプなのだろうか?――と思い出したくもない、甘いバニラの香りの男をふと思い出した久保田である。

だがその思考もすぐに消えた。久保田にしてみればどうでもいいことだった。

今回は多少厄介な依頼であったが、明日には勝負がつく予定だ。ある程度、策を練ってはいるが、勝負事というのは簡単にいかないことの方が多いのである。

あながち長谷部への言葉は嘘じゃなかったのか、久保田は明日の勝負を楽しみに思いながら、時任のスーツ姿を思い出して穏やかな笑みを浮かべたのだった。

 

久保田が部屋を去った後、長谷部は”開かずの間”と呼ばれる部屋にいた。オーナー室の中にあるこの部屋は長谷部以外に入れるものはいない。清掃係りでさえ入れないそこを、従業員達がこっそりそう呼んでいる。

そこはシングルの部屋ほどの広さで、無造作にベッドだけが置いてあった。

ベッドの端に腰を下ろし、壁に掛かった絵をゆっくりと見上げている。

60cmx50cmほどの油絵だった。

「私の女神・・」

長谷部はうっとりとその絵を眺めてつぶやいた。

女神と呼ばれたその絵には、微笑む女性が描かれていた。

色白の肌にピンク色の頬、ぷっくりとした形のよい唇は緩やかな弧を描き、美しい顔立ちの女性は艶やかな黒髪を揺らしながら、漆黒の瞳で男を見返していた。

これで肖像画というのだから、実在の女性はさぞ美しい女性だろうと誰もが思うだろう。

長谷部は先ほどよりも幾分か穏やかな笑みを浮かべながら、まるで遠い過去を見るかのように目を細め、じっとその女性を見つめていた。


うーん、設定に無理があるのはいつものことです(汗)

 

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