「ノ、ノワールの「8」です」
驚愕に目を張りながら、その結果を口にしたのはユーリだった。
途端に周囲からワッと驚きの声が漏れる。
それも無理はなかった。赤か黒かで勝負がつくといったこの博打を、ボールは時任の賭け番に違えることなく収まっていた。
たとえ久保田が狙って入れたとしても、一発であっさりと狙えるものではない。通常腕のいいディーラーでも的の3つ前後に入ればいいと言われるところなのだ。
しかし、久保田が凄腕のディーラーだと知っていた支配人の表情は明らかにそれではないと分かる、怒りを含んでいるものだった。久保田が寸分違わず目を狙えることを知っている以上、それは計算で入れたとしか考えられないのだ。
それもオーナーではなく、上客に大勝ちをさせるという形でである。
「ば、ばかな!!」
「色やグループならともかく、そこまで正確に当たるはずがないっ!」
「イカサマだ!」
支配人やディーラーが次々に声を上げ、疑惑の眼差しが時任と久保田に向けられる中、そこに割り込むように、長谷部の低い笑い声が響き、周囲が一瞬静まり返った。
「フフフ――見事だ。実におもしろいよ、君たち」
長谷部は、パンパンパンと緩慢に拍手を叩き、口元に歪んだ笑みを浮かべている。
その様子は潔く負けを認めているとはとても思えない、人を蔑むような笑みだった。
時任は大勝ちしたにもかかわらず何の感慨もない様子で、眉をしかめて言った。
「約束だろ、もらってく」
ユーリが持つ絵を指さすと、長谷部は大げさに肩をすくめてみせた。
「それはできない相談だな。言っただろう?私の物を誰にも渡すつもりはないと」
「ってめぇ!」
「君たちはグルなんだろう?はじめから気づいていたよ。長い間この業界にいるとね、同じにおいのする人間ぐらい見分けられるもんだ」
「!」
長谷部の言葉に驚いたのは周囲にいた人達だった。
やはりイカサマだったのかと、久保田と時任に敵意のこもった目が向けられ、時任は思わず身構えた。長谷部が勝負で決着をつけた上で、絵を渡す気はないと言い切った以上、このまま二人を帰すとは考えられない。
一方、久保田は変わらず無表情のままだった。短くなった煙草を床に投げると、それをゆっくりと踏みつぶした。
長谷部はその様子に鼻を鳴らしながら、付け加えるように言った。
「久保田君、君は素晴らしいよ。実に優秀なディーラーであり、スパイでもある。・・この女とは大違いだな」
「――っ!?」
ユーリは長谷部がちらりと自分を見てそう言った瞬間、びくりと体を強ばらせた。
(――この男!?)
ユーリはそれでも、6年という歳月をかけて築き上げた信頼を疑われること自体、ありえないという自信を持っていただけに、信じられなかった。
すると長谷部は嘲笑するようにこう続けた。
「気づかないと思ったのかね。私の回りには多数の監視カメラを隠しているのだよ。君は昔から、ちょろちょろとよく嗅ぎ回っていたね。私の部屋にまで忍び込んで、そんなにこの絵が欲しかったのか?」
「!!」
ユーリは絶句した。いや、声にならない悲鳴を何とか飲み込んだというのが正しいだろう。
いつからだというのか、長谷部はとっくにユーリを見抜き、それでも側に置いていたという事実に、背筋が凍るほどの嫌悪感と恐怖がこみ上げていた。
支配人は、ユーリの様子に、やはりイカサマだったのかと、久保田と時任、ユーリを見渡し憤慨した様子で怒声をあげた。
「ユーリ!貴様ら、グルだったのか!!」
まさしく鬼の形相である。
それが皮切りとなった。
瞬間、さきほどの大勝負とはまた違った緊迫感が走る。
男達は2人の少年に殺気を向け、懐に忍ばせた武器に右手を滑らせる。残っていた数名の客だと思われた人達は、ここの関係者だったようで、同様に武器を取り出していた。
しかしそれに気づかない二人でもない。
実際、少年らの動きは誰よりも素早かった。
男たちが銃を構えるよりも早く、久保田と時任は同時に走り出し、それぞれ近くの機材や台の裏へと跳び隠れた。
ユーリは、はっとしたように床に伏せると、絵を抱きしめたまま身を隠した。最悪の場合、そうやって一番に逃げるようにという、久保田との打ち合わせを思い出してのことだった。
と同時に数発の銃声がユーリの頭上を飛び交った。
銃弾はシャンデリアにあたりガラスが砕け散り、スロットマシンが火花を吹いた。
時任はその銃弾をかいくぐって、うずくまるユーリのところへ飛び込んだ。
「ユーリ!大丈夫か!?」
「え、ええ」
数発の銃声がさらに響いた後の静けさを狙って、時任がわずかに身を乗り出して様子を伺うと、そこにはおびただしい血の上で支配人と客らが倒れているのが見えた。
そして数メートル先の物陰にいた久保田の姿を確認し、その手にしっかりと黒い武器があるのを見て、時任は「やっぱり持ち込んでたか」と苦笑していると、久保田は自分の指で何人片づけ、あと何人残っていると伝えた。
久保田が返り討ちにした男等を差し引いても、あと数人は陰に潜んでいるはずだった。
そして肝心の長谷部の姿が見当たらないことが気になった。あの男がこのままおとなしく帰そうとするはずがない。
時任はタイミングを見るように相手の動向に集中していた。
武器を持っていない時任とユーリがここから飛び出すのは危険だが、一刻も早く逃げ出す必要があった。
今出ていけば確実に連中の的になってしまうが、上から銃声を聞きつけた関係者が駆けつければ、出入り口が一カ所しかないここでは圧倒的不利となってしまう。それは避けなければならなかった。
うまく逃げ出して上階まで行ければ、おそらくまだユーリはホテル側の人間として堂々と表から逃げることができるだろう。
それが最善だと思われた。
あとは出口までの10メートル強の距離をくぐりぬけ、いかに脱出するかだった。時任が注意深くあたりを伺っていると、やはりその考えは久保田も同じだったのだろう、久保田はじっと時任の目を見つめていた。
真剣なまっすぐな目に気づいた時任は、少し目を大きくして、そして小さく笑った。
(だいじょーぶだよ、久保ちゃん。無理しねぇから)
そう語りかけるように、目の光をゆるめた時任に、久保田は小さく息を吐いて頷いた。
(3、2、・・1!)
二人はその合図と同時に飛び出し、ユーリは出口へと駆けだした。この場合時任はおとりである。
ユーリを自分の死角に隠しながら、大きく動きを見せると同時に、久保田が援護に回り、時任に銃口を向けた男2人に、発砲する。
時任は迫ってきた銃弾をかろうじて避けながら、ユーリが出入り口へ消えたのを目の端で捉えると、物陰へと素早くジャンプした。
久保田は時任を追いかける形で走りながら、背後に向けて銃を放つと、また2人、鈍い悲鳴をあげながら倒れ込んだ。
「・・・はぁ、はぁっ、成功っ」
「なんとかね・・」
合流した二人は入り口に一番近いテーブルの下にしゃがみこんだまま、荒い息を整えていた。
あたりには人の気配がしないことから、おそらく全員倒したと思われた。しかし、そこにはやはり長谷部の気配が感じられない。(ほかに脱出口でもあったのか−−?)と用心しながらもこの場は一刻も早く脱出するべきだった。
「久保ちゃんっ、とにかく行こうぜ」
久保田が背後に目を光らせながら、時任が出口へと走り出した、そのときだった。
「っ!ユーリっ!?」
時任が足を止めて、目を大きくして叫んだ。
その出口とは90度離れた物陰から、先に逃げ出したはずのユーリが、ゆっくりと姿を現したのだ。
歩かされている、といった感じの歩調で、両腕にしっかりと絵を抱いたまま、体を強ばらせ、顔を苦渋に寄せていた。
なぜ、と考える間もなく、その理由はすぐに分かった。
続けて姿を現した男が、ユーリの後から後頭部に銃口をあてているのを見れば、その状況はイヤでも理解できる。
「・・長谷部っ!」
「私が大人しく帰すと思うのか?」
口元は緩やかに弧を描くが、二人の少年を見る目は鋭い光を帯びていた。